相馬邦之助

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相馬邦之助
生誕 1859年7月25日
青森県弘前市袋町
死没 (1918-06-02) 1918年6月2日(58歳没)
東京府浅草区下平右衛門町の自宅
国籍 日本の旗 日本
著名な実績 彫刻
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相馬 邦之助(そうま くにのすけ、SOMA KUNINOSUKE、1859年(安政6年)7月25日 - 1918年(大正7年)6月2日)は、日本の彫刻家[1]。

別名(雅号):相馬 仙齢(そうま せんれい)。

弘前市に生まれる。

平尾魯仙に絵画を学び、日暮里に住んでいた象牙職人、田中嶺玉(れいぎょく)のもとで根付の技法を学ぶ。

来歴

  • 1859年(安政6年)
    • 7月25日、弘前藩の中級藩士・相馬元三郎の四男として生まれる。
  • 1865年(慶応元年)
    • 4月12日、父元三郎死去。
  • 1883年(明治16年)
    • 6月29日、最初の妻タカとの間に長女てい誕生。
  • その後、妻タカ死去
  • 1889年(明治22年)
  • 1890年(明治23年)
    • 3月、著書『象牙彫刻法』(東京国立博物館所蔵)を出版。
  • 1893年(明治26年)
  • 同年8月、後妻かつとの間に長男冀誕生。
  • 1897年(明治30年)
    • 10月、二男博誕生。
  • 在籍期間は明らかでないが、青山女子手芸(中等部)において図工の教師として勤務していた[3]。
  • 1918年(大正7年)
    • 6月2日、東京府浅草区下平右衛門町の自宅にて死去。

脚注

  1. ↑ “相馬邦之助作の検索結果 文化遺産オンライン”. bunka.nii.ac.jp. 2023年7月6日閲覧。
  2. ↑ 「高屋肖哲年譜」
  3. ↑ 金子一夫著「明治期中等学校図画教員の研究-7-東京府・中部地方」