礒川重作

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礒川 重作(磯川 重作とも[1]、いそかわ しげさく、1878年〈明治11年〉11月7日 - 1956年〈昭和31年〉12月26日)は、日本の教育家である。

概要

東京府の生まれ[1]。東京高等師範学校(現在の筑波大学)卒業後[1]、東京府南多摩郡町田村(現在の東京都町田市)日新小学校の教師を務める[1]。

その後同学校の校長を経て1902年(明治35年)から31年間、稲城第一小学校の校長を務め[1]、地域教育の近代化に貢献した[1]。校長就任中は徳富蘇峰の秘書であった並木仙太郎らと共に、蘇峰の葬儀に出席した。1956年(明治31年)に78歳で亡くなった[1]。

脚注

  1. 1 2 3 4 5 6 7 デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『磯川重作』- コトバンク