福田牛介

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福田 牛介
時代 戦国時代 - 江戸時代初期
生誕 生年不明
死没 没年不明
主君 織田信長→豊臣秀長→秀保→秀吉→秀頼→池田輝政
藩 姫路藩
氏族 福田氏
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福田 牛介(ふくだ うしすけ[1]/うしのすけ[2])は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。

略歴

紀伊国海草郡の地侍で、天正年間の織田信長・豊臣秀吉による紀州征伐の際に臣従したものと思われる[2]。

その後豊臣秀長・秀保父子に仕えたが、主家断絶後は豊臣秀吉に仕え、文禄4年(1595年)9月21日に大和国十市郡あえ村内、紀伊国那珂郡・名草郡・有田郡内において2,000石を知行、慶長3年(1598年)2月8日は大和・紀伊において加増されて4,200石を知行した[1]。同年9月に紀伊国日高郡山地で一揆が起こった際には増田長盛の命を受けて日高郡・牟婁郡の領主たちとともに一揆の鎮圧にあたり、首1つを挙げている[3]。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで没落[1][2]。その後の詳しい動向や経緯については不明だが、同年11月11日に池田輝政より播磨国加古郡河原村・口里村・新野辺村の3ヶ村、翌慶長6年(1601年)には加東郡に5ヶ村を与えられ、都合4,200石を知行していることから、輝政が姫路に入封するに当たって新規に召し抱えられたものと思われる[4]。

脚注

参考文献

  • 高柳光寿; 松平年一『戦国人名辞典』(増訂版)吉川弘文館、1981年、207頁。 
  • 阿部猛; 西村圭子 編『戦国人名事典』(コンパクト)新人物往来社、1990年、667頁。ISBN 978-4404017529。 
  • 和歌山県史編さん委員会 編『和歌山県史』《中世》和歌山県、1994年、691-692頁。 
  • 加古川市史編さん専門委員 編『加古川市史』 第2巻、加古川市、1994年、173-176頁。