私はゾンビと歩いた!

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私はゾンビと歩いた!
I Walked with a Zombie
ポスター(1943年)
監督 ジャック・ターナー
脚本 カート・シオドマク
アーデル・レイ
原作 アイネズ・ウォレス
製作 ヴァル・リュートン
出演者 ジェームズ・エリソン(英語版)
フランシス・ディー(英語版)
トム・コンウェイ(英語版)
音楽 ロイ・ウェッブ
撮影 J・ロイ・ハント
編集 マーク・ロブソン
製作会社 アメリカ合衆国の旗 RKO
配給 アメリカ合衆国の旗 RKO
公開 アメリカ合衆国の旗1943年4月21日
日本の旗2017年11月20日[1]
上映時間 69分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
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予告編より

『私はゾンビと歩いた!』(わたしはゾンビとあるいた、I Walked with a Zombie)とは、1943年公開のアメリカ合衆国のホラー映画。監督はジャック・ターナー。出演はジェームズ・エリソン(英語版)、フランシス・ディー(英語版)。カリブ海地域の砂糖プランテーション経営者の妻が病気になり、その世話をするために島にやってきた看護師が、ブードゥー教やゾンビといった超自然現象に遭遇するという話。原作はアイネズ・ウォレスの『I Walked with a Zombie』で、シャーロット・ブロンテの『ジェーン・エア』の語り口を採り入れている[2][3]。ヴァル・リュートンがRKOのために作った2本目のホラー映画である。

なお、『私はゾンビと歩いた!』という邦題はIVCからリリースされているDVDにつけられたもので[4]、それ以前には『生と死の間』[5]、『ブードゥリアン』(NECアベニューからビデオ発売)[3]と呼ばれていた。

あらすじ

カナダ人看護師ベッツィー・コネルはかつて「ゾンビと歩いた」ことがあった。

それはカリブ諸島で砂糖プランテーションを経営するポール・ホランドに雇われて、彼の病気の妻ジェシカの世話をしていた時のこと。

ジェシカは生ける屍状態で、ベッツィはインスリン・ショック療法を試すも効果なし。そんな時、女中のアルマから、ブードゥー教の司祭が同様の症状の患者を治したという話を聞く。ベッツィはジェシカを連れて、司祭の小屋を訪ねるが、司祭はポールの母のランド夫人で、ジェシカは治らないと告げられる。小屋の外に出ると黒人たちがジェシカはゾンビだと騒いでいる。ジェシカに剣を刺しても血が出なかったからだ。

ランド夫人はポールの父の死後、再婚して息子ウェズリーを生んでいた。ポールとは異父兄弟である。そのウェズリーはジェシカを愛していた。ランド夫人は兄弟が争うことを避けようと、ジェシカを呪い、ゾンビにしたと告白する。ベッツィ、ポール、医師はその話を信じないが、ウェズリーだけは信じ、ジェシカを救うため、ともに海に身投げした。

Cast

制作

I Walked with a Zombieというタイトルはアイネズ・ウォレスが『The American Weekly』誌に寄せた記事のタイトルで[6]、RKOの重役陣は映画化にあたってそのタイトルを使うよう、プロデューサーのヴァル・リュートンに要求した[7]。ウォレスの記事は彼女自身の「ゾンビ」体験について書いたものだが、このゾンビとは生ける屍のことではなく、ハイチのプランテーションで働かされる人々のことで、彼らの声帯と認知能力は薬物使用のため失われていた。簡単な命令なら理解できたので彼らは従順な召使いとして使役されていた[8]。

リュートンは、シャーロット・ブロンテの『ジェーン・エア』を換骨奪胎し、ハイチに伝わるブードゥー教を調べるよう、脚本家に指示した[9]。つまり、ジェーン・エアの西インド諸島版を目論んだのである[10]。脚本にあたったのはカート・シオドマクとアーデル・レイ。シオドマクの創ったプロットは、農園の妻を中心に展開され、彼女がパリに帰ることを阻止するためゾンビにされるというものだったが、レイとリュートンの手で大幅に直された[11]。

フランシス・ディーの役は当初アンナ・リーが予定されていたが、他の仕事があったので出られなかった[12]。

クランクインは1942年10月26日[11]。レイによると「乏しい予算」だったという[11]。クランクアップ11月19日で、1ヶ月にも満たない撮影だった[13]。

公開

1943年4月、原作者ウォレスの故郷オハイオ州クリーブランドでプレミア公開[14]。 同年4月21日にニューヨークで封切られ、4月30日に拡大公開した[15]。

1956年にはRKOによりリバイバル上映された[16][17][18]。

評価

初公開時の評価は賛否両論だった。『ニューヨーク・タイムズ』紙は批判的で、「病的で異常な生命の概念をもやもやとおぞましく表現している」[19]。『ボストン・グローブ』紙は「展開がうまくいっておらず、ラストは説得力のないクライマックスと度を越したメロドラマで終わる」[20]。一方、『デイリーニューズ』紙のワンダ・ヘイルは「背筋がゾッとするホラー映画」と称賛し、3つ星満点で星2つ半をつけた[21]。

近年では、レナード マルティン(英語版)がこの映画の雰囲気とストーリーを「非凡なるヴァル・リュートンのスリラー」と絶賛し、4つ星満点で星3つ半をつけるなど評価は高い。日本でも2017年11月20日に行われた上映会のトークショーで、映画監督の黒沢清が「ゾンビというアイディアからこのような物語を紡ぎ出すことに驚嘆する」と感想を述べている[1]。

脚注

  1. 1 2 高橋直也 (2017年11月20日). “『私はゾンビと歩いた!』トークショー”. 東京フィルメックス. 2020年2月9日閲覧。
  2. ↑ Bansak 2003, pp. 146–147.
  3. 1 2 『ぴあ シネマクラブ1993 洋画篇』ぴあ、1993年、771頁。
  4. ↑ “私はゾンビと歩いた!”. 2020年2月9日閲覧。
  5. ↑ 『ホラー・ムービー史―恐怖・怪奇・幻想の全映画』芳賀書店、1986年、51頁。ISBN 978-4826101196。
  6. ↑ Wallace 1986, pp. 95–102.
  7. ↑ Bansak 2003, p. 143.
  8. ↑ Bansak 2003, p. 146.
  9. ↑ Bowen, Peter (April 21, 2010). “I Walked with a Zombie”. Focus Features. September 27, 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月9日閲覧。
  10. ↑ Bansak 2003, p. 145.
  11. 1 2 3 Bansak 2003, p. 147.
  12. ↑ Hanson & Dunkleberger 1999, p. 1127.
  13. ↑ Bansak 2003, p. 149.
  14. ↑ “Cleveland Views Local Girls' Film”. The Gazette (Montreal, Quebec). (April 20, 1943) オープンアクセス
  15. ↑ “I Walked with a Zombie”. AFI Catalog of Feature Films. Los Angeles, California: American Film Institute. December 4, 2018時点のオリジナルよりアーカイブ。December 4, 2018閲覧。
  16. ↑ “West Coast Fox Theatres program”. Los Angeles Times (Los Angeles, California). (July 3, 1956) オープンアクセス
  17. ↑ “New, Old Films Vie For Orlando Interest This Week”. Orlando Sentinel (Orlando, Florida). (December 23, 1956) オープンアクセス
  18. ↑ “Today's Film Showtimes”. Democrat and Chronicle (Rochester, New York). (December 22, 1956) オープンアクセス
  19. ↑ “At the Rialto - The New York Times”. New York Times.com. T.M.P.. 24 November 2018閲覧。
  20. ↑ “New Films”. The Boston Globe (Boston, Massachusetts). (April 22, 1943) オープンアクセス
  21. ↑ Hale, Wanda (April 22, 1943). “'China' Good War Film On Paramount Screen”. New York Daily News オープンアクセス

参考文献

外部リンク