秋月晴種

ウィキペディアから、無料の百科事典
 
秋月晴種
時代 戦国時代
生誕 天文8年(1539年)
死没 弘治3年7月12日(1557年8月6日)
別名 太郎(通称)
氏族 秋月氏
父母 秋月文種
兄弟 晴種、種実、高橋種冬[1]、長野種信[2]、原田親種室
テンプレートを表示

秋月 晴種(あきづき はるたね)は、戦国時代の武将。

生涯

天文8年(1539年)、秋月氏15代当主・秋月文種の嫡男として誕生。

天文年間、足利義晴から偏諱を受け、晴種と名乗る。

弘治3年(1557年)7月に父・文種が毛利元就と通じて大友義鎮(宗麟)から離反したため、義鎮が派遣した立花道雪・臼杵鑑速・志賀親度らを大将とした2万の大軍に攻められる。父・文種が秋月城を捨てて古処山城に逃亡してくると、父を匿って大友軍と戦ったが、衆寡敵せず父と共に自害した。享年19[3]。

脚注

  1. ↑ のち元種、高橋鑑種養子。
  2. ↑ 子に永盛、田原親貫。
  3. ↑ 『新訂寛政重修諸家譜18』