秋月種貞

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秋月種貞
時代 江戸時代前期
生誕 不明
死没 寛永5年8月2日(1628年8月30日)
別名 采女(通称)
藩 日向高鍋藩世嗣
氏族 長野氏、秋月氏
父母 父:長野鑑良[1][注釈 1][2] 母:秋月種実娘
養父:秋月種長
妻 秋月種長の次女オチョウ
子 種春
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秋月 種貞(あきづき たねさだ)は、江戸時代前期の日向国高鍋藩の世嗣。通称は釆女。

略歴

長野鑑良の子として誕生。母は秋月種実の娘[3]。

高鍋藩初代藩主・秋月種長には男子がなかったため、慶長12年(1607年)に甥である種貞が婿養子に迎えられた。しかし、病弱を理由として慶長18年(1613年)に廃嫡された。

代わって種貞の長男・種春(種長の孫)が高鍋藩の後継者となった。

参考文献

  • 『寛政重脩諸家譜 第7輯』國民圖書、1923年、201頁。doi:10.11501/1082721。https://dl.ndl.go.jp/pid/1082721/1/111。 

脚注

注釈

  1. ↑ 長野三郎左衛門。長野種信の子か
    • 「筑前守種年(種実)に至り、豐臣秀吉に歸順し、日向財部三萬石に封ぜらる、其子長門守種長、關ケ原の役初め西軍に屬し、後東軍に降りて本領を安堵す、財部は卽ち今の高鍋なり。初め種長嗣なし、種年(種実)の弟長野種信の孫釆女(種貞)を養ひて子とす、既にして種春を生む、慶長十八(十九)年六月種長卒。」『宮崎県大観』

出典

  1. ↑ 藩翰譜 : 12巻 巻六P.20
  2. ↑ 中村知裕『戦国九州と秋月種実』(秋月氏関係系図『歴史群像』186号(ワン・パブリッシング、2024年)93頁掲載図)P.166
  3. ↑ 『寛政重脩諸家譜 第7輯』國民圖書、1923年、201頁。doi:10.11501/1082721。