程希賢

ウィキペディアから、無料の百科事典
程希賢
プロフィール
出生: 1892年(清光緒18年)
死去: 不詳
出身地: 清の旗 清直隷省河間府景州
職業: 軍人
各種表記
繁体字: 程希賢
簡体字: 程希贤
拼音: Chéng Xīxián
ラテン字: Ch'eng Hsi-hsien
和名表記: てい きけん
発音転記: チョン・シーシエン
テンプレートを表示

程 希賢(てい きけん)は中華民国の軍人。北京政府、国民軍、国民政府(国民革命軍)に属した。馮玉祥配下の「十三太保」[1]の1人としても知られる。字は偉儒。

事跡

早くから馮玉祥の兵営に入隊し、軍歴を重ねていく。1927年(民国16年)5月、馮玉祥が国民革命軍第2集団軍を率いて潼関から出撃した際に、程希賢は鹿鍾麟率いる第18軍で第66師師長に任ぜられた。北伐終了後の翌年秋、軍縮に伴い第26師師長に任ぜられたが、まもなく馮により罷免されている。

1929年(民国18年)3月、第29師師長に任ぜられたが、同年、山東省政府高等顧問に転じる。1931年(民国20年)、北平軍事整理委員会委員に任ぜられた。1936年(民国25年)、天津市保安総隊長兼冀察政務委員会委員(兼外交委員)となる。翌年、日中戦争(抗日戦争)が勃発すると、石友三率いる第181師で副市長に任ぜられた。

後に汪兆銘政権(南京国民政府)に降り、開封綏靖委員会機要組組長、軍事参議院中将参議の他、1945年(民国34年)2月より江蘇省第8区行政督察専員兼江蘇第1区清郷督察専員と歴任した。

汪兆銘政権崩壊後の消息は不明である。

脚注

  1. ↑ 程希賢に加え、孫良誠、韓復榘、石友三、張維璽、過之綱、劉汝明、聞承烈、佟麟閣、孫連仲、韓多峰、葛金章、趙席聘の13人を指す。

参考文献

  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。