第39回毎日王冠

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1988年10月9日に開催された第39回毎日王冠について記述する。

※年齢は全て旧表記にて表記

レース施行時の状況

1988年1月に笠松競馬場から中央競馬へ移籍したオグリキャップは初めての古馬との対戦となる高松宮杯を優勝して重賞5連勝を達成し、第98回天皇賞(秋)の前哨戦としてこのレースへの出走を決定した[1]。

その他にも当時の短距離戦線のトップホースであったニッポーテイオーに勝利した経験のあるダイナアクトレスとフレッシュボイス、さらに長期のヨーロッパ遠征から帰国した東京優駿優勝馬シリウスシンボリなど、当時の中央競馬の一流馬が数多く出走した[2]。

出走馬

天候:晴れ、芝:稍重

※施行条件については毎日王冠も参照。

スタート前にシリウスシンボリが暴れてレジェンドテイオーを蹴りつけ、レジェンドテイオーが発走除外となった[3]ため、11頭立てとなった。

オグリキャップは初めての古馬との対戦となる前走高松宮杯でも単勝支持率1.2倍と断然の人気であったが、前年度同レースの覇者で重賞常連のランドヒリュウを事実上のマッチレースの末に下し重賞5連勝、笠松からの通算で13連勝、連対率100%を継続していた[1]。

本レースでは前走より大幅に相手関係は強化されたものの、オグリキャップは1.7倍と断然の1番人気で、続いて、前年度優勝馬、前走安田記念ではニッポーテイオーの2着だった岡部幸雄のダイナアクトレスが5.1倍、前走、青函トンネル開通記念でシリウスシンボリ、ウインドストース、トウショウサミットらに快勝し、初のGⅠに駒を進めてきた柴田政人のボールドノースマンが5.7倍と、単勝支持率10倍以下は、この3頭のみであった[2]。

人気枠番馬番競走馬名性齢騎手調教師
168オグリキャップ牡4河内洋瀬戸口勉
279ダイナアクトレス牝6岡部幸雄矢野進
345ボールドノースマン牡5柴田政人稗田研二
457シリウスシンボリ牡7加藤和宏二本柳俊夫
544ランニングフリー牡6菅原泰夫本郷一彦
6710ウインドストース牡6杉浦宏昭二本柳俊夫
722フレッシュボイス牡6田原成貴境直行
856タイガールイス牡6的場均阿部新生
933マイネルダビテ牡5蛯沢誠治栗田博憲
10811トウショウサミット牡7柏崎正次奥平真治
11812マウントニゾン牡6天間昭一森安弘昭
除11レジェンドテイオー牡6郷原洋行田村駿仁
出走頭数:11頭[2]

レース結果

レース展開

レースは逃げ馬のレジェンドテイオーが除外になったため、無理にハナを主張する馬もおらず、1,000m通過が61.5秒とかなりのスローペースになった。馬群がほぼ一塊のまま第4コーナーに入り、直線ではまずダイナアクトレスとランニングフリーが抜け出してきたが、後方にいたオグリキャップが2頭を交わして先頭に立ち、遅れて追い込んできたシリウスシンボリの追撃を振り切って優勝した[2]。

結果

着順枠番馬番競走馬名タイム着差
168オグリキャップ1.49.2
257シリウスシンボリ1.49.41馬身1/4
345ボールドノースマン1.49.61馬身1/4
444ランニングフリー1.49.7クビ
579ダイナアクトレス1.50.12馬身1/2
622フレッシュボイス1.50.21/2
756タイガールイス1.50.3クビ
833マイネルダビテ1.50.3アタマ
9811トウショウサミット1.50.62馬身
10812マウントニゾン1.50.81馬身
11710ウインドストース1.51.75馬身
除11レジェンドテイオー--
12.8-11.8-12.3-12.3-12.3-11.7-12-11.6-12.4
12.8-24.6-36.9-49.2-61.5-73.2-85.2-96.8-109.2

払戻

単勝式8170円
複勝式8120円
7210円
5150円
枠連5-6930円

エピソード

  • オグリキャップは当時の中央競馬における重賞優勝の最多(タイ)記録となる6連勝を記録した[1]。
  • 大橋巨泉はオグリキャップのレースぶりについて、「古馬の一線級を相手に、スローペースを後方から大外廻って、一気に差し切るなどという芸当は、今まで見たことがない。」、「どうやらオグリキャップは本当のホンモノの怪物らしい。」とした[4]。

参考文献

書籍

  • 渡瀬夏彦『銀の夢 オグリキャップに賭けた人々』講談社、1992年。ISBN 4062052822。 

出典

  1. 1 2 3 オグリキャップの競走成績netkeiba、2024年2月15日
  2. 1 2 3 4 第39回毎日王冠(G2)netkeiba、2024年2月15日
  3. ↑ 真田南夫「[競馬入門]赤リボン 蹴り癖に注意」『読売新聞大阪夕刊』2009年9月19日、2面。
  4. ↑ 渡瀬1992、165-166頁。