勝ち上がり方式
2008年度まではポイント制の勝ち上がり方式であったが、2009年度よりポイント制を廃止し、トーナメント制度を復活させた。6日間開催時に行われていた敗者復活戦を再び採用し、さらにドリームレース・オリオン賞レースの成績上位者を集めた「シャイニングスター賞」の1着選手には、準決勝免除で決勝進出権が与えられる[1]。これにより、2002年の日本選手権競輪で採用された6日間トーナメントを5日間に短縮する形での勝ち上がりに変更された。
以下は勝ち上がり組のみを対象に記す。5日間とも11レース。
- 「一次予選」 合計10レース行われ、各レース1着10名が「二次予選」、2着10名のうち平均競走得点上位8名が「二次予選」、2着10名のうち平均競走得点下位2名と3着から4着20名、5着のうち平均競走得点上位5名が「敗者復活I」進出。
- 「ドリームレース」 最上位の特別選抜予選、という位置づけで、最終レースに行われ、1着から4着4名が無条件で3日目の「シャイニングスター賞」と、4日目の「準決勝」進出の権利が同時に得られる。5着から9着5名は「二次予選」進出。
- 「敗者復活I」 合計3レース行われ、各レース1着から3着9名が「敗者復活II」進出。
- 「特別選抜予選」 合計3レース行われ、各レース1着3名が無条件で3日目の「シャイニングスター賞」と、4日目の「準決勝」進出権利が同時に得られる。2着から9着24名は「二次予選」進出。
- 「オリオン賞レース」 上位の特別選抜予選、という位置づけで、最終レースに行われ、1着から2着2名が無条件で3日目の「シャイニングスター賞」と、4日目の「準決勝」進出権利が同時に得られる。3着から9着7名は「二次予選」進出。
- 「敗者復活II」 1レース行われ、1着1名が「準決勝」進出。
- 「二次予選」 合計6レース行われ、各レース1着から4着24名と5着のうち平均競走得点上位3名が「準決勝」進出。
- 「シャイニングスター賞」 二次特別選抜予選として、最終レースに行われる。1着1名が無条件で最終日の「決勝」進出権利が得られる。2着から9着8名は「準決勝」進出。
- 「準決勝」 合計4レース行われ、各レース1着から2着8名が「決勝」進出。
- 「決勝」 最終レース。上位3着までは表彰式で表彰台に上がることができる。また、優勝者には優勝インタビューやウイニングランなどが執り行われる。
- 「特別優秀」 「決勝」の2つ前の合計2レース。「準決勝」各レース3着から5着12名と、4日目「優秀」各レース1着から2着6名により行われる。
決勝戦
7番手からの大捲りを決めた山崎は[2]、オールスター競輪としては初優勝。GI優勝は通算7度目[3]。この結果、ダービーのみを残してグランドスラム達成に王手をかけた。
成績
・各項目について
| 着 |
番 |
選手名 |
齢 |
府県 |
期別 |
級班 |
着差 |
上り |
決ま り手 |
S/J H/B |
個人 状況 |
| 1 |
9 |
山崎芳仁 |
31 |
福島 |
88 |
SS |
|
10.9 |
捲り |
|
|
| 2 |
2 |
佐藤慎太郎 |
33 |
福島 |
78 |
S1 |
3/4身 |
10.9 |
マーク |
|
|
| 3 |
1 |
海老根恵太 |
33 |
千葉 |
86 |
SS |
3身 |
11.3 |
|
|
|
|
| 4 |
5 |
神山雄一郎 |
42 |
栃木 |
61 |
SS |
1/8輪 |
11.5 |
|
|
|
| 5 |
6 |
佐々木雄一 |
30 |
福島 |
83 |
S1 |
3/4身 |
11.1 |
|
|
|
| 6 |
8 |
石毛克幸 |
33 |
千葉 |
84 |
S1 |
1/2輪 |
11.3 |
|
|
|
| 7 |
7 |
大塚健一郎 |
32 |
大分 |
82 |
S1 |
1/4輪 |
11.7 |
|
|
|
| 8 |
3 |
武田豊樹 |
36 |
茨城 |
88 |
SS |
2身 |
11.9 |
|
|
|
| 9 |
4 |
吉田敏洋 |
30 |
愛知 |
85 |
S1 |
1身 |
12.1 |
|
HB |
|
配当金額
・各項目について
| 2枠複 |
|
3連複 |
|
| 2枠単 |
|
3連単 |
|
|
| 2車複 |
|
ワイド |
| 2=9 |
290円 |
(1) |
| 1=9 |
380円 |
(4) |
| 1=2 |
660円 |
(10) |
|
| 2車単 |
|
特記事項
- 決勝戦の地上波中継は、一部放送局[4]でCS放送の同時ネットを行った。
- 五日間の総売上は127億9716万9800円で、目標額の140億円には届かなかった。
- 坂本貴史が、本大会でGI初出場。父の坂本勉も同時に選出されており、史上初となる、親子同時GI大会出場を果たした[5]。