山崎芳仁

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山崎 芳仁
Yoshihito Yamazaki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1979-06-12) 1979年6月12日(47歳)
出身地 福島県いわき市
身長 174cm
体重 75kg
縁故選手 山崎歩夢(長男。125期)
山崎司(弟。95期)
選手情報
登録番号 013920
所属 日本競輪選手会福島支部
ホーム いわき平競輪場
期別 88期
脚質 先行・捲り
アマチュア経歴
1996-1998 学校法人石川高等学校
登録地
2003- 福島
業績
S級S班 2008-2011 2013, 2016
特別競輪勝利
GI高松宮記念杯2006
GI競輪祭2007, 2009
GI全日本選抜2007, 2009, 2015
GI寬仁親王牌2008
GIオールスター競輪2010, 2012
GIIヤンググランプリ2005
GII東日本王座決定戦2006
GIIふるさとダービー2007
GII共同通信社杯 秋本番2009
選手情報 KEIRIN.JP
■最終更新日:2025年6月24日  ■テンプレートを表示

山崎 芳仁(やまざき よしひと、1979年6月12日 - )は競輪選手。日本競輪選手会福島支部所属、ホームバンクはいわき平競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第88期生。師匠は添田広福。血液型はAB型。福島県いわき市出身。長男の山崎歩夢(125期)、弟の山崎司(95期)も競輪選手。

来歴

学校法人石川高等学校を卒業後、5回目の受験で競輪学校に合格。本人曰く、度々受験に失敗した理由は学科試験にあるといい、「学科試験のなくなった今[1]なら一発で合格していましたよ」と回想している。

初出走は2003年7月14日の西武園競輪場で、初勝利は同開催の翌日。デビューの1年後にS級に特別昇級し、2005年のヤンググランプリで優勝。翌2006年には伊東温泉競輪場で東王座戦に優勝すると、さらには高松宮記念杯競輪でGI初決勝戦進出ながら初優勝を果たし、一気にトップスターの仲間入りを果たした。

2007年には年明け最初のGI競輪祭を優勝しGI2勝目を奪取。その後8月には函館競輪場で行われたふるさとダービーを制し、12月にも全日本選抜競輪を優勝してGI年間2勝目を挙げた。2008年には寬仁親王牌を制覇している。

2009年は1月の競輪祭と8月の全日本選抜決勝で優勝し、2010年には9月に地元のいわき平競輪場で開催されたオールスター競輪を優勝するなど、これまで2006年以降年間1つ以上のGIタイトルを獲得しており、これで5つのGIを制覇したことになった。

グランドスラムまで残すタイトルは日本選手権競輪のみとなったが、現在に至るまで日本選手権のタイトルは獲れていない。日本選手権競輪では、第65回(2012年)決勝で最終3コーナーから捲りを放って直線では外から一気に伸びたものの、インを突いて伸びた同県の成田和也に先着され2着となりグランドスラムを達成できなかった。ただ、同年のオールスター決勝では渡邉一成・成田との福島88期トリオで連携し、逃げた渡邉の後位より直線前から追い込んで2年ぶりの優勝を果たしている。その後、2015年の全日本選抜競輪決勝で最終バック8番手からの鋭い捲り追い込みが決まり、同レース3回目の優勝を果たし、S級1班を維持している限り同大会に優先出場できる権利を保有している。

それ以降はGIタイトルからは遠ざかっているものの安定して活躍しており、最上位であるS級1班格付けを維持し続けている。2024年8月17日、第67回オールスター競輪(平塚競輪場)5日目第5レース(特選二)で勝利し、通算500勝を達成。S級創設(1983年4月)以降女子(4人)を含めて通算59人目の記録で、登録日から21年3か月16日、通算1597戦目での達成であった[2]。同年12月1日、いわき平競輪場において通算500勝表彰式が執り行われた[3]。

主な獲得タイトルと記録

競走スタイル

デビュー当初から同期の武田豊樹と共に競輪界の一時代を担う逸材として期待されており、長距離の先行をこなすほど豊富なスタミナと群を抜くトップスピードで、その実力は現在の競輪界を背負って立つほどになった。

通常選手が用いる自転車の前後ギア比は3.54から3.64が主流であったが、山崎は4.00(フロントギア52・リアギア13)などの重たい大ギアを使いこなし、2012年のオールスター競輪では4.33のギアで優勝したほどである。重いギアは加速力の悪さと引き換えに持久力とトップスピードを補うために用いられてきたものだが、山崎は重いギアでの捲りもこなす前例のない強さを発揮した。

大ギアは競輪道や競輪のセオリーから言えば、脚力の衰えたベテラン選手が使うものであるとされていたが、山崎が記念や特別競輪で優勝を重ねて威力を実証したことにより、他の若手選手も大ギアの使用を追随し、競輪におけるエポックメイキングとなった。

しかし2015年の開催より4.00以上の大ギアの使用が規制されたため、これが山崎にとって不利になると見られていたが、規制後初の特別である全日本選抜では新たな上限近くの3.92で優勝している[5]。

その後は脚質は「自在」となり、さらに2026年からは「追込」となっており、いわゆる『マーク屋』として先行選手の後ろを固める戦法にチェンジした[6]。

エピソード

  • 長男の歩夢が2027年上期において初のS級1班格付けが決定[11]。これにより史上初の親子同時S級1班在籍を果たすこととなった。

脚注

  1. ↑ 日本競輪選手養成所となった現在は、一次試験における学科試験は廃止されたものの、二次試験においてSPI(内容は高卒程度レベル)が課されるため、学科試験自体がなくなったわけではない。ただ、受験資格のうち学歴に関する項目は撤廃されたため、中卒であっても満17歳以上かつ高卒程度の学力があれば合格は可能である(119期の林昌幸は高校2年生の時に養成所入所試験を受験し合格したため、そのまま高校を中退して養成所に入所した)。
  2. ↑ “山崎芳仁選手の通算500勝達成について”. keirin.jp (2024年8月18日). 2024年8月18日閲覧。
  3. ↑ “齋藤登志信選手、山崎芳仁選手通算500勝達成の表彰式が開催されました!!”. KEIRIN.JP. JKA (2024年12月1日). 2024年12月2日閲覧。
  4. ↑ “日本選手権競輪(GI)連続出場選手の表彰について”. KEIRIN.JP (2024年4月30日). 2024年4月30日閲覧。
  5. ↑ 【静岡・全日本選抜競輪】山崎復活!ギア規制後初のG1制した - スポーツニッポン・2015年2月16日
  6. ↑ “【川崎競輪】レジェンド・山崎芳仁が優出一番乗り 現在は追い込み転向中「ひとつひとつ勉強」”. 東京スポーツ. 東京スポーツ祖新聞社. 2026年10月2日. 2026年10月3日閲覧.
  7. ↑ “福島県のアスリート・自転車 山崎歩夢 応援プロジェクト by 明治安田生命”. A-port+. 朝日新聞社. 2025年8月17日閲覧。
  8. ↑ “【競輪】山崎芳仁の長男・歩夢の素顔「親譲りの強くて愛されキャラ」/敢闘門の向こう側”. 日刊スポーツ. 日刊スポーツ新聞社. 2024年11月21日. 2025年7月22日閲覧.
  9. ↑ “山崎 歩夢選手のS級2班特別昇級について”. KEIRIN.JP. JKA (2025年4月24日). 2025年4月25日閲覧。
  10. ↑ “第68回 オールスター競輪 出場予定選手一覧表” (PDF). KEIRIN.JP. JKA (2025年6月23日). 2025年6月23日閲覧。
  11. ↑ “2027年前期S級1班昇級班者リスト” (PDF). KEIRIN.JP. JKA (2026年10月22日). 2026年10月25日閲覧。

関連項目

外部リンク