粟野頼之祐

ウィキペディアから、無料の百科事典
粟野頼之祐
生誕 1896年11月3日
兵庫県川辺郡六瀬村[1]
死没 1970年8月23日(73歳)
国籍 日本の旗 日本
研究分野 西洋古代史学、特にヘレニズム史[1]
研究機関 関西学院大学
出身校 青山学院高等学部
ウェスリアン大学(B.A.)
コロンビア大学(M.A.)
影響を
与えた人物
柘植一雄
主な受賞歴 学士院賞[1]
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

粟野 頼之祐(あわの らいのすけ、1896年11月3日 - 1970年8月23日)は、ボストン美術館東洋部員[2][3]、歴史学者[3]、関西学院大学教授[3]。

経歴

兵庫県川辺郡六瀬村出身。1896年、川辺郡猪名川町島に生まれる[1]。猪名川町六瀬第二小学校[1]、大阪府立北野中学校[1]、青山学院高等学部卒業後、1927年米国オハイオ州ウェスリアン大学でB.A.、コロンビア大学大学院史学科でM.Aを取得[3]。その後1939年までハーバード大学にて碑文およびパピルス文書などの史料にもとづくヘレニズム史の研究を継続し、一時期ボストン美術館東洋部にも勤務[2][3]。1939年に帰国[4]後、神戸女学院講師を経て、1951年に招かれて関西学院大学文学部教授に就任し史学科を開設し[1]1967年の定年まで、その充実・発展のために尽力。1950年に『出土史料によるギリシャ史の研究』を刊行、これにより1951年に学士院賞を受賞[3]。1955年に、文学博士[1]。

1950年より関西学院大学が千刈地区に校地を求めようとした際に、それを積極的に推進し、現在の関西学院大学千刈キャンプ、旧農村センター、千刈カンツリー倶楽部敷地などの取得のために努力した[3]。

また郷土史への造詣を深め[4]、『北摂における木喰上人』(1967年)などを著し、北摂郷土史学を開拓した[1][4][5]。

没後その蔵書は関西学院大学図書館に粟野文庫[6]として納められ、ヘレニズム研究における基本資料となっている。ヘレニズム時代に関する多数の論文を著したほか、『図説世界文化史体系』(1960年)などにも執筆している[3]。

著作

単著

共著

雑誌

論文

脚注

  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 粟野『溪韻集 著者略歴』1967年。
  2. 1 2 平野千恵子『鳥居清長の生涯と芸術 序言』1944年。
  3. 1 2 3 4 5 6 7 8 “粟野頼之祐”. 学校法人関西学院. 2024年11月10日閲覧。
  4. 1 2 3 粟野『北摂における木喰上人』1967年、1頁。
  5. ↑ 藪田貫 (2018.12). 粟野頼之祐と「北摂郷土史学運動」 : もうひとつの戦後歴史学. 10. pp. 72 - 86.
  6. ↑ 『粟野文庫目録』関西学院大学図書館〈関西学院大学図書館特殊文庫目録 第4輯〉、1974年。

参考文献

関連項目