織田翔希
| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 | 福岡県北九州市 |
| 生年月日 | 2008年6月3日(18歳) |
| 身長 体重 |
186 cm 80 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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経歴
福岡県北九州市に3姉妹の中間子(2歳上の姉と2歳下の妹)として生まれる。北九州市立足立小学校1年時から「足立クラブ」で野球を始め、3年時から本格的に投手を務める。北九州市立足立中学校時代は同校の軟式野球部に所属し、3年時には最速143km/hを計測して全国大会に出場した。
高校時代
横浜高等学校では1年時春からベンチ入りを果たし、秋季関東大会準々決勝の東農大二戦で公式戦初完投初完封を達成すると、明治神宮野球大会でも明徳義塾相手に2安打完封した。
2年時春の第97回選抜高等学校野球大会では、奥村頼人との2枚看板として活躍し、チームの選抜甲子園優勝に大きく貢献した。同年夏はベスト8になった。
3年時の春季関東大会の浦和学院戦でリリーフとして最速154km/hを計測。同年夏の第108回全国高等学校野球選手権大会ではエース背番号「1」を背負って出場。準々決勝の花巻東戦などで、当時甲子園史上最速記録の156km/hを出した。先発でありながら試合を通して平均152km/h台の直球を叩き出す圧倒的な投球を見せ、チームのベスト4進出を牽引。しかし、準決勝の智弁和歌山戦では3ラン本塁打を被弾したことがひびき、惜しくも敗退した[1]。
この年のU-18アジア選手権で登板した際には、メジャー18球団を含む[2]日米20球団のスカウトが熱視線を送るなど[3]、日米から注目され、甲子園での敗戦後には、進路についてMLBを視野に入れていることも明らかになっていた[4]。9月17日にはプロ志望届を提出していた[5]。
2026年10月15日、横浜高校で会見に臨んだ織田は、卒業後の進路について「自分の最終目標である世界一のピッチャー、世界で活躍するという目標に向け、アメリカの地で挑戦することに決めました」と述べ、米球界挑戦の意志を明らかにした[6]。また、MLBだけでなく、米大学への進学も選択肢に入れていると明らかにした[7]。
代表歴
2026年8月22日、日本高校野球連盟より同年9月に台湾・台北市で開催される第14回 BFA U-18アジア選手権大会の高校日本代表メンバー18名に選出されたことが発表された[9]。
選手としての特徴
最速157km/hのストレートが最大の武器であり、高い奪三振能力と完投できるスタミナを兼ね備える。変化球はカーブ、スライダー、チェンジアップ、フォークがある。
外部リンク
脚注
- ↑ “織田翔希 横浜高”. 週刊ベースボールONLINE. 2026年8月22日閲覧。
- ↑ “【U―18】織田翔希、メジャー18球団の前で真骨頂 ドジャース、パドレスなど異例の大集結 負けたらV逸の台湾戦で最速155キロ快投…決勝進出の立役者に”. スポーツ報知 (2026年9月12日). 2026年10月22日閲覧。
- ↑ “横浜・織田翔希、メジャー挑戦が決定的 NPB球団との面談終了しきょう会見 ドラフト目玉の高校生では超異例”. スポーツ報知 (2026年10月15日). 2026年10月22日閲覧。
- ↑ “【高校野球】横浜・織田翔希、進路決定の軸は「自分の気持ち」日米で揺れる進路、今後はプロ球団と面談へ…国民スポーツ大会準決勝で敗退”. スポーツ報知 (2026年10月4日). 2026年10月22日閲覧。
- ↑ “【高校野球】横浜・織田翔希、進路決定の軸は「自分の気持ち」日米で揺れる進路、今後はプロ球団と面談へ…国民スポーツ大会準決勝で敗退”. スポーツ報知 (2026年10月4日). 2026年10月22日閲覧。
- ↑ 「横浜・織田翔希、米球界挑戦を表明「アメリカの地で挑戦することに決めました」」『サンケイスポーツ』2026年10月15日。2026年10月15日閲覧。
- ↑ “織田翔希はMLBか米大学か 決断は「環境、私生活の部分も考えながら」 “選べる”メジャーはロックアウトの可能性も”. スポーツ報知 (2026年10月15日). 2026年10月22日閲覧。
- ↑ “【ドラフト】巨人が横浜・織田翔希を1位指名 米球界挑戦表明の剛腕指名に会場どよめく…水野編成本部長「日本のプロ野球ファンの方々にお見せしたいなという気持ち」”. スポーツ報知. 2026年10月22日閲覧。
- ↑ 保坂淑子. “【一覧】U18代表に横浜の最速157キロ右腕織田翔希、高岡第一最速156キロ左腕前田侑大ら - 高校野球”. 日刊スポーツ. 2026年8月22日閲覧。