羊 烈(よう れつ、513年 - 586年)は、中国の北魏から北斉にかけての政治家。字は儒卿[注釈 1]。本貫は泰山郡梁父県。

経歴

羊瑩の子として生まれた。北魏の孝昌年間、羊烈の従兄の羊侃が泰山郡太守となったが、泰山郡に拠って叛き、南朝梁に降った。羊烈は羊家の禍となることを恐れて、従兄の広平郡太守羊敦とともに洛陽に赴き、従兄の叛乱を報告した。北魏の朝廷は羊烈を賞賛して褒美を与えようとしたが、固辞して受け取らなかった。

17歳のとき、州に主簿として召され、治中従事を兼ねた。咸陽王元坦の下で行参軍となり、秘書郎に転じた。550年、北斉が建国されると儀同三司となり、開府儀同三司に進んだ。倉曹参軍事をつとめた。太子歩兵校尉・軽車将軍に任ぜられ、まもなく并省比部郎中に転じ、司徒属となり、尚書祠部・左民郎中・右民郎中を歴任した。558年、陽平郡太守[注釈 2]となり、有能で知られた。このころ頻繁に蝗害が発生したが、犬の歯を使って蝗を陽平郡境に入れなかったとされ、勅書で賞賛された。561年、光禄少卿に転じ、龍驤将軍・兗州大中正の位を加えられ、平南将軍に進んだ。天統年間、太中大夫に任ぜられ、光禄少卿を兼ねた。570年、驃騎将軍・義州刺史に任ぜられた。まもなく老病のため郷里に帰った。586年2月16日、沙丘里の舎で死去した[注釈 3]。享年は74。

逸話・人物

墓誌

1993年、山東省新泰市羊流鎮で羊烈の墓誌が出土した。同時に羊烈の妻の長孫敬顔の墓誌も出土している。現在は新泰市博物館に所蔵されている。

家族

妻子

妻

男子

  • 羊行思は、早逝した。
  • 羊敏方は、博陵崔氏を妻とした。
  • 羊敏正は、早逝した。
  • 羊敏行は、趙郡李氏を妻とした。
  • 羊敏則
  • 羊敏博
  • 羊敏斉は、早逝した。

女子

  • 羊樊□は、早逝した。
  • 羊静□
  • 羊静則
  • 羊静徳は、敦煌の李□英にとついだ。
  • 羊静猗は、早逝した。
  • 羊静□
  • 羊无□、早逝した。
  • 羊静質は、北海の王弘基にとついだ。
  • 羊静□

伝記資料

脚注

注釈

  1. ↑ 墓誌によると、字は儒卿。
  2. ↑ 墓誌では、黎陽郡太守。
  3. ↑ 墓誌の記述による。正史では北周の大象年間に死去したとされている。
  4. ↑ 以下は長孫敬顔墓誌の記述による。

出典

  1. ↑ 羅新・葉煒『新出魏晋南北朝墓志疏証』(中華書局、2005)P401。

外部リンク

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