花澤鼎

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花澤 鼎
花澤鼎
生誕 (1882-05-25) 1882年5月25日
千葉県香取郡香西村大字伊能(現・成田市)
死没 (1950-02-22) 1950年2月22日(67歳没)
研究分野 口腔病理学
研究機関 東京歯科医学専門学校・東京歯科大学
出身校 東京歯科医学院
影響を受けた人物 血脇守之助[1]
影響を与えた人物 松宮誠一 田熊庄三郎
プロジェクト:人物伝
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花澤 鼎(はなざわ かなえ、1882年5月25日 - 1950年2月22日)は、日本の歯科医師、歯学者。口腔病理学を専門とし、東京歯科医学専門学校教授、同附属病院長、東京歯科大学予科長などを務めた。1923年(大正12年)、慶應義塾大学から医学博士の学位を授与され、歯科医師として最初の医学博士となった。[2][3]

経歴

1882年(明治15年)5月25日、千葉県香取郡香西村大字伊能に根本家の次男として生まれた。1896年(明治29年)に花澤家の養子となり、以後花澤姓を名乗った[4]。

1900年(明治33年)に東京歯科医学院へ入学し、1902年(明治35年)に卒業した[2][4]。卒業後は大阪医学校研究所で病理学を専攻し、1905年(明治38年)に東京歯科医学院に勤務した[2]。1907年(明治40年)、東京歯科医学専門学校教授となった[2]。

1913年(大正2年)、ドイツへ留学し、ストラスブルク大学で研究に従事した[2][4]。1914年(大正3年)、第一次世界大戦の勃発に伴い帰国した[4]。

帰国後は東京歯科医学専門学校において病理組織学を中心とする教育・研究に携わった。1920年(大正9年)から同校附属病院長を務めた[2]。

1923年(大正12年)、慶應義塾大学から医学博士の学位を授与された。これは歯科医師として最初の医学博士取得であった[2][3]。

1946年(昭和21年)、旧制東京歯科大学の設置認可に伴い、初代予科長に就任した[3]。

1950年(昭和25年)2月22日に死去した。67歳[2][3]。

研究

花澤は歯科組織学および口腔病理学を中心として、歯牙硬組織や歯髄などに関する病理組織学的研究を行った[4]。また、齲蝕、感染根管、根端病巣などの病理と治療法についても研究した[4]。

東京歯科医学院では病理組織学研究の基盤形成に携わり、顕微鏡を用いた歯科組織学・口腔病理学研究を進めた[4]。

1915年(大正4年)には『歯科組織及病理研究法』を刊行した[5]。その後、『歯科胎生学』『歯科組織学』『歯科病理学』『歯牙組織図説』などを著し、歯の発生、正常組織および病的変化について著述した[5]。

研究の継承

花澤が東京歯科医学専門学校で進めた口腔病理学研究は、後進の研究者へ継承された。東京歯科大学の大学史に関する資料では、花澤の研究室は東京歯科医学専門学校時代に隆盛し、戦時中も研究が継続された。その研究業績は松宮誠一へと引き継がれ、さらに田熊庄三郎らによる研究へと継承された[1]。

松宮と田熊らは、電子顕微鏡を用いた歯牙硬組織の微細構造研究を進めた。1954年(昭和29年)には松宮と田熊の共著による『齒牙電子顯微鏡圖説』が東京歯科大学出版部から刊行された[6]。

花澤の著作も後進によって継承され、『歯牙組織図説』は花澤の死後、1957年(昭和32年)に松宮誠一、松井隆弘、田熊庄三郎の改訂による第3版が東京歯科大学出版部から刊行された[7]。

著書

  • 『歯科組織及病理研究法』歯科学報社、1915年。[5]
  • 『保存齒科學』W・D・ミラー原著、花澤鼎纂訳、東京歯科医学専門学校出版部、1916年。[5]
  • 『齒科胎生學』歯科学報社、1924年。[5]
  • 『齒科組織學』歯科学報社、1924年。[5]
  • 『齒科病理學』歯科学報社、1924年。[5]
  • 『歯牙再植術』杉山不二との共述、歯科学報社、1925年。[5]
  • 『根管の處置』歯科学報社、1927年。[5]
  • 『齒牙組織圖説』歯科学報社、1935年。[7]

顕彰

1964年(昭和39年)、千葉県香取郡大栄町(現・成田市)の花澤の生家前に顕彰碑が建立され、同年5月31日に除幕式が行われた。花澤の業績を知った同町有志の発議に、母校の千葉県同窓および門下生らが賛同して建立したもので、碑には「歯科病理学之祖 花澤鼎先生之碑」と刻まれている[4]。

花澤の墓所は松戸市の八柱霊園にある。田熊によれば、花澤の命日には松宮誠一と近藤三郎が教室員を伴って墓所を清掃することを恒例としていた[4]。

花澤文庫

花澤の死後、妻・常子からの寄付を基金として、1950年(昭和25年)8月に東京歯科大学図書館に「花澤文庫」が開設された[3]。花澤の旧蔵書からなり、東京歯科大学図書館によれば424点が収録されている[3]。

脚注

  1. 1 2 金子譲 (2009). “血脇イズムと近代日本の教育制度”. 東京歯科大学広報 (東京歯科大学) (239) 2026年9月26日閲覧。.
  2. 1 2 3 4 5 6 7 8 “花沢鼎”. コトバンク. 2026年9月16日閲覧。
  3. 1 2 3 4 5 6 “個人文庫-花澤文庫”. 東京歯科大学図書館. 東京歯科大学. 2026年9月16日閲覧。
  4. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 田熊庄三郎「花澤 鼎 小伝」pp.2089-2099。
  5. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 “花沢, 鼎”. CiNii Books. 国立情報学研究所. 2026年9月16日閲覧。
  6. ↑ “齒牙電子顯微鏡圖説”. CiNii Books. 国立情報学研究所. 2026年9月16日閲覧。
  7. 1 2 “歯牙組織図説”. CiNii Books. 国立情報学研究所. 2026年9月16日閲覧。

参考文献

  • Formation, structure, and diseases of teeth : in commemoration of the eightieth anniversary of the Department of Oral Pathology, Tokyo Dental College. Volume3、Academy H-E 、1990年。
  • 金子譲「血脇イズムと近代日本の教育制度」『東京歯科大学広報』第239号、東京歯科大学、2009年。

外部リンク