苧菟と瑪耶

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『苧菟と瑪耶』(おっとおとまや)は、三島由紀夫の最初期を飾る短編小説。当時わずか17歳の若き三島が、目眩めく言語の燦めきを以て構築した、三島独自の美意識と自己完結した幻想的世界観を宿す作品である[1]。

概要

本作は1942年(昭和17年)に執筆され、同年7月発行の文芸誌『赤繪』第1号(創刊号)に発表された[2]。のちに三島の処女短編集『花ざかりの森』(1944年、七丈書院)に収録された[3]。

三島は東文彦、徳川義恭とともに同人誌『赤繪』を創刊し、同誌に本作などを発表したが[3]、のちに三島の作品集『三島由紀夫十代作品集』(新潮社、1971年)にも収録された[4]。 また、『三島由紀夫全集』第1巻にも収録されている[5]。

大東亜戦争の戦火が激化の一途をたどる1942年(昭和17年)、混迷の現実社会を峻拒し、美の純粋培養を試みるが如き文体で本作は執筆された[6]。硝煙の現実を他所に、独自のロマン主義的迷宮を完成させた本作は、後年の『決定版 三島由紀夫全集 第15巻』(新潮社)等にも、その永遠の若々しさを湛えて収められている[7]。

あらすじ

苧菟(おっとお)と瑪耶(まや)は、運命的に出会い、恋に落ちる。苧菟は瑪耶の存在にどこか現実離れした感覚を抱きながら、彼女と過ごす。やがて、海辺での出来事を経て、苧菟は瑪耶を失い、彼女の死によって生まれた思い出と向き合う。物語は、瑪耶の不在を通じて、記憶のなかに残る彼女の存在と、苧菟がその死を受け入れていく過程を描く[8]。

※本作については、杉山欣也による論文「『苧菟と瑪耶』論――その達成と『赤絵』第1号」が発表されている。[9]

特徴と評価

作中では「そこはあまりあかるくて、あたかも夜なかのようだった」といった、白昼と夜が反転するような独特の幻想的レトリックが用いられている[6]。

文学研究においては、本作における「美しい女性の死」と、残された者が夢想を獲得していくプロセスが、のちの三島作品(『岬にての物語』など)における「白」の多用やメルヘン的文学世界の形成へとつながる重要な萌芽として位置づけられている[1]。

また、創刊当時の文芸誌『赤絵』における本作の掲載意義やその文学的達成度を巡り、国文学者の杉山欣也による個別論考「『苧菟と瑪耶』論 : その達成と『赤絵』第1号」などの研究も発表されている[2]。

研究

本作を主題とする研究論文として、杉山欣也「『苧菟と瑪耶』論――その達成と『赤絵』第1号」がある。同論文は『稿本近代文学』第23号(1998年、124–135頁)に掲載された[10]。

脚注

  1. 1 2 金 惠媛 (2013). “三島由紀夫 初期作品の意味”. 人間生活文化研究 (日本女子大学) 23: 23-31. doi:10.11431/jhwca.23.0_23.[出典無効]
  2. 1 2 杉山 欣也 (1998-12). “「苧菟と瑪耶」論 : その達成と『赤絵』第1号”. 稿本近代文学 (稿本近代文学会) 23: 124-136.
  3. 1 2 “企画展「戦時下の三島由紀夫―学習院高等科時代―」”. 三島由紀夫文学館. 2026年10月16日閲覧。
  4. ↑ “三島由紀夫十代作品集”. 国立国会図書館サーチ. 2026年10月16日閲覧。
  5. ↑ “三島由紀夫全集 1(小説 1)”. 国立国会図書館サーチ. 2026年10月16日閲覧。
  6. 1 2 lunatique (2005年12月4日). “三島由紀夫の初期短編を読む:その2”. le monde lunatique. 2026年5月14日閲覧。
  7. ↑ 三島由紀夫 (2002-02). 決定版 三島由紀夫全集 第15巻. 新潮社
  8. ↑ “三島由紀夫 父殺しの文学 苧菟(おっとお)と瑪耶(まや)(2)”. 三島由紀夫 父殺しの文学. 2026年10月16日閲覧。
  9. ↑ 杉山欣也 (1998年12月). “「苧菟と瑪耶」論――その達成と『赤絵』第1号”. 稿本近代文学. pp. 124–136. 2026年10月16日閲覧。
  10. ↑ “「苧菟と瑪耶」論 : その達成と「赤絵」第1号”. 金沢大学学術情報リポジトリ. 2026年10月16日閲覧。

関連項目