藤原有信

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藤原有信
時代 平安時代中期-後期
生誕 長久元年(1040年)
死没 康和元年7月11日[1](1099年8月6日)
別名 日野有信
官位 従四位下、右中弁
主君 後冷泉天皇→後三条天皇→白河天皇→堀河天皇
氏族 藤原北家真夏流
父母 父:藤原実綱、母:源道成の娘
兄弟 有綱、有俊、有信、有定、有長、実国、藤原宗俊室
妻 藤原実政の娘
子 実光、宗光、資経、有範、範綱、資光、宗慶、増覚、覚秀、増実、藤原宗兼室
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藤原 有信(ふじわら の ありのぶ)は、平安時代中期から後期にかけての貴族、漢詩人、歌人、儒学者。藤原北家真夏流、式部大輔・藤原実綱の三男。官位は従四位下・右中弁。日野有信とも。

経歴

文章生・文章得業生を経て対策に及第し、康平8年(1065年)後冷泉天皇の六位蔵人に補せられる。治暦4年(1068年)後冷泉天皇の崩御に伴って蔵人を去るが、同年従五位下に叙爵した。白河朝では、実仁親王の東宮学士を務める。

堀河朝に入ると、兵部権大輔・左衛門権佐を務めたのち、寛治6年(1092年)右少弁に任ぜられる。その後は寛治8年(1094年)左少弁、承徳2年(1098年)右中弁と弁官を歴任し、承徳3年(1099年)正月に従四位下至る。この間、中宮大進として、中宮・篤子内親王に仕えたほか、藤原師通や藤原全子など摂関家の家司も務めている。

康和元年(1099年)7月11日卒去。享年60[2]。

官歴

※注記のないものは『弁官補任』による。

系譜

『尊卑分脈』による。

脚注

  1. ↑ 『本朝世紀』。『尊卑分脈』では9月10日。
  2. 1 2 3 『本朝世紀』
  3. 1 2 3 『朝野群載』345頁
  4. ↑ 『朝野群載』350頁
  5. 1 2 『水左記』
  6. ↑ 『蔵人補任』
  7. ↑ 『朝野群載』347頁
  8. ↑ 『大記』
  9. 1 2 『後二条師通記』
  10. ↑ 『中右記』

参考文献