黄龍2年(230年)春、孫権は衛温と諸葛直に武装兵1万を率いさせ、夷洲[1]・亶洲[2]へ向かわせた上で、未知地域の調査と現地民との交誼を行なう事を計画した。陸遜と全琮が反対したが、孫権の命により計画は実行に移された。
約1年後、衛温と諸葛直は帰国したが、亶洲へは遠すぎたため到達できなかった。また兵の八割から九割を疫病で失い(『呉主伝』)、成果は夷洲の現地民を数千人連れ帰っただけであった。衛温と諸葛直は、詔に背いて目的が果たせなかったとして、二人とも獄に繋がれ誅殺された。
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