説教(せっきょう)とは、宗教の教義・教典を、その信者や民衆に、口頭で説き明かすこと。また、そこで話される内容そのものを指す場合もある。転じて、目下の者に対して、教え導くために言い聞かせることや、堅苦しい教訓をいう場合もある(「親に説教される」など)。

本来の語義における説教の場面では、説教をする者(説教者、説教家)は、一般信徒や民衆よりも高度で専門的な教義・教典についての知識や見識を有する者であること、さらにそれをわかりやすく教え伝える能力に長けていることが期待される。

仏教

法話を行う禅師Thich Dieu Thien(2021年)

仏教においても説教は古来から行われてきたが、日本では「説教」「説経」両方の表記があり、法話とも称される[要出典]。仏の教えを説き伝えることを説法ともいう[1]。「説教」ないし「説経」の場合は、本来の法話の意味のみならず、芸能の一領域を意味することも多い。

ことばに抑揚をつけて行う説教(説経)は6世紀の仏教伝来以来、日本でも古くから行われていたとされ、特に平安時代末期から鎌倉時代にかけてあらわれた安居院流(あぐいりゅう)と寛元年間(1243年-1247年)に園城寺の定円がおこしたといわれる三井寺流が節付説教(唱導)の二大流派として成立した[2][3]。

「説経」が、伴奏楽器を鳴らし、あるいは踊りをともなったりして説経節や説経浄瑠璃などとして芸能化していくのに対し、「唱導」の方は必ずしもただちに芸能化せず、説教(法話)のかたちでのこったと考えられる[4]。しかし、この説教と説経節・ちょんがれとが結びついて中世の「節付説教」、さらに近世の「節談説教」へと発展していった[4]。節談説教は、江戸時代において民衆の娯楽となったいっぽう、浪曲・講談・落語など近世成立の諸芸能の母体となったが、これももともと唱導が音韻抑揚の節をもっていたことに由来すると考えられる[4]。

説教をなりわいとする人びとを説教師といった。落語の祖といわれる江戸時代初期の安楽庵策伝も説教師のひとりであったとされる。説教師は、明治期までその役割が持続し、全国各地の説教所を巡業する人気の説教師もいた。説教は話芸全般の母体となったものの、同時にその分化が進む過程で、布教純化の点から主流派から疎まれる存在となり、昭和以降は衰亡が目立った[注釈 1]。

キリスト教

18世紀にロンドンの集会で説教するクエーカーの女性説教者

脚注

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注釈

  1. ↑ 昭和期の説教師として祖父江省念は名人として知られている。

出典

  1. ↑ “説法(セッポウ)とは - コトバンク”. 朝日新聞社. 2017年10月12日閲覧。
  2. ↑ 釈(2011)pp.9-14
  3. ↑ ディーバー仁美「交感の宗教性-節談説教について」
  4. 1 2 3 五来(1988)pp.484-485
  5. ↑ 三浦智弘 訳『高校英語教師が翻訳した十六世紀英国教会説教集』Amazon Kindle Direct Publishing、2024年。ISBN 9798336346688。

参考文献

関連項目

仏教

キリスト教

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