豊平良一
豊平 良一(とよひら りょういち、1934年4月18日 - 2005年7月2日)は、日本の経営者。沖縄タイムス社社長、会長を務めた[1]。
経歴
沖縄県那覇市出身[1]。首里高校では、琉球銀行頭取を務めることになる中山吉一と同期であった[2]。1957年に日本大学法学部新聞学科を卒業し、同年4月に沖縄タイムス社入社[1]。1972年に本土復帰が実現する前から、県政を中心とした分野で健筆を振る舞い、復帰運動をリードした紙面作りに携わった[3]。1987年6月に取締役に就任し、1989年6月に常務、1994年6月に専務を得経て、同月には社長に就任[1]。1997年には創刊50周年に向けた増紙運動「チャレンジ70」を展開し、1997年から1999年にかけて、新聞の売上が6.3%に増加し、チラシ収入も7.1%に増加するという成果を挙げた[4]。2002年1月には本社社屋を那覇新都心にある那覇新都心メディアビルに移転した[4]。2002年6月から2004年6月までに会長を務めた[1][3]。1996年に発足した梶山静六内閣官房長官傘下の私的諮問機関「沖縄米軍基地所在市町村に関する懇談会」の沖縄側のメンバーとして、 稲嶺恵一沖縄県知事と共に参加し、米軍基地の整理・縮小を求めた[3]。
脚注
参考文献
- 人事興信所 編『人事興信録 第42版 下』人事興信所、2003年。
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