貫民之助
貫 民之助(貫 民之介、ぬき たみのすけ、1882年〈明治15年〉9月7日[1]- 1961年〈昭和36年〉12月4日[1])は、明治から昭和期にかけて活動したキリスト教の聖職者、神学者、教育者。日本聖公会の司祭。立教大学教授[2]。
生涯
元長州藩士で立教学校(現・立教大学)の初代幹事を務めた貫元介の長男として東京築地で生まれる[1][2]。
築地の立教学校(現・立教大学)に入学[3]。
1897年(明治30年)、元田作之進の提唱によって創設された伝道・奉仕団体「立教学校ミッション」(St. Paul's College Mission)に、稲垣陽一郎、池澤駿太郎、若月麻須美、宅間六郎らとともに創設メンバーとして参加した。日曜学校の運営や伝道活動に邁進し、明治後期の校内におけるキリスト教信仰復興運動(リバイバル)に深く関わった[2]。
卒業後は聖職者の道を歩み、水戸聖ステパノ教会に赴任[4]。1909年(明治42年)5月から1917年(大正6年)5月まで東京聖テモテ教会で司牧を務めた[5]。1932年(昭和7年)11月からは、東京の日本聖公会真光教会の管理司祭(牧師)に就任し、教会の指導にあたった[6]。
また、母校である立教大学の教授として教鞭を執り、後進の育成に努めた[2]。
立教学院の歴史調査・記録にも尽力し、『立教学院小史』(『築地の園』第100号、1908年1月)を著したほか、『立教学院八十五年史』の編集者の一人を担った[7][8]。また、群馬県草津でハンセン病患者の救済・医療・伝道に尽力したイギリス人女性宣教師メアリー・ヘレナ・コンウォール・リー(聖バルナバ・ミッション創設者)の伝記を執筆・刊行した[9]。
著書・編集
- 『立教学院小史』1908年
- 『コンオゥール・リー女史の生涯と偉業』コンオゥール・リー女史伝記刊行会、1954年
- 『基督教入門』
- 『立教学院八十五年史』(編集幹事)、1960年
親族・家族
- 妻・喬子 - 中島虎次郎の長女
脚注
- 1 2 3 日本キリスト教歴史大事典編集委員会『日本キリスト教歴史人名事典』教文館、2020年、566頁。
- 1 2 3 4 小川智瑞恵「立教大学の形成期における大学教育理念の模索 : 立教学院ミッションに着目して」『キリスト教教育研究』第32巻、立教大学、2015年6月、33-62頁。
- ↑ 『日本聖公会史』元田作之進 著、普光社、明43.10、P190
- ↑ 『弥生が丘の教会 [第1輯] (七十年の歩み)』日本聖公会東京聖テモテ教会、1973.7、P312
- ↑ 『弥生が丘の教会 [第1輯] (七十年の歩み)』日本聖公会東京聖テモテ教会、1973.7、P325
- ↑ 真光教会について - 日本聖公会東京教区 真光教会
- ↑ 『立教学院百年史』立教学院百年史編纂委員会 編、立教学院、1974、P151
- ↑ 『立教学院百年史』立教学院百年史編纂委員会 編、立教学院、1974、P157
- ↑ 『立教大学新聞 第91号』 1930年(昭和5年)9月25日