若月麻須美

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若月 麻須美(わかつき ますみ、1876年〈明治9年〉6月6日 - 1945年〈昭和20年〉11月24日[1])は、明治から昭和初期にかけて活動したキリスト教の神学者、聖職者。日本聖公会の司祭・伝道師[2]。日本聖公会における祈祷書(礼拝に用いる式文集)や教会論に関する重要な文献を執筆・出版した[3]。

人物・経歴

三重県桑名市出身[2]。

1895年(明治28年)11月、日清戦争直後に神学を志して田舎から上京。ジョン・マキム主教の勧めにより、神学校で学ぶ前に立教学校(現・立教大学)普通科に入学した[2]。入学当時は校内の宗教的勢力が最低潮で感化力も微弱であったが、翌1896年(明治29年)に立教学校は立教中学校・立教専修学校と改められ、4月より中学四年級に改編された。この状況に憤激した永野武三郎、稲垣陽一郎、池澤駿太郎、篠田らが「十字同盟」を起こして寄宿舎内の伝道を企て、青年会のモットーを組織して積極的な方針で校内の宗教的気風の振興を図った。さらに、フィッシャーが青年会の幹事として来日して大学や各ミッション・スクールに青年会を組織し、法科大学(現・東京大学法学部)学生の原誼太郎が学生同盟開始の幹事となり、小池や宇野らが熱心に活動し、モワト博士の三一会館における演説も行われた。さらに元田作之進博士が講師・専任牧師として帰国・来校したことで宗教的気運が最高潮に達した[4]。

1897年(明治30年)、元田作之進の創意により、青年の燃えさかる意気を聖公会流の軌道に載せて指導すべく、新しい団体である「立教学校ミッション」(St. Paul's College Mission)が創設された。このメンバーとして稲垣、池澤、若月麻須美、宅間六郎、貫民之助らが名を連ね、秘書と主計を稲垣が、書記を若月が担当した[5]。同ミッションでは日曜学校教師や、幻燈(スライド投影機)による伝道援助などが行われた。若月は、和田の教子として永野、稲垣、池澤をはじめ、宅間(幻燈機械の扱いに長けていた)、篠原(関西学院出身のメソジスト信者)、栗原執事、久保田富次郎先生、安田、曾根精、某、左乙女豊秋校長、玉置道、清田海一郎長老、名出保太郎長老、菅沼、榊といった諸先輩・関係者から温かく目をかけてもらい、親身に指導を受け、神田教会や九段教会、三一教会の日曜学校での奉仕に携わった。1898年(明治31年)に立教学校(現・立教大学)を卒業した[4][6][7]。

その後、東京聖三一神学校(現・聖公会神学院)を卒業。次いで米国へ留学し、ニューヨークにあるゼネラル・セオロジカル・セミナリー(General Theological Seminary)を経て、コロンビア大学(Columbia University)で修学し、マスター・オブ・アーツ(文学修士)を取得した[2][8]。

1902年(明治35年)、チャールズ・ライフスナイダー司祭とともに福井県福井へ派遣され、伝道師として教会(現在の福井聖三一教会・聖三一幼稚園の母体)の設立と発展に尽力した[9]。

1912年(大正元年)9月には富山県富山に赴任し、集会所の移転や宣教活動を進め、富山聖マリア教会の基盤を築いた[2][10]。

1916年(大正5年)から約20年間にわたり、奈良県大和・五條(五条)の五條聖三一教会にて司牧を務めた[2]。

主な著作

  • 『現代人と教会』若月麻須美 著、日本聖公会出版社、大正11
  • 『基督教会史』若月麻須美 著、聖公会出版社、昭和3
  • 『祈祷書の歴史及び内容』若月麻須美 著、聖公会出版社、昭13

脚注

  1. ↑ 日本キリスト教歴史大事典編集委員会『日本キリスト教歴史人名事典』教文館、2020年、899頁。
  2. 1 2 3 4 5 6 『基督教年鑑 昭和16年版』日本基督教聯盟年鑑部 編、日本基督教聯盟年鑑部、昭和16、p608
  3. ↑ 『聖公会と祈祷書 (立教学院ミツシヨンパンフレツト ; no.5)』若月麻須美 著、立教学院ミツシヨン、昭和9
  4. 1 2 『立教学院宗教運動の過去及現在 (立教学院ミツシヨンパンフレツト ; no.2)』前島潔 著、立教学院ミツシヨン、昭和8、p110-116
  5. ↑ 小川智瑞恵「立教大学の形成期における大学教育理念の模索 : 立教学院ミッションに着目して」『キリスト教教育研究』第32巻、立教大学、2015年6月、33-62頁。
  6. ↑ 『日本聖公会史』元田作之進 著、普光社、明43.10、P190
  7. ↑ 『立教大学同窓会会員名簿 : 創立80周年記念』立教大学同窓会、1955
  8. ↑ 『神学研究 18(2)』神学研究会、1927-04、P70
  9. ↑ 聖三一幼稚園 『福井聖三一教会と聖三一幼稚園』
  10. ↑ 『日本聖公会百年史』松平惟太郎 著, 日本聖公会歴史編纂委員会 編、日本聖公会教務院文書局、1959、P258