足利事件

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足利事件
場所

日本の旗 日本: 栃木県足利市

標的 女児(当時4歳)[2]
日付 1990年(平成2年)5月12日
20 - 22時ごろ(死亡推定時刻)[2] (UTC+9)
概要 パチンコ店駐車場から女児が誘拐され、翌朝に同店近くの渡良瀬川河川敷で遺体となって発見された[2]。
事件と無関係の男性が逮捕・起訴され、無期懲役が確定し、服役した冤罪事件。
真犯人が検挙されず、公訴時効が完成した未解決事件。
攻撃手段 窒息死
死亡者 1人
被害者 冤罪:菅家 利和
犯人 不明(公訴時効成立)
動機 不明
対処 菅家を逮捕・起訴(いずれも誤認)
刑事訴訟 無期懲役(後に再審無罪)
影響 日本弁護士連合会(日弁連)は、菅家の無罪確定まで再審を支援していた。
管轄 栃木県警察足利警察署
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すがや としかず
菅家 利和
生誕 (1946-10-11) 1946年10月11日(80歳)
日本の旗 日本 栃木県足利市
国籍 日本の旗 日本
職業 保育園の運転手(逮捕前)
社会運動家(無罪判決後)
活動期間 2010年 - 現在
著名な実績 無罪判決
代表作 『冤罪 ある日、私は犯人にされた』
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足利事件(あしかがじけん)とは、1990年(平成2年)5月12日に日本の栃木県足利市で発生した殺人・死体遺棄事件[2]。1990年5月12日18時30分ごろ、足利市伊勢南町のパチンコ店で、パチンコ店従業員の男性(事件当時33歳)がパチンコをしていたところ、一緒にいた男性の長女である保育園児の女児(当時4歳)[4]が行方不明になり、翌13日朝、パチンコ店から南東約600 m離れた同市田中町の渡良瀬川左岸河川敷のアシ原で絞殺された女児の遺体が発見された[2]。

事件翌年の1991年(平成3年)、事件と無関係だった菅家 利和(すがや としかず)が、被疑者として逮捕・被告人として起訴された。菅家は刑事裁判で2000年(平成12年)に警察独自開発のDNA鑑定手法による結果等を証拠として無期懲役の有罪判決が確定し、服役していたが、2009年(平成21年)5月に遺留物のDNA型を最新の手法で再鑑定した結果、犯人のDNA型と菅家のDNA型は一致しないことが判明し、菅家は無実の冤罪被害者だったことが明らかとなった。検察官は再審を認める意見書を東京高裁に提出するとともに、刑の執行を停止し、服役中だった菅家はただちに釈放された[5]。菅家はその後の再審で無罪が確定した。菅家の無罪が確定するまでの間、長らく日本弁護士連合会が再審を支援していた。この事件は真犯人が検挙されず、未解決事件となって迷宮入り、事実上公訴時効が完成した事件である。当事件を含めて、足利市内を流れる渡良瀬川周辺で遺体が発見された3事件は足利連続幼女誘拐殺人事件とされている。

当事件捜査に関する後年の調査報道などマスメディアがその事件捜査のあり方に注目し、調査報道の中で事件捜査初期に事件現場で真犯人と思われる別の人物の目撃情報を警察が把握していた事実や経緯も判明している。

事件の経緯

事件発覚から誤認逮捕まで

1990年(平成2年)5月12日
栃木県足利市内のパチンコ店で男性がパチンコをしている間に、同店駐車場に駐車されていた男性の自動車内にいた男性の娘(当時4歳)が行方不明になる。被害者である女児は当時赤いスカートと白いシャツという服装であった。
1990年(平成2年)5月13日
渡良瀬川の河川敷から幼女の全裸死体が発見された。衣服のシャツは川の中から見つかった[6]。幼女の衣服に付着していた体液から、犯人の血液型はB型と判明した[4]。
事件発生の時間に現場付近の運動公園にいた多数の人物が、赤いスカートを履く被害者の女児を連れて歩く不審な男の姿を目撃しており、警察にも証言している。そのうち、日本テレビの番組が探し当て取材協力を要請した買い物途中の主婦、買い物途中の女性美術教師、ゴルフ練習をしていた男性などは、テレビ取材にも応じている。
この事件は、当時のテレビニュース番組で被害者の特徴が繰り返し放送され、情報提供を求むビラも配られ、人の目に触れる機会が多かった。被害に遭った女児の服装は事件当時の夕方でも目立ちやすく印象に残りやすい「赤いスカート」(赤は、警戒色で目立ちやすい色である)であった。被害者らしき女児が不審な男といっしょにいる様子が多くの人たちに目撃され、記憶に残りやすい事件であった。目撃者の1人である女性美術教師は近年もその時の光景をスケッチに描け、当時警察でもスケッチを提示し、日本テレビの取材でも同じようなスケッチを提示し、不審な男は特徴的な歩き方をしていたという[6]。
ゴルフ練習をしていた男性は目撃した男について「マンガのルパン3世みたいだった」と話している。
実際にこの目撃証言を裏付けるようにこの不審な男と被害者の女児が歩いていった先の中州で被害者女児の遺体が発見されている。
それに対し、菅家の「自白」内容にあった、被害者女児を自転車の荷台に乗せて土手を下る菅家の姿を見た証言は存在しない[7]。
1990年(平成2年)5月 - 1991年(平成3年)12月
栃木県警察は当初は前述の目撃証言を元にした捜査を行っていたが、わずか数か月(1990年(平成2年)5月 - 12月ぐらいまで)でその方面の捜査を取りやめている。その取りやめの理由は不明である[要出典]。目撃証言が存在していたことやそれに基づく捜査が行われていたことが初めて公にされたのは近年の清水潔の調査報道によるものである。
やがて警察は「独身男性で子供が好き」というプロファイリングに則り、聞き込みなどの地取り捜査方針に切り替える。そのプロファイリングに合致する人物として、菅家利和という人物が捜査線上に浮かび、彼の身辺捜査を開始する。その時点で菅家に前科前歴はなかった[8]。
警察が採用した「プロファイリング」手法は、犯罪性がある人物像に直結するものではなく、合致しただけの菅家利和の生活習慣も、不審人物視や不審行動に繋がるわけではない。情報提供者である住民の証言が、菅家利和を明確に不審視していたかは不明である。同じ時期、警察はより確実性の高い前科前歴から数人の男を行動確認している[7]。
清水潔は、ある捜査員の話として、上から何がなんでも逮捕しろと迫られ、B型血液の者など幾らもいて具体的に捜査で浮かんだ怪しい人間をアリバイがあるなどで消していった中、菅家さんが残った最後の1人だったという言葉を紹介している[9]。であれば、上層部から急かされるあまり、より確かな新たな容疑者を地道に探すことより、アリバイのないB型血液の人間がいたことで、それが犯人として飛びつき、その裏付け(ないし反証がないことの)捜査に集中してしまった可能性もある。
当時の菅家は幼稚園でバスの運転手として勤めていたが、1991年(平成3年)始め頃に勤務先へ刑事が聞き込みに訪れ、これが原因で解雇され、警察に逮捕されるまで、本人は無職の状態だった。
1991年(平成3年)12月2日
栃木県警察本部は同市内に住む菅家 利和(当時45歳)を、猥褻目的誘拐と殺人の容疑で逮捕する。
逮捕の決め手は「女児の下着に付着していた体液のDNA型と菅家のDNA型とが一致した」ことである。しかし、1991年(平成3年)の時点におけるDNA型鑑定の方法では、B型血液と組み合わせても1000人に1.2人の確率でランダムに選んだ別人とでもDNA型も血液型も一致する可能性があった[10]。また、これはMCT118型検査法という、日本警察が独自開発し、初めて日本に導入したDNA鑑定法で、他の研究機関や一般研究者などにより広く検証されたようなものではなかった[6]。
NHK取材班の調査に基づく2026年の番組『未解決事件File.19 「北関東連続幼女誘拐・殺人事件」』では、DNA鑑定で合致する人間が見つかったことで警察の目撃情報捜査の線が消えたとしている[6]。当時の栃木県警察本部は、総勢180人余の捜査本部を設置して捜査を行っていた。
警察が任意同行を求めた理由とされる菅家利和のDNAサンプルは、先に菅家利和が指定ゴミ収集場に捨てたゴミ袋より収集した体液の付いたティッシュペーパーから検出したものであった。その時のゴミからの証拠収集が菅家や市町村役所の環境保全課などのゴミ回収を担当する管轄部署への令状執行を行った上での活動だったのかは不明。
利和の父親は息子の逮捕後まもなくショックで他界した。無実を信じていた母親も釈放の2年前(2007年〈平成19年〉)に他界した。逮捕前々日の11月30日に栃木県足利市の実家で一緒に過ごしたのが最後となった。菅家は釈放後、「亡くなったと聞かされ、本当に胸が詰まった。事件が、家族も、自分の人生もばらばらにした」と語った。

取調べ、裁判

1991年(平成3年)12月 - 1992年(平成4年)
警察による当日13時間に及ぶ取調べの結果、菅家は犯行を自供(後に虚偽を強要された事によるものであることが判明)、さらに足利市内で起こった他の2件についても自供した。翌年2月20日、足利署の3つの捜査本部は解散、警察幹部は会見で3件全容解明したと発表した[9]。ところが、実際に起訴出来たのは本件1件だけであった[9]。菅家は、犯行を認める上申書を提出(情状酌量ヲ考エタ弁護士ノ助言ニヨル)するが、 第一審の途中(第6回公判)から否認に転じ、無罪を主張する。のちにある捜査員はNHK取材に対し、DNA鑑定が一致したことで警察庁から何としても自供させろとの意向が来て、自供させなければ技量が問われるとの意識が働いたことを証言している[6]。
当時、DNA型鑑定は警察庁科学警察研究所に導入されたばかりであり、弁護側は「信頼性に疑問がある」としていた。
1993年(平成5年)
足利市内に住む西巻糸子は、疑問を抱いて拘置所へ手紙を送り菅家に面会を求めるが拒否される。しかし、面会拒否が菅家の本心であったか否か不明で、所員による強要や一方的回答の可能性もある。拘置所や刑務所では往々にして外部と手紙などの連絡は検閲されるため、西巻との手紙のやりとりの初期においては双方で手紙の内容や思いが改竄なしにダイレクトに伝わっていたかどうかも不明である。
最初の手紙から2か月後に、菅家から「無実」を訴える返事が来る[11]。西巻は後に「菅家さんを支える会・栃木」代表、菅家の身元引受人となる。
西巻も菅家と同じように幼稚園バスの運転手をしていた経験から、逮捕の報道を見て腑に落ちない思いがしたことが支援の動機である。
1993年(平成5年)7月7日
宇都宮地方裁判所(久保真人裁判長)は菅家に無期懲役の判決を出す。
1996年(平成8年)5月9日
東京高等裁判所(高木俊夫裁判長)が控訴棄却。
1997年(平成9年)10月28日
佐藤博史弁護士が押田鑑定書を添付して、DNA型鑑定の再鑑定の申し立てをする。しかし、最高裁はこれを拒否する。
2000年(平成12年)7月17日[12]
最高裁判所第二小法廷(亀山継夫裁判長)が「DNA型鑑定の証拠能力を認める」初判断を示し、菅家の上告を棄却する決定を出し、第一審の無期懲役判決が確定する[13]。この決定は最高裁判事5人全員一致の意見であり[13]、関わった最高裁判事は亀山以下、河合伸一、福田博、北川弘治、梶谷玄の5人であった[14]。菅家側は異議申し立てをするが、それも26日付の決定で棄却されたため、無期懲役が確定し[15]、菅家は千葉刑務所に受刑者として服役した。

なお、裁判の過程で、1991年に鑑定に使われた123ラダーマーカーでは正確にDNA型は判定できないことが指摘され、科警研もこれを認めた。その頃、アメリカでは目盛りが細かく精度高く判定できるアレリックラダーマーカーが開発されていて、再鑑定を求める弁護団に対し、科警研はこれを行わず、代わりに開発者の技官自身が両マーカーの対応表を作成、それによれば問題ないと主張している。のちのNHK取材に対し、アメリカの法医学の権威者グレッグ・ハンピキアンは、科警研の分析作業には失敗があり写真では判定できず、対応表も全く信用できないとしている[6]。

再審から冤罪確定

再審請求とDNA再鑑定

2002年(平成14年)12月25日
収監された菅家が宇都宮地裁に対し、再審請求を申立てる。
2007年 夏
「桶川ストーカー殺人事件」などを取材してきた日本テレビ記者の清水潔が、それまでに連続事件ではないかと疑ってきた複数の北関東幼女殺人事件の一環として、足利事件の直接取材を開始する[16]。
2008年(平成20年)1月
日本テレビが、清水の調査に基づきニュース特集で足利事件のキャンペーン報道を開始する。自供の矛盾点やDNA鑑定の問題点などを指摘、DNA再鑑定の必要性を訴えた。その後も繰り返し放送を行う。
2008年2月13日
宇都宮地裁(池本寿美子裁判長)は、菅家利和の再審請求を棄却する[17]。菅家は東京高裁に即時抗告する。
2008年(平成20年)12月19日
東京高裁(田中康郎裁判長)がDNA型再鑑定を行うことを決定する(逮捕から17年目)。
2009年(平成21年)2月
検察(東京高等検察庁)側と弁護側(顧問:佐藤博史他)のそれぞれが推薦した鑑定人2名が、DNA型再鑑定を開始する。コンピューター解析による最新のSTR法で行われることになった[6]。STR法は、計算上4兆7千億人から1人を絞り込めるとされる[6]。
2009年(平成21年)4月20日
それぞれの再鑑定で、弁護側推薦の鑑定人・筑波大学教授本田克也は「不一致部分が多いため同一人物のものではない」とする鑑定結果を提出する。検察側推薦の鑑定人・大阪医科大学教授鈴木広一は「一致部分が非常に少ないため、同一人物のものではありえないと言っても過言ではない」とする鑑定結果を提出する。
双方の結果を受けて東京高裁の嘱託鑑定は「菅家のDNA型と女児の下着に付着した体液の型が一致しない」という結論を出す[18][19][20]。
高検はさらに「捜査中に誤って汗などが付着した可能性」についても検討するため、当時の捜査関係者との比較も行うが、いずれも不一致となり、試料が正しく犯人のものであることも明らかとなった。これは真犯人を特定するための有力な証拠ともなるが、この時点で逮捕から17年以上が経過しており、既に公訴時効が成立する。真犯人を逮捕・起訴できる機会は法的に失われる。
2009年(平成21年)5月25日
東京高裁の即時抗告審に鑑定書を提出していた筑波大学教授本田克也が鑑定書の改訂版を提出する。

釈放

2009年(平成21年)6月1日
弁護団が刑の執行停止をしない検察を不当だとして宇都宮地裁に異議申し立てをする。
2009年(平成21年)6月4日
鑑定結果を受けて、東京高等検察庁が「新鑑定結果は再審開始の要件である『無罪を言い渡すべき明らかな証拠』たり得る」とする意見書を提出し(事実上の再審開始決定)、併せて刑の執行を停止する手続きを行う。
千葉刑務所に服役中の菅家は、清水潔に付き添われて刑務所から釈放される[21]。
刑事訴訟法では、「再審の開始前であっても検察官が刑の執行を停止できる」と定めている(第442条)。
今回のケースは「有罪判決を導いた証拠が誤りであった以上、刑の執行を継続すべきではない」とする判断に基づくものだが、これは極めて異例で、東京高検は「再審開始前に刑の執行を停止した前例はない」としている。
釈放後の記者会見では、菅家は「検察と栃木県警に謝罪してほしい」と涙ながらに語る[22]。
この事態を受け、栃木県警元幹部は「事件の捜査は妥当だった」「足利事件については思い出したくない」と語る[23]。
当時陣頭指揮を執った元刑事部長である森下昭雄が「まだ無罪が確定したわけでは無く、自供も得ているし、(菅家が)犯人だと信じている」と報道陣に語ると、その森下昭雄本人が運営するブログが炎上し、そのブログが閉鎖される事態になる[24]。
栃木県警も当初「暴行や自白の強要はなかったとこれまでの裁判で認定されている」とコメントし、法務大臣森英介(当時)も取調べの可視化を求める声に「捜査に支障を来す」としていたが、東京高検に対して速やかに再審を開始し、無罪判決を求めるよう指示する。
『毎日新聞』は、当事件の上告審の際に弁護団が求め続けていたDNA再鑑定を実施しなかったことの是非や、冤罪被害者に対する謝罪意思の有無、当事件の公訴時効を裁判所が成立させた件についてどう思うかなどの質問を、判決に関わった当時の最高裁判事5名(亀山継夫、北川弘治、河合伸一、梶谷玄、福田博)と再審請求を認めなかった当時の宇都宮地裁判事3名の計8名に送り、回答を求めたが、いずれも回答しなかった[14]。このうち福田は無回答の理由について、「(回答すれば)判決理由を後から変更するに等しい効果を持ち、裁判官の言い訳に過ぎないと取られても仕方がない。仮にするとしても手元に記録がないため不正確にならざるを得ずコメントすべきではないと考える」と説明、第三者委員会による裁判の検証を提案しており、梶谷も無回答の理由として「裁判官は弁明せず」の原則からであると説明したが、他6名は無回答の理由についても説明せず、特に最高裁で裁判長を務めていた亀山は電話取材に対し怒り口調で「その手紙(アンケート用紙)は捨てた」と話していた[14]。
木谷明・法政大学法科大学院教授(元・東京高裁総括判事)は、判事達の回答拒否について「なぜまったく答えないのか不思議。答えられる限度で率直に答えるべきではないか」と疑問を投げかけている。
2009年(平成21年)6月11日
栃木県警は石川正一郎本部長名で菅家利和さんに対する謝罪コメントを発表[25]。
2009年(平成21年)6月17日
栃木県警はマスメディア記者・カメラマンが立会取材のもとで、石川正一郎本部長が菅家さんを前にして「長い間つらい思いをさせましたことを心からおわび申し上げます」と正式謝罪[26]。
2009年(平成21年)6月22日
栃木県警は足利事件の捜査で受けた警察庁長官賞など4種類の表彰を自主返納したと発表する[27]。
2009年(平成21年)6月23日
東京高裁(矢村宏裁判長)が再審開始を決定する。
2009年(平成21年)10月5日
菅家が宇都宮地方検察庁を訪れ、検察側が菅家に対して初めて正式に謝罪する。検事正の幕田英雄は菅家に対面し、「無実の菅家さんを起訴して長年にわたって服役させ、苦痛を与えたことについて大変申し訳なく思います。検察を代表し、心から謝罪します」と口頭で直接述べる。これに対し、菅家は「これ以上、わたしと同じ苦しみが絶対あってはならない」と応じる[28][29]。
釈放後の記者会見で、菅家は当時の取調べの状況に対し「刑事達の責めが酷かったです。『証拠は挙がってるんだ、お前がやったんだろ』とか『早く吐いて楽になれ』と言われました。私は始終無実を主張していますが、受け付けて貰えず『お前がやったんだ』と同じ事の繰り返しでした」と述べる。取調べ室での刑事達の自分に対する行動は、殴る蹴るの暴行のみならず、頭髪を引きずり回したり、体ごと突き飛ばす等、拷問に等しい暴行が横行し、その取調べの時間は15時間近くにも及んだ、という。
取り調べた刑事達について菅家は「私は刑事達を許す気になれません。それは検察や裁判官も同じです。全員実名を挙げて、私の前で土下座させてやりたいです」と強く述べる。

再審

2009年(平成21年)10月21日
宇都宮地方裁判所(佐藤正信裁判長)で再審公判が始まる[30]。
2010年(平成22年)1月21日
再審第4回公判で、取り調べ時の録音カセットテープが再生される[31]。
2010年(平成22年)1月22日
再審第5回公判で、事件当時の担当検事・森川大司が証人として出廷する。「現在もなお菅家氏が真犯人であると思うか」という弁護団からの質問には黙秘し、最後まで菅家に対する謝罪の言葉は一切無い[32]。
2010年(平成22年)2月12日
再審第6回公判で、検察側は「取り調べられた証拠により、無罪を言い渡すべきことは明らか」とし、論告で無罪を求める。論告に際して、検察官は裁判長に発言の許可を求めた上で「17年余りの長期間にわたり服役を余儀なくさせて、取り返しのつかない事態を招いたことに検察官として誠に申し訳なく思っています」と謝罪する。
菅家はこの謝罪について公判後の記者会見で「17年半を思えば、1分少々(の論告)では物足りない。謝罪はあったが、1分少々では腹の底から謝ったとは思えない」と述べている[33]。
2010年(平成22年)3月24日
菅家は再審の判決公判を間近に控え、東京新聞の取材に応じ、「しばらくは冤罪で苦しむ人を支える活動を優先させたい」と述べ、自分のような悲劇が繰り返されぬよう「冤罪の語り部になりたい」とコメントする[34]。
2010年(平成22年)3月26日
再審の判決公判で、宇都宮地方裁判所(佐藤正信裁判長)は菅家に対し、「当時のDNA鑑定に証拠能力はなく、自白も虚偽であり、菅家さんが犯人でないことは誰の目にも明らか」と判示して無罪を言い渡す[35]。判決の言い渡し後、裁判長佐藤正信は菅家に対し、「真実の声に十分に耳を傾けられず、17年半の長きにわたり自由を奪うことになりました。誠に申し訳なく思います」などと謝罪する。その後、宇都宮地方検察庁が上訴権放棄を宇都宮地方裁判所に申し立てて受理されたため、無罪判決が即日確定する[36]。
再審の無罪判決では、弁護側推薦の鑑定人・筑波大学教授本田克也の鑑定結果は採用されず、検察側推薦の鑑定人・大阪医科大学教授鈴木広一の鑑定結果のみが採用された[20]。

事件を巡る国会の対応

2011年3月8日の参議院予算委員会で、当時の内閣総理大臣であった菅直人は民主党の有田芳生の質問に答え「同種事件を防ぐ意味からも、警察などがしっかり対応することが必要」と再捜査の必要性を認識した見解を述べた。「『時効だ』と言い逃れするのでは、住民の不安を解消できない」と主張する有田に対し、菅は「捜査には一般的なルールはあるが、冤罪事件であり、その後も類似事件が続いている」と前置きした上で、捜査側に「必要な対応」を求めた[37]。

真犯人の存在

冤罪の影で警察が発表をしていなかった「初期目撃証言の存在の事実」、「警察が前科前歴から割り出し重要参考人として指定していた数人の男たちの存在の事実」が近年の当事件に関連する報道や取材、調査により掘り起こされ明るみに出ている。1996年、太田市のパチンコ店で女児失踪事件が起こり、日本テレビ記者の清水潔は、このあたりで以前から起こっていた同様な事件について、手口の共通性や地理的な近さから同一犯による連続事件と考え、この1996年の事件時の防犯ビデオに写っていた不審人物の特徴や一連の事件の情報から真犯人と思われる人物を特定し、捜査機関に情報を提供している事実を明らかにしている[38]。(詳細は、北関東連続幼女誘拐殺人事件を参照)

一方、ルポライターの小林篤が2011年4月15日発行の『g2』に寄せた足利事件関係のルポには、日本テレビの清水が『アールテレビ局』の『アル記者』という呼称で登場。アル記者は2007年夏に小林に電話をかけてきて、足利事件に関する小林の著書を読んで冤罪の可能性が高いと思ったことを告げ、「取材協力」や「レポーターとしての参加」を頼んできたという。小林によると、レポーターは辞退したが、取材先などのデータや独自に調査していた容疑者「X」の情報をアル記者に提供。それから2人は共同取材をするようになったが、アル記者が「私は真犯人を知っている」として文藝春秋2010年10月号で真犯人追及報道をした時から袂を分かったという[39]。

この足利事件で、被害女児と思われる女児と不審な男性を目撃した女性元美術教師は、その後、1996年の太田市パチンコ店での女児失踪事件で重要参考人として公開された不審人物の映像を、たまたま視ることになった。女性元美術教師は、歩き方はまさに自分の見た人物の通りだったと述べている[6]。

監視カメラに映っていた男について、かつて足利事件を捜査していた捜査員は、行動調査していた中でも容疑性の高い『Aランク』と呼ばれていた男数人の中の一人に、犯罪の前科・前歴なども酷似した男がいると語っている[40]。

冤罪事件として

冤罪発覚の経緯としては、証拠不十分で容疑者や被告を真犯人として挙げる事や勾留が困難になったというだけではなく、真犯人の存在が明らかになった事をきっかけに冤罪が判明した。過去には氷見事件のように後に真犯人が逮捕された、あるいは松本サリン事件のように真犯人の存在が明確になった事で冤罪が判明し真犯人も検挙された事件案件があるが、当事件は後者の経緯に近い[41]。

事件発生日時に、真犯人の男が目撃されていたことや、その目撃者の存在などの事実が日本テレビの調査報道で明らかにされた。真犯人の存在を示す報道は、菅家が求めていた「DNA再鑑定」の実施を後押しし、冤罪判明、無罪確定・釈放を実現させる上で大きな役割を果たした。

菅家はテレビ東京が2019年9月27日18時55分から放送した「0.1%の奇跡!逆転無罪ミステリー【実録…やってないのに逮捕】衝撃冤罪4連発」に出演し、17年の獄中生活で8,000万円の刑事補償をされたと言っていた[42]。

被害者遺族側の指摘

被害者遺族は、当事件が時効を迎えている事について「ある事件の犯人が捕まって起訴された場合、共犯者は逃げていても、その間、時効は進まないとされているそうです(刑事訴訟法254条の2項)。私からすれば、真犯人の共犯者は警察ではないかと思います。だから、警察が菅家さんを無理して逮捕して以降、捜査が進まなかった期間の分、時効は伸びて然るべきではないでしょうか。」とその思いを語った[43]。

2009年5月、被害者遺族である女児の母親は検察から被害者女児自身のDNA鑑定の協力を求められた際、「菅家さんが無実であるなら、早く軌道修正をして欲しい。捜査が誤っていたならば、謝るべきです。捜査は誰が考えたっておかしいでしょう。ごめんなさいが言えなくてどうするの」と怒りをあらわにするとともに人として諭すかのように検事に訴えた。

その4日後に、菅家は刑務所から釈放された[43]。

検察・警察が被害者女児の遺品を遺族に返還しない問題

被害者の遺族が、事件当時被害者が着ていた赤いスカートやシャツなどの遺品の返還要求をしたところ、検察は「赤いスカートなどはお返しするがシャツだけはこのまま預かりたい」と国の施設で冷凍保存したいと遺族に返答した。シャツとは真犯人のDNAが付着していたものであるが、事件が時効となった今では捜査や鑑定などの使途も失われているものを、なぜ検察が保存するのか、ここでも行動の理由や動機となるものが不明である。

真犯人を特定できる最大級の有力な証拠が返還されていない[44]。捜査関係者の内部情報によると、警察内部に「シャツ(に付着したDNA)は時効が成立した今となっては、刑事事件の証拠としては無価値である。しかし民事事件として証拠採用される可能性はある(民事の時効は加害者を知った時点から起算され、加害者が不明だった場合は20年の除斥期間が認められないこともあるため)。本件は、真犯人の可能性が極めて高い人物が特定されているが、もはや警察は手出しできない。警察が真犯人を検挙できない(冤罪は起こしたが後に真犯人は検挙した、と名誉挽回できない)以上、このシャツを証拠に遺族が当該人物に民事で勝つ(冤罪であることが再確認される=警察のメンツが完全に潰れる)ことは阻止したい」との意見がある。

当事件の捜査・刑事・司法手続における問題点

当事件は、事件未解決や冤罪被害発生の直接の原因になった、警察当局や裁判関係者の捜査上や裁判手続きでその理由や動機が不明な行動や事象が多数確認される。

  • 最初の有力な目撃証言に基く捜査を早々に打ち切った。当事件捜査で最大の不審点でもある。その実質の捜査実態も不明。
  • 1997年からの再審やDNA型再鑑定の請求を長期間拒否した。その明確な理由や動機も不明。

いずれも、適切な捜査と対応をしていれば、事件解決に繋がったと考えられる重要点である。

特に最初の目撃証言の時点で、それに基づく適正な捜査を行っていれば、その時点で犯人検挙が実現し当然のことながら冤罪も起こらなかった可能性が高い。

1997年のDNA再鑑定の請求から2005年の公訴時効成立までの間に司法がDNA型再鑑定請求を認め、再審が行われていれば、その時点で菅家の無罪が確定し、事件の再捜査も可能だった点も指摘されている[45]。

目撃証言をめぐる問題

最初の有力な目撃証言に基づく捜査を打ち切った正当な理由についても警察当局は明らかにしていない。目撃証言については、近年の清水潔による調査報道を受けて、菅家の自白と矛盾するということで事件とは無関係とする警察の見解もあるが、通常の捜査であれば、反対に有力な目撃証言と矛盾するから菅家の自白は虚偽と判断するところである。そもそも目撃証言に基づく捜査は早期に打ち切っているので、打ち切った正当な理由があれば、菅家の自白と矛盾しているとする旨をわざわざ警察発表でする必要もないはずのものである。清水潔も加わった2026年のNHK取材班の調査によれば、当時の捜査員の話として、そもそも警察庁からDNA鑑定が一致したのなら何としても菅家を自供させろとの圧があったことを語っている[6]。

最初の目撃証言をした証言者たちの中の一人に対し、自宅を訪れ、「正直言ってアンタの証言が邪魔なんだ。消したいんだ」と目撃証言の撤回を迫り、証言を撤回させ調書も勘違いに書き換えた[46]。

当時のDNA鑑定法をめぐる問題

当時のDNA鑑定に、当時の「精度の低さ」の問題だけでなく、他に「型の取り違え」の可能性などの重大な問題が潜在していたことが指摘されている。検察はこの問題を検証していない[47]。

また、後のNHK取材班の調査では、このMCT118型検査法自体に、この鑑定法を開発した際の研究実態について非常な疑問が出されている[6]。なお、警察は自ら事件の検討を行った際の自身の報告書において「当時のMCT118型検査法の信頼性は認められる」としているが、その根拠は論文を学術雑誌に掲載したからというもので、これでは妥当性立証のための実験での再現性につき「第三者による検証可能性」を満たしたというだけの内容となり、実際に現場導入の前に第三者なり何なりによる追試検証が行われたかどうかについては何ら触れていない[6]。(詳細はMCT118型検査法を参照)

清水潔記者による報道を知った風間直樹議員が2010年11月に参院行政委員会で質問、MCT118型検査法について、岡崎トミ子国務大臣は、1989年以降15年間で科警研121件、科捜研20件の鑑定が実施されたとし、小川敏夫法務副大臣は、有罪事件の判決理由で述べられただけでも計8人いることを答弁した[48]。足利事件の弁護に取組んだ佐藤博史弁護士によれば、MCT118法については再検証すべきだと訴え続けているものの、検察は別の方法で無罪が証明されたのだからもう言うなという態度の対応だとする[6]。やはり、足利事件の弁護にあたった笹森学弁護士は、事件見直しを避ける為、警察はMCT118検査法は問題ないという態度をとっているとする。福岡県の飯塚事件に至っては、死刑判決が出て、この足利事件の再鑑定実施の決定からその結果が出るまでの間に死刑が執行されている[6]。

MCT118型検査法の手法の開発にあたり、その過程に疑問が出ている技官が、精度の落ちる123ラダーマーカーを正当化する説明資料を自ら作成して裁判に提出、MCT118型検査法を有罪判決の証拠とさせることに成功した。また、別の技官であるが、この足利事件の鑑定にあたった技官が死刑判決が執行された飯塚事件の鑑定も、足利事件で最終的に証拠能力が否定されたMCT型検査法で行っていた。この後者の技官は、かつて自身が出版した著書で、「命が縮む思いという言葉がある」「自分が書いた一行によって 被害者 被疑者双方の運命が変わってしまうかもしれない」「DNA型さえ割り出せればすぐに事件が解決するように考えるのは大きな間違いなのである」「DNA型鑑定は捜査を補佐する役割しか担えない」「ここを間違えるといつかとんでもないことが起こる・・・・・・私はそう危惧している」と書いていた[49]。

その他の問題

警察は菅家をマークをしていた時期により確実性の高い前科・前歴から数人の男の行動調査をしていた。しかし、理由不明のままその数人の男に対しての捜査を中止している(いくつかの冤罪事件に共通して見られる、犯人決めつけに基づく行為。この場合は、菅家を犯人と決め付けたことにより、より容疑性の高い数人の男に対しての精査を怠った。同じようなことは、菅家を犯人とするあまり、初期目撃証言に対して精査を怠った行為にもみられる。)。

菅家が自白した、手で首を絞めたことによる「扼死」と被害者の鼻の穴などから細かい泡状の液体(泡沫液)が漏れていたという「溺死」の鑑定所見と、被害者の死因の鑑定の点で矛盾が見られる[50]。

菅家の「自白」そのものを重要証拠とし、秘密の暴露として認定し起訴し公判でも採用されている点。だが、その秘密の暴露を元として有罪とするだけの裏付ける検証結果や状況証拠は何一つ見つかっていない。現に、女児の死因の矛盾、女児を自転車の荷台に乗せて土手を下る男の姿の目撃証言が存在しない、犯行ルートが時間的に不可能である等が生じている。自白を精査すれば虚偽であることは起訴前に判明した可能性がある。前述のとおり、自白と反する目撃証言や状況証拠はいくつも判明している。

当事件と関連性が指摘されている未解決の誘拐殺人および誘拐事件

群馬県・栃木県の県境付近では1979年以降、幼女の誘拐事件が起きている。この事件を含め4人の幼女が死亡し、1人が失踪する事件の計5件の事件(詳しくは北関東連続幼女誘拐殺人事件を参照)が発生したが、いずれも未解決事件となっている[51]。当事件の真犯人による仕業と見る検証や分析がある。足利事件で真犯人が検挙されていれば、同時にそれ以前に起きた数件での犯人検挙、足利事件以後に起きた事件が未然に防げた可能性も指摘されている[52]。

1996年の事件との関連

(詳細は、北関東連続幼女誘拐殺人事件を参照)

歩く恰好や風体(いわゆるルパン似、ニッカボッカを穿き帽子にサングラスという格好)など、事件発生時に目撃された男の姿が、上記の事件の一つで1996年に発生する「太田市パチンコ店女児失踪事件」でパチンコ店の防犯ビデオに写った男の姿とよく似ていると、日本テレビの「真相報道 バンキシャ!」などの報道番組も指摘している[53]。清水潔は、その男と思われる人物に取材、清水によれば、男は足利事件当日パチンコ店にいて被害女児と話をしたことを認め、また、1996年の事件ではその事件の起きたパチンコ店の近くに住んでいたことを認めたという[6]。「バンキシャ」では目撃者の女性も取材に応じた。さらに、2026年にもNHK取材に応じ、特徴的な歩き方が一致していたことを証言している[6]。

2026年5月、有田芳生議員が衆院法務委員会で前記5事件で連続事件の可能性があることで間違いないかを質問、警察庁幹部である遠藤剛官房審議官が共通性があるとして同一犯による可能性は否定できないと答弁した。さらに有田議員はある不審人物について最新のSTR法でDNA鑑定が行われ、DNA型が一致していたことも公表、最高検にこの鑑定結果が届けられていることについて認識しているかを尋ねたが、遠藤審議官は、個別の捜査の具体的な中身については答えを差控えるとだけ答弁した[6][54]。

1996年の事件は時効が撤廃された事件であるが、2026年9月現在、特段の司法当局の動きは見られない。

当事件を題材とした作品

※北関東連続幼女誘拐殺人事件#参考文献・映像も参照

脚注

注釈

  1. ↑ 「パチンコ ロッキー」は伊勢南町9番地3号(座標)に所在していた[1]。

出典

  1. ↑ 『栃木県 足利市』〈ゼンリンの住宅地図〉ゼンリン、1990年11月、113頁H-1
  2. 1 2 3 4 5 6 7 『下野新聞』1990年5月14日朝刊1頁「足利でまた幼女殺人 渡良瀬川に全裸遺体 前夜、パチンコ店から不明 54、59年の事件と共通点も」(下野新聞社) - 縮刷版251頁。
  3. ↑ 『下野新聞』1990年5月15日朝刊1頁「足利の○○ちゃん事件 河川敷の遊戯場で殺害 遺体から同種の砂 足取りも途絶えほぼ確定 群馬の事件も関連か」(下野新聞社) - 縮刷版271頁。
  4. 1 2 『現場検証 平成の事件簿』柏艪舎、2019年3月8日、18頁。ISBN 9784434257636。
  5. ↑ “足利事件の教訓をいかせ! 誤判原因の徹底した究明を! すべての再審における事実調べ、証拠開示が必要だ!|部落解放同盟中央本部”. 2026年10月4日閲覧。
  6. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 “未解決事件 File.19 「北関東連続幼女誘拐・殺人事件」”. NHK. 2026年10月2日閲覧。
  7. 1 2 下野新聞、清水潔による事件の調査報道・キャンペーン記事等】[要文献特定詳細情報]
  8. ↑ 宇都宮地裁平成5年7月7日判決/刑集54巻6号670頁・判例タイムズ820号177頁
  9. 1 2 3 “冤罪の男性ーーー解決済みとされていた足利事件”. 2026年10月4日閲覧。
  10. ↑ 2008年1月6日 日本テレビ「ACTION」より
  11. ↑ 「〈足利事件「支える会」代表が語る〉主婦の私がなぜ菅家さんの無実を信じ続けたのか」西巻糸子著(『婦人公論』2009年7月22日号)
  12. ↑ 『毎日新聞』2000年7月19日東京朝刊一面1頁「DNA鑑定に証拠能力 最高裁が初の判断――栃木、女児殺害事件、被告の上告を棄却」(毎日新聞東京本社)
  13. 1 2 『下野新聞』2000年7月19日朝刊1ページ「最高裁 足利幼女殺害で初判断 DNA鑑定に証拠能力 菅家被告の無期確定へ」「解説 求められる慎重な運用」(下野新聞社) - 縮刷版493頁。
  14. 1 2 3 『毎日新聞』2009年8月21日東京朝刊社会面31頁「足利事件:最高裁・地裁8裁判官に毎日新聞アンケ 謝罪意思、回答なし」(毎日新聞東京本社【安高晋】)
  15. ↑ 『毎日新聞』2000年7月28日東京朝刊総合面25頁「栃木・足利の女児殺害事件 被告の無期確定――最高裁、異議申し立てを棄却」(毎日新聞東京本社)
  16. ↑ “ルパン三世に似た男”. 2026年10月4日閲覧。
  17. ↑ “足利事件、再審決定”. 産経新聞. 2009年6月26日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2009年6月23日閲覧.
  18. ↑ “足利事件:再鑑定の結果「DNA不一致」…東京高裁に提出”. 毎日新聞. 2009年5月8日. 2009年5月11日時点のオリジナルよりアーカイブ.
  19. ↑ 第2章スタート[リンク切れ] ACTIONコラム(日本テレビ)2009年5月26日。その他、「北関東連続幼女誘拐・殺人事件」など。
  20. 1 2 “袴田さん再審判断 DNA鑑定の有効性争点”. 中日新聞. 2018年6月7日.
  21. ↑ “足利事件、菅家さんを釈放 17年半ぶり、再審開始決定へ”. 共同通信. 2009年6月4日. 2009年6月11日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2009年6月11日閲覧.
  22. ↑ “「警察と検察に謝って欲しい」菅家さん、支援者への手紙で”. 読売新聞. 2009年6月4日. 2009年6月7日時点のオリジナルよりアーカイブ.
  23. ↑ “【足利事件】「捜査は妥当だった」「思い出したくない」 栃木県警元幹部ら”. 産経新聞. 2009年6月6日. 2009年6月6日時点のオリジナルよりアーカイブ.
  24. ↑ “「足利事件」捜査の元県警幹部ブログが炎上 「謝罪しろ」コメント殺到”. ITmediaニュース. 2009年6月5日.
  25. ↑ “いわゆる足利事件についての警察庁による謝罪等に関する再質問主意書”. 衆議院. 2026年10月4日閲覧。
  26. ↑ “栃木県警・石川正一郎本部長 栃木県足…:謝罪する人々~平成騒動記~”. 時事ドットコム. 2026年10月4日閲覧。
  27. ↑ “栃木県警、足利事件捜査での表彰を自主返納”. 日テレNEWS24. 2009年10月13日時点のオリジナルよりアーカイブ.
  28. ↑ “菅家さんに『苦痛与えた』と謝罪 検察、足利事件で初”. 中日新聞. 2009年10月5日.[リンク切れ]
  29. ↑ 検事正が謝罪、足利事件 - YouTube TBSNewsi 2009年10月5日[リンク切れ]
  30. ↑ “足利事件再審:裁判長「菅家さん」 被告扱い封印”. 毎日新聞. 2009年10月21日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2009年10月21日閲覧.
  31. ↑ “足利事件:92年1月28日の地検聴取テープ(1)”. 毎日新聞. 2010年1月25日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2010年1月22日閲覧.
  32. ↑ “足利再審 元検事語る(1)”. 産経新聞. 2010年1月25日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2010年1月23日閲覧.
  33. ↑ “足利事件:検察側が無罪論告 菅家さんに謝罪”. 毎日新聞. 2010年2月12日. 2010年4月7日時点のオリジナルよりアーカイブ.
  34. ↑ “無罪でも終わらない 菅家さん故郷で語る”. 中日新聞. 2010年3月25日. 2010年3月27日時点のオリジナルよりアーカイブ.
  35. ↑ “足利事件再審で菅家さんに無罪判決…宇都宮地裁”. 読売新聞. 2010年3月26日. 2010年3月29日時点のオリジナルよりアーカイブ.
  36. ↑ “足利事件:菅家さん無罪 裁判長が謝罪 宇都宮地裁”. 毎日新聞. 2010年3月26日. 2010年3月28日時点のオリジナルよりアーカイブ.
  37. ↑ 下野新聞 2011年3月9日
  38. ↑ 清水潔,文藝春秋2010年10月1日号
  39. ↑ 2011年『g2』vol.7(講談社)掲載ルポ「真犯人のDNA」P199ー200
  40. ↑ 参考記事 らせんの真実-冤罪・足利事件- <終章><1>「消息」 捜査中止の参考人複数 酷似する「ビデオの男」下野新聞】(外部リンク参照)
  41. ↑ 清水潔,文藝春秋2011年1月1日号
  42. ↑ テレビ東京・BSテレ東『0.1%の奇跡!逆転無罪ミステリー【実録…やってないのに】衝撃冤罪!4連発(テレビ東京、2019/6/10 19:00 OA)の番組情報ページ | テレビ東京・BSテレ東 7ch(公式)』。オリジナルの2019年8月20日時点におけるアーカイブ。2019年10月17日閲覧。
  43. 1 2 文藝春秋2010年12月号 清水潔
  44. ↑ 清水潔(文藝春秋2010年10月1日号
  45. ↑ “<「足利事件」とDNA鑑定>佐藤博史弁護士に聞く”. あらたにす. 2009年5月9日. 2009年5月11日時点のオリジナルよりアーカイブ.全10頁
  46. ↑ 「新・知ってはいけない!?」船瀬駿介 著[要ページ番号]
  47. ↑ 文藝春秋2011年3月号 清水潔
  48. ↑ 清水潔『殺人犯はそこにいる』新潮社、2013年、257頁。
  49. ↑ “未解決事件 File.19「北関東連続幼女誘拐・殺人事件」”. 未解決事件. 2026年9月23日. NHK総合.
  50. ↑ 【らせんの真実-冤罪・足利事件(下野新聞)】より
  51. ↑ 足利事件で無期懲役判決を受けた男性が冤罪だと訴えていた支援者らのホームページの「群馬・栃木県境の未解決幼女殺害・失踪事件地図」という項
  52. ↑ 清水潔,2010年11月
  53. ↑ 足利事件 真犯人は ('09.6.7)(youtube)[リンク切れ]
  54. ↑ “第221回国会 法務委員会 第8号(令和8年5月8日)”. 衆議院 (2026年5月8日). 2026年9月24日閲覧。

参考文献

発表順

関連項目

脚注
  1. ↑ 朝日新聞2021年4月24日西部朝刊31面。

外部リンク