野呂圭介

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のろ けいすけ
野呂 圭介
本名 板元 義典
生年月日 (1933-04-03) 1933年4月3日(91歳)
出生地 日本の旗 日本・鹿児島県鹿児島市
職業 俳優、タレント・ローカルタレント・陶芸家
ジャンル 映画、テレビドラマ、バラエティ
活動期間 1958年 - 1995年
2009年 -
配偶者 あり
公式サイト 灯芸 野呂窯[リンク切れ]
主な作品
『元祖どっきりカメラ』(NTV系)
備考
1995年に芸能界を一旦引退。2009年に芸能界に復帰。現在、陶芸家としても活躍
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野呂 圭介(のろ けいすけ、本名:板元 義典[1]、1933年4月3日 - )は、日本の俳優・タレント・ローカルタレント・陶芸家。鹿児島県鹿児島市出身。

来歴・人物

鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校卒業。

俳優を志して上京し、1958年に『踏みはずした春』(日活)でデビュー以後、脇役として日活のスクリーンで活躍した。

邦画産業が斜陽化した1969年以降、僚友の宍戸錠と共に、テレビ番組『元祖どっきりカメラ』(NTV系)に転出。長髪にGパン、デニムベストのヒッピー風スタイルで赤ヘルを被り、ストーリーの最後に「どっきりカメラ NTV」と書かれたプラカードを掲げて現れては、だまされた相手が怒って逆襲し殴られる役(赤ヘルはこの目的)で、19年間にわたって人気を博す。

1978年に持病(メニエール病)の療養で帰郷。鹿児島テレビ、テレビ熊本、テレビ宮崎のローカル番組に時折出演する傍ら、鹿児島市天文館で「スナック どっきりカメラ」を経営し、同番組で使用した赤ヘルとプラカードの実物を店内に展示していた。

趣味だった陶芸に専心するために1995年3月に芸能界を一旦引退し、間もなく店も畳んだ。宮崎県西諸県郡野尻町で修行の後、1999年に日置市伊集院町に「陶呂庵 野呂窯工房」を構え、悠々自適な活動を行っていたが、2003年に肝臓ガンを患い、闘病を余儀なくされた。2006年より由布院温泉に移住。

2009年に映画『黄金花 秘すれば花、死すれば蝶』に出演し、14年ぶりに芸能界に復帰。髪型は『どっきりカメラ』時代から長髪だったが、現在は白髪混じりの長髪と共にヒゲも伸ばしている。

ランプシェード専門ギャラリー「灯芸 野呂窯」を日置市に開業した後、現在は薩摩川内市に住居兼工房を移して陶芸を中心に活動している[2]。

長らく1937年生まれと公表していたが、2017年の『アサヒ芸能』でのインタビューにて「本当は宍戸錠と同い年(1933年生まれ)であり、公的には4歳若くごまかしていた」ことを認めた[3]。

2020年1月に宍戸が亡くなった際には、1月22日放送の『スッキリ』(日本テレビ)に電話出演して宍戸の想い出話を語ると共に、自身も健在であることを世間に知らしめた[4]。

出演

テレビドラマ

映画

バラエティー番組

脚注

  1. ↑ “私について”. 灯芸 野呂窯. OCNブログ (2009年10月29日). 2013年1月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月7日閲覧。
  2. ↑ “「元祖どっきり」のあの俳優、大病経て陶芸に魂”. 読売新聞. (2013年2月17日). オリジナルの2013年2月20日時点におけるアーカイブ。 2013年2月16日閲覧。
  3. ↑ 野呂圭介(インタビュアー:アサヒ芸能)「“元祖どっきりカメラ”あの野呂圭介に「陶芸家転身18年生活」を直撃!」『アサヒ芸能, 徳間書店』、2017年4月19日。2017年4月19日閲覧。
  4. ↑ “「どっきりカメラ」野呂圭介さんが「スッキリ」で宍戸錠さんを追悼…「謝り役を野呂にやらせようとなってそれが20年続いた”. スポーツ報知. 報知新聞社. (2020年1月22日) 2020年1月20日閲覧。
  5. ↑ “Cast”. 映画『のさりの島』公式サイト. 2021年4月10日閲覧。

外部リンク