ししど じょう
宍戸 錠
宍戸 錠
キネマ旬報社『キネマ旬報』第284号(1961)より
本名 宍戸 錠
生年月日 (1933-12-06) 1933年12月6日
没年月日 (2020-01-18) 2020年1月18日(86歳没)
出生地 日本の旗 日本・大阪府大阪市北区
死没地 日本の旗 日本・東京都世田谷区
身長 174 cm
血液型 B型
職業 俳優・タレント・司会者
ジャンル 映画、テレビドラマ
活動期間 1955年 - 2020年
活動内容 1954年:日活ニューフェース
1955年:『警察日記』でデビュー
1959年:『ギターを持った渡り鳥』
1960年:『拳銃無頼帖 抜き討ちの竜』、『海から来た流れ者』
1961年:『ろくでなし稼業』
1994年:『私立探偵濱マイク』シリーズ
配偶者 宍戸游子(本名・宍戸昌子)
(2010年死別)
著名な家族 郷鍈治(実弟)
ちあきなおみ(義妹)
宍戸史絵(紫しえ、長女)
宍戸開(長男)
公式サイト 宍戸錠オフィシャルウェブサイト
主な作品
テレビドラマ
『国盗り物語』
『勝海舟』
『葵 徳川三代』
『ゆうひが丘の総理大臣』
『あさひが丘の大統領』
『武田信玄』
映画
『渡り鳥シリーズ』
『拳銃無頼帖シリーズ』
『私立探偵濱マイク』シリーズ
バラエティー番組など
『なんでもやりまショー』
『巨泉・前武ゲバゲバ90分!』
『カリキュラマシーン』
『くいしん坊!万才』
受賞
日本アカデミー賞
会長特別賞
2021年
その他の賞
テンプレートを表示

宍戸 錠(ししど じょう、(英:Joe Shishido)1933年〈昭和8年〉12月6日 - 2020年〈令和2年〉1月18日[1][2][3][4])は、日本の俳優・タレント・司会者。血液型はB型。宍戸錠事務所所属。愛称は「エースのジョー」。

妻はエッセイスト、宍戸游子。宍戸開は長男、宍戸史絵(現・紫しえ)は長女、郷鍈治は実弟、ちあきなおみは義妹(実弟・郷鍈治の妻)。大阪府桜宮(現在の大阪市都島区)出身[5][4]。宮城県白石高等学校卒業、日本大学藝術学部演劇科中退。

来歴

父親は現在の福島県伊達市の出身[5]。錠によれば母親は神奈川県横浜市出身だが[5]、母親自身の話では父が台湾総督の副官であり、台湾で生まれ[6]、父の転勤で日本へ戻り、静岡県浜松市で育ったと述べている[6]。横浜高女時代に関東大震災に遭い、一家で滋賀県大津市に疎開したが、田舎暮らしを嫌い、20歳の時に単身大阪に出て、海上火災という会社に勤める。この時期に、自身と同じく関東大震災で大阪に居を移し、大阪のアーサー・バルファーという商社に勤めていた父が同じビルで働いていたことで知り合い、結婚したという[5][6]。父はその後、工作機械を扱う会社を起業して独立し[5][6]、満州事変の特需で250万円[注釈 1]の収益を得た[5]。この後、「錠」は大阪で出生[5]。「錠」という名前の由来は宍戸家が子沢山だったため、『この子を最後の子にしたい(子作りに錠前を掛ける)』という両親の思いがあったからだという[注釈 2][7]。家のあった桜宮は下請けの町工場と温泉マークがあったため、環境に悪いと3歳[5]から5歳の頃[4]、家族で東京滝野川へ移り住む[6]。父は仕事を辞めその後は亡くなるまで定職に就かず、1300坪ほどの家を建て、一家は裕福な生活を送る[5][4][6]。当時は300円で家が一軒買えた時代だったが、滝野川の家は10万円で購入した[6]。1970年頃の価値で、5~6億円はしたという[6]。

小学6年生の頃に東京大空襲で敷地に焼夷弾240発が落とされて自宅が全焼し[6]、跡地はドサクサに紛れた何者かに居座られ、奪われてしまう。遠い親戚を頼り宮城県斎川村(現在の白石市)に疎開する[5][6]。当地に父が家を建て[5]、高校卒業まで当地で育つ。

勉強もスポーツもよく出来、高校ではバスケットボール部に所属。映画鑑賞にも熱心で、プロ野球選手か、実業団で野球をやるか、俳優になるか考えた末、1952年の高校卒業後、早稲田で演劇をやろうと決意する。しかし受験に失敗[5]、日本大学藝術学部に進む[5]。同期にケーシー高峰、砂塚秀夫、赤江瀑、嵐徳三郎ら[5]。

大学2年の1954年、日活ニューフェイス(第1期生)に合格[5]、大学を中退し3月15日付で日活に入社[5]。

『警察日記』(1955年)

1955年、『警察日記』での若い巡査役で銀幕デビュー。この頃は線の細い美青年だったが、1956年にトレードマークとなる豊頬手術を受ける。本人は「それはそれでいいんですが、一方ではもし整形しなかったら、もっとすごい俳優になれていたかもしれないっていう意識も常にあったんですよ」と述懐するが、これを機に「アクの強い役=悪役」への転向を果たした。

1962年に游子(昌子)と結婚し、3人の子を儲ける。宍戸開は長男である。

1966年、鈴木恂の設計で邸宅を建てる。

1992年、弟の郷鍈治が病死。

2001年、豊頬の際に注入された異物(オルガノーゲン)を摘出手術で取り除いた[注釈 3]。摘出手術に踏み切った理由を「理由の一つに、僕は70歳を前にして普通のジジイの顔になりたくてやっただけ」と語っていた[8]。

映画や創生期のテレビドラマ『事件記者[注釈 4]』などに出演。タフでハードボイルドな役柄で小林旭らと共に名を知られ、日活アクション映画の需要もあって、「エースのジョー」と呼ばれて親しまれた。エースのジョーのニックネームは日活の宣伝部員によって名付けられ、これは宍戸が「ハリウッドの3流ギャング映画的な『殺し屋ジョー』でやりたい」というリクエストに応えたものだった[9][注釈 5]。

宍戸が考案した「チッチッチッ」のジェスチャー[10](他人の発言や行動をたしなめる仕草)

1971年、日活との専属契約を打ち切りフリーとなる。テレビへと活動の場を移し、テレビドラマの他に『巨泉・前武ゲバゲバ90分!』に出演したり息子と『くいしん坊!万才』のレポーターを務めた。

2006年、息苦しさを感じ、心臓血管研究所付属病院での検査の結果、虚血性心不全と診断されて即入院。冠状動脈カテーテル・バルーン手術を受けた。

2010年4月16日、妻・游子が癌のため死去。

2013年2月4日、1966年に建築した自宅が全焼[11][12]、妻の死去後は独り暮らしで外出時の出火だった[13]。直後のホテル住まいを経て、翌月からは賃貸マンションで暮らした。消防署の調べでは古い電熱器のコードが原因だと判明。この火事で思い出の品々や過去の衣装、日用の衣類までほぼすべて失い[14]、本人は「しょうがない、今後の衣服はユニクロで我慢するか」と語った[15]。

2020年1月18日、虚血性心疾患のため東京都内の自宅で死去[1][16]。86歳没[2][3]。1月21日未明に東京都世田谷区にある自宅で倒れている宍戸が発見され、警察や救急隊により死亡が確認された。

2021年、第44回日本アカデミー賞会長特別賞を受賞。

人物

『ヒッチコック・マガジン』1961年5月増刊号より

出演作品

映画

『渡り鳥いつまた帰る』(1960年)
『大草原の渡り鳥』(1960年)
『ろくでなし稼業』 (1961年)
『現代悪党仁義』(1965年)

テレビドラマ

Vシネマ

舞台

劇場アニメ

吹き替え

担当俳優

映画

ドラマ

バラエティ

ラジオ

CM

その他

著作

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ↑ 1978年頃の貨幣価値で60億円。
  2. ↑ その後に実弟の郷鍈治が生まれることとなる。
  3. ↑ 摘出までの過程はテレビ放送され、話題となった。
  4. ↑ 現存するわずか数本のうち、2本(1958年7月放送)に出演していた。これらの映像は現在、横浜市中区日本大通にある放送ライブラリーなどで見ることができる。
  5. ↑ 古くから海外ミステリーの熱心な愛読者でもあり、日活の路線も相まって、比較的趣味と近い部分で役柄やイメージを展開していた。
  6. ↑ 最後の出演映画。
  7. ↑ 没後にムービープラスでカット部分を追加吹替して再放送された際は咲野俊介が追加部分を担当[25]。

出典

  1. 1 2 “宍戸錠さん死因は虚血性心疾患、本人希望すでに密葬”. 日刊スポーツ (2020年1月23日). 2024年12月7日閲覧。
  2. 1 2 ““エースのジョー”宍戸錠さん死去、86歳「渡り鳥」「流れ者」シリーズ敵役で人気”. Sponichi ANNEX. スポーツニッポン (2020年1月21日). 2024年12月7日閲覧。
  3. 1 2 俳優 宍戸錠さん(86)が死去,毎日放送,2020年1月21日[リンク切れ]
  4. 1 2 3 4 “大阪弁を使えと言われたら、今でも使えまっせ。|宍戸 錠”. BRUTUS.jp. MAGAZINE HOUSE CO., LTD. (2019年9月4日). 2019年9月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月7日閲覧。
  5. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 高平哲郎「宍戸錠インタビュー」『ムービーマガジン Vol.18』1978年10月1日発行、ムービーマガジン社、12–21頁。
  6. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 毒蝮三太夫「シリーズ おふくろ 第30回 宍戸錠五郷鍈治兄弟の母 宍戸文さん」『週刊平凡』1972年7月27日号、平凡出版、150–153頁。
  7. ↑ “エースのジョー由来「3流殺し屋」求めた宍戸錠さん”. 日刊スポーツ (2020年1月21日). 2024年12月7日閲覧。
  8. ↑ “宍戸錠さん死去 トレードマークの両頰 3度の整形手術に踏み切った理由とは”. 毎日新聞 (2020年1月21日). 2024年12月7日閲覧。
  9. ↑ “エースのジョー由来「3流殺し屋」求めた宍戸錠さん”. 日刊スポーツ (2020年1月21日). 2024年12月7日閲覧。
  10. ↑ “宍戸錠さん死去 優れたアイデアマン…立てた指を左右に動かし「チッチッチッ」を発明”. デイリースポーツ online (2020年1月21日). 2024年12月7日閲覧。
  11. ↑ “宍戸錠宅全焼 79歳ひとり暮らしけがなし”. 日刊スポーツ (2013年2月5日). 2024年12月7日閲覧。
  12. ↑ “宍戸錠さん宅が全焼 外出中でけが人なし”. msn産経ニュース (2013年2月4日). 2013年2月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月7日閲覧。
  13. ↑ “宍戸錠怒りあらわ「捕まえてやりたい」”. 日刊スポーツ (2013年2月6日). 2024年12月7日閲覧。
  14. ↑ “「エースのジョー」宍戸錠さん、自宅でひっそり死す…86歳、日活支えた昭和の大スター”. スポーツ報知 (2020年1月22日). 2024年12月7日閲覧。
  15. ↑ “宍戸錠全焼豪邸更地にして3億円土地売却”. 日刊スポーツ (2013年3月20日). 2024年12月7日閲覧。
  16. ↑ “宍戸錠さん死因は虚血性心疾患、本人希望すでに密葬”. 日刊スポーツ (2020年1月23日). 2024年12月7日閲覧。
  17. ↑ 小原乃梨子『声に恋して声優』p95〜95より。
  18. 1 2 “「エースのジョー」宍戸錠さんが死去、86歳 13年には自宅全焼”. スポーツ報知 (2020年1月21日). 2024年12月7日閲覧。
  19. ↑ “自宅全焼直後に記者を圧倒した79歳 放火疑い激怒、すさまじかった迫力…宍戸錠さんを悼む”. スポーツ報知 (2020年1月22日). 2024年12月7日閲覧。
  20. ↑ “整形手術で大ブレイク!? エースのジョーこと宍戸錠の伝説とは?”. シネマトゥデイ (2010年6月16日). 2024年12月7日閲覧。
  21. ↑ “宮根誠司 宍戸錠さんから「一番の名優」と名指しされ「ビビりまくった」と告白”. デイリースポーツ online (2020年1月22日). 2024年12月7日閲覧。
  22. ↑ “宍戸錠さん 2次会の店を率先して予約する腰の低い人だった”. NEWSポストセブン. 小学館 (2020年12月21日). 2024年12月7日閲覧。
  23. ↑ “vol.8 日本一拳銃の似合う男"エースのジョー"をしのんで”. 日活 (2020年9月5日). 2024年12月7日閲覧。
  24. ↑ 東宝特撮映画全史 1983, p. 538, 「主要特撮作品配役リスト」
  25. ↑ “戦略大作戦【吹替完全版】ムービープラスオリジナル” (2023年8月1日). 2023年8月1日閲覧。
  26. ↑ “TBSラジオ番組表(昭和43年10月7日)” (PDF). TBSラジオ&コミュニケーションズ (1968年10月7日). 2013年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月27日閲覧。

参考文献

外部リンク

⌬ Phoenix Mesh CID: 未登録 IPFS未登録 📡 0ピア N=1 CRITICAL PQS A91