金鎧山古墳
| 金鎧山古墳 | |
|---|---|
| 所在地 | 長野県中野市新野 |
| 位置 | 北緯36度43分26.70秒 東経138度21分52.60秒 / 北緯36.7240833度 東経138.3646111度座標: 北緯36度43分26.70秒 東経138度21分52.60秒 / 北緯36.7240833度 東経138.3646111度 |
| 形状 | 円墳 |
| 規模 |
直径17m 高さ2.6m |
| 埋葬施設 | 合掌形石室(石棺) |
| 出土品 | 人骨・銅鏡・玉類・武器・工具・馬具・須恵器・土師器 |
| 築造時期 | 5世紀末 |
| 史跡 | 中野市指定史跡「金鎧山古墳」 |
| 地図 | |
金鎧山古墳(きんがいざんこふん/きんがいさんこふん)は、長野県中野市新野(しんの)にある古墳。形状は円墳。中野市指定史跡に指定されている。
概要
長野県北部、中野平東縁の三沢山脈の一支脈の先端部(標高差約70メートル)において、麓の沖積地を一望する位置に築造された古墳である。1925年(大正14年)に発掘されて副葬品が出土している。
墳形は円形で、直径17メートル・東側高さ2.6メートル・西側高さ1.9メートルを測る[1]。墳丘は土石混合墳丘で、安山岩質の偏平な石と土を混ぜて構築され[2]、外表では葺石が認められる[1]。また墳丘上方では周溝の存在が推測され、南西裾部では須恵器・土師器が多数出土している[1][2]。埋葬施設は合掌形石室(石棺)で、墳丘中央南東寄りにおいて主軸を北東-南西方向とする。長さ2.35メートル・幅0.64メートルを測り、側石の上に板石を屋根形に組む[1]。石材は安山岩の平石で、内面を赤彩する[2]。石室(石棺)内からは人骨のほか、副葬品として銅鏡・玉類・武器・工具などが出土している。
築造時期は、古墳時代中期の5世紀末(須恵器陶邑TK208型式併行期)頃と推定される[2](ただし副葬品には時期幅があり、墳裾の須恵器は初葬時でない可能性がある[1])。埋葬施設を合掌形石室とする古墳は善光寺平に分布しており、朝鮮半島との関係が推測される[1]。
古墳域は1985年(昭和60年)に中野市指定史跡に指定されている。現在では、石室(石棺)の石材は持ち出されて痕跡のみを残している[1]。
遺跡歴
出土品
大正14年・昭和61年に出土した遺物は次の通り[1]。
- 銅鏡
- 五鈴鏡
- 珠文鏡
- 装身具
- 勾玉
- 管玉
- ガラス丸玉
- 小玉
- 滑石製臼玉
- 貝製腕輪
- 武器
- 剣
- 直刀
- 鉾
- 鉄鏃
- 工具
- 鉄斧
- 鋸
- 刀子
- 砥石
- 馬具
- 環鈴
- 鈴
- 轡
- 鉸具
- 帯金具
- 留金具
- 須恵器 - 高坏、甕、二重𤭯など[2]。
- 土師器 - 高坏など[2]。
- 玉類
- 貝輪付着石材
- 砥石
- 三環鈴
文化財
中野市指定文化財
- 史跡
- 金鎧山古墳 - 1985年(昭和60年)4月26日指定。
関連施設
脚注
参考文献
(記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(中野市教育委員会、2004年設置)
- 「金鎧山古墳」『長野県の地名』平凡社〈日本歴史地名大系20〉、1979年。ISBN 4582490204。
- 「金鎧山古墳」『長野県史』 考古資料編 全1巻(2) 主要遺跡(北・東信)、長野県、1982年。
- 小林三郎「金鎧山古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
- 「金鎧山古墳」『中野市の指定文化財』(増補改訂版)中野市教育委員会〈中野市文化財調査報告書第7集〉、2011年。
関連文献
(記事執筆に使用していない関連文献)
- 森本六爾『金鎧山古墳の研究』雄山閣、1926年。
- 森本六爾『金鎧山古墳の研究』信毎書籍出版センター、1978年。
- 檀原長則「中野平の主な古墳のあり方」『七瀬古墳群・田麦中畝古墳群』中野市教育委員会、1989年、175-178頁。 - リンクは奈良文化財研究所「全国文化財総覧」。
- 「金鎧山古墳」『中野市の指定文化財』中野市教育委員会〈中野市文化財調査報告書第1集〉、2003年。
外部リンク
- 中野市指定文化財【史跡】 > 金鎧山古墳 - 中野市ホームページ
- 金鎧山古墳 - 公益財団法人八十二文化財団
