鈴村京子

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すずむら きょうこ
鈴村 京子
鈴村 京子
本名 高宮春子
生年月日 (1913-02-10) 1913年2月10日
没年月日 不詳年
出身地 大阪府大阪市東成区鶴橋南町
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『弥八追分節』における鈴村京子(右は尾上菊太郎)

鈴村 京子(すずむら きょうこ、1913年2月10日[1] - ?)は、日本の女優。本名:高宮 春子[1]。

経歴

大阪府大阪市東成区鶴橋南町出身[1]。生家は料亭をしていた[1]。玉造高等女学校卒業後の1930年3月に東亜キネマの映画『無憂華』のヒロイン募集に応募し、三原那智子とともに合格した[1]。三原はこの出演のみで元の職業であった小学校教師に戻ったが、鈴村はそのまま東亜キネマに入社し女優を続けることとなった[1]。その後、東亜キネマのいくつかの映画に出演するが、1931年9月に不振により代行会社である東活映画社に引き継がれることとなり、鈴村もこのタイミングで退社した[1]。

翌年の1932年2月に東亜キネマ京都撮影所長であった高村正次が設立した正映マキノキネマに入り、2本の時代劇『喧嘩道中記』『二番手赤穂浪士』で相手役を務めたが、同年3月末に解散した[1]。同年6月に日活太秦時代劇部に入り、数多くの映画に出演した[1]。

1937年1月に『小市丹兵衛』に出演したのを最後に東宝京都撮影所に移った[1]。1939年には東宝東京に移ったが、1940年に退社し映画界を去った[1]。

出演

[1]

脚注

注釈

出典

  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 『日本映画人名事典 女優篇 上巻』キネマ旬報社、892-893頁。