元明朝の霊亀元年(715年)2月に長屋王と吉備内親王(元明天皇の娘)との間に生まれた子女は皇孫として扱う詔勅が出され、同母兄の膳夫王・葛木王らとともに二世王待遇となる[1][2]。この当時の皇太子は首皇子であったが、藤原氏を母に持つの首の即位をよく思わなかったため、皇位継承権はあったといわれる[3][4]。
神亀6年(729年)2月に父の左大臣・長屋王が国家転覆を企んでいるとの漆部君足らの密告により、両親と共に自殺[5](長屋王の変)。
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