鎌倉ペンクラブ

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鎌倉ペンクラブ(かまくらぺんくらぶ)は、鎌倉在住の作家等による親睦団体である。1936年(昭和11年)に久米正雄の提唱で発足し[1]、1959年(昭和34年)に解散した[2][注 1] 。2001年(平成13年)に三木卓、井上ひさし、安西篤子らが中心となって復活した[5]。

概要

昭和初期、より良い創作環境を求めて多くの文学者が鎌倉に移り住み、鎌倉文士と呼ばれ親交を深めていった[6]。1933年(昭和8年)に「鎌倉アマチュア写友会」が結成され[6]、1934年(昭和9年)に鎌倉カーニバルが始まった[6]。 鎌倉ペンクラブは久米正雄の提唱で[1]全国に先駆けて結成され[6]、1936年(昭和11年)11月25日、長谷の中華料理店、南浦園で発会式が開かれた[7]。発足当初の会員は44名[7][2]、会費は一年5円だった[2]。初代会長は久米正雄、副会長は大佛次郎[7]、幹事長は山田珠樹[2]、幹事は岡田慎吉、佐藤正彰、林房雄がつとめた[2]。岡田慎吉方に事務所が置かれた[2]。

鎌倉在住のほとんどの作家が参加し、鎌倉文庫や鎌倉カーニバルにつながった[1]。1938年(昭和13年)には、鎌倉ペンクラブなどの協力で、鶴岡八幡宮の境内に鎌倉ゆかりの著名人らの書画をぼんぼりに仕立てて掲げるぼんぼり祭りが始まった[8][9]。野球チーム「Qクラブ」(のちに「老童軍」)もつくられた[10]。

久米正雄が1952年(昭和27年)3月に死去し、里見弴が会長となった[11]。会費の滞納者が増えたことなどから[3]、1959年(昭和34年)に解散した[2]。解散時の会員は70名ほどだった[2][11]。

2001年、三木卓、井上ひさし、かまくら春秋社の代表・伊藤玄二郎が世話人となって復活した[3]。鎌倉市内や逗子市、葉山町在住の作家、エッセイスト、評論家など100人ほどがメンバーとなり[12]、初代会長には三木卓、副会長には井上ひさしと安西篤子が就任した[3]。10月27日に鎌倉プリンスホテルにて設立総会が開催された[12]。会則には会員相互の交流を深めることや、文化向上を目指すことなどが掲げられた[12]。復活の背景には、バブルがはじけて鎌倉の土地の値段や家賃が下がり、鎌倉に移り住む若手作家が増えたことなどがあげられている[4]。

2002年、読み札を市民から募集し、絵札をペンクラブ会員が描いた鎌倉かるたが制作された[13][14]。新保祐司の発案で[13]、ペンクラブの初仕事となった[13]。約三千件の応募があり、約半数が小中学生だった[13]。2003年から建長寺でかるた大会が開催されている[14]。

2004年、故人のすぐれた歌を集めた「鎌倉百人一首」の選定を行なった[15][16]。

市民向けの文化講座[17]や、東日本大震災の被災地を支援する書画展[18]などを開催している。

作家、編集者、詩人、大学教授、住職などが参加し[3]、2025年9月時点での会員は約150人[3]。

会長

第一次

第二次

会員

第一次

第二次

脚注

注釈

  1. ↑ 1961年に解散したとする文献もある[3][4]。

出典

  1. 1 2 3 文芸散策の会 1997, p. 106.
  2. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 鹿児島達雄『現代鎌倉文士』かまくら春秋社〈鎌倉叢書30〉、1984年、93頁。全国書誌番号:85051373。
  3. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 「(カルチャー@かながわ)鎌倉ペンクラブ、新会長は住職 朝比奈さん「人と人、つなぎたい」/神奈川県」『朝日新聞』2025年9月5日、朝刊・神奈川全県・地域総合、18面。
  4. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 「新鎌倉文士、続々移住の理由 40年ぶりにペンクラブも復活」『週刊朝日』2002年1月25日、144頁。
  5. 1 2 3 4 伊藤 2005, p. 82.
  6. 1 2 3 4 鎌倉文学館 2005, p. 54.
  7. 1 2 3 4 5 6 文芸散策の会 1997, p. 110.
  8. ↑ 伊藤 2005, p. 7.
  9. ↑ 「ぼんぼりの書画、お披露目 三谷幸喜さんら揮毫、鶴岡八幡宮 /神奈川県」『朝日新聞』2023年8月5日、朝刊・横浜・1地方、31面。
  10. ↑ 鎌倉文学館 2005, p. 55.
  11. 1 2 3 文芸散策の会 1997, p. 112.
  12. 1 2 3 4 「文士、古都に集う 27日に鎌倉ペンクラブ復活 /神奈川」『朝日新聞』2001年10月24日、朝刊 神奈川1、31面。
  13. 1 2 3 4 「地元の名所や歴史をかるたに 鎌倉ペンクラブが初仕事 /神奈川」『朝日新聞』2002年12月18日、朝刊・神奈川1、31面。
  14. 1 2 「鎌倉かるた、396人が熱戦 建長寺で小中学生ら参加 /神奈川県」『朝日新聞』2013年3月3日、朝刊・湘南・1地方、35面。
  15. 1 2 「ゆかりの歌選んで「鎌倉百人一首」に ペンクラブ制作へ /神奈川」『朝日新聞』2004年11月27日、朝刊 神奈川2、30面。
  16. ↑ 「鎌倉詠んだ108人の314首一冊に 「現在」の歌にこだわり /神奈川県」『朝日新聞』2012年1月5日、朝刊 横浜・1地方、33面。
  17. 1 2 伊藤 2005, p. 83.
  18. 1 2 3 4 5 6 「被災地の乳児に粉ミルク贈ろう 鎌倉、支援の書画展 /神奈川県」『朝日新聞』2011年12月14日、朝刊 湘南・1地方、29面。
  19. ↑ 鎌倉文学館 1999, p. 66.
  20. ↑ 鎌倉文学館 2005, p. 182.
  21. ↑ 「最後の鎌倉文士逝く 「文学館」に尽力の永井龍男さん 神奈川」『朝日新聞』1990年10月14日、朝刊 神奈川。

参考文献

  • 文芸散策の会 編『文士の愛した鎌倉』JTB、1997年。ISBN 4-533-02815-2。 
  • 鎌倉文学館 編『鎌倉文学散歩 長谷・稲村ガ崎方面』鎌倉市教育委員会、1999年、16-17頁。全国書誌番号:20011038。 
  • 伊藤玄二郎 編『鎌倉の文学小事典 文学を歩く』かまくら春秋社、2005年。全国書誌番号:20930112。 
  • 鎌倉文学館 編『文学都市かまくら100人』鎌倉文学館、2005年。全国書誌番号:20890237。