鎌倉大仏

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鎌倉大仏の正面

銅造阿弥陀如来坐像(どうぞうあみだにょらいざぞう)は、神奈川県鎌倉市長谷の高徳院に安置されている、鎌倉時代の阿弥陀如来坐像である。通称は鎌倉大仏(かまくらだいぶつ)。国宝に指定されている銅造の仏像であり、屋外に安置された「露坐の大仏」として知られる。像高は約11.3メートル、重量は約121トンで、鎌倉を代表する文化財の一つである。[1][2]

像は1252年(建長4年)に鋳造が開始されたとされるが、原型作者や造立の詳細については不明な点が多い。鎌倉時代の仏教彫刻を代表する作品であり、ほぼ造立当初の姿をとどめている点でも重要である。[3]

概要

  • 名称:銅造阿弥陀如来坐像
  • 通称:鎌倉大仏
  • 所在地:神奈川県鎌倉市長谷四丁目2番28号
  • 所有者:高徳院
  • 時代:鎌倉時代
  • 像高:約11.39メートル
  • 台座を含む高さ:約13.35メートル
  • 重量:約121トン
  • 材質:青銅
  • 像種:阿弥陀如来坐像
  • 指定区分:国宝(彫刻)
  • 国宝指定年月日:1958年(昭和33年)2月8日

寸法・重量は『国宝 鎌倉大仏由来記』および修理工事報告書に基づく。文化庁の国指定文化財等データベースでは、名称を「銅造阿弥陀如来坐像」、時代を鎌倉時代、所在地を神奈川県鎌倉市、所有者を高徳院としている。[4][5][6]

歴史

造立

鎌倉大仏の造立は、鎌倉幕府の支援のもとで進められたと考えられている。『吾妻鏡』には、1252年(建長4年)8月に大仏の鋳造を開始したことを示す記録がある。日本遺産ポータルサイトでは、武家政権と民衆の安寧を願って造立された仏像として紹介されている。[7][8]

高徳院の由来に関する資料によると、造立には僧の浄光が勧進した浄財が充てられたと伝えられる。ただし、造立の発願者や資金調達、制作過程などの詳細については、確定していない部分が残されている。像の原型を制作した人物も判明していない。[9]

鋳造と作者

鋳造には、河内の鋳物師である丹治久友が関与した可能性が指摘されている。久友は1264年(文永元年)に鋳造された大和吉野山の金峯山寺蔵王堂の鐘銘に「新大仏鋳物師丹治久友」と記され、同年鋳造の東大寺真言院の鐘銘にも「鋳物師新大仏寺大工」とある。これらの銘文は、当時の大仏鋳造に携わった技術者を考えるうえで重要な史料である。なお、鐘自体は現存しない。

鎌倉大仏の体部は7段、頭部は前面が5段、背面が6段に分けて鋳造されたことが、像の内外に残る痕跡から確認されている。大規模な青銅像を複数の部分に分けて鋳造した技術を示すものであり、像の構造を知る手掛かりとなっている。[10]

鎌倉大仏は、当初から現在のような露坐の姿であったわけではない。かつては大仏殿の内部に安置されていたが、建物は大風や地震によって損壊したとする記録が残る。『太平記』や『鎌倉大日記』には、1334年(建武元年)、1369年(応安2年)、1498年(明応7年)の災害と大仏殿の損壊に関する記述がある。現在は大仏殿が失われ、像が屋外に安置されている。[11][12]

像の特徴

姿勢と表情

鎌倉大仏は、両脚を組んで座る阿弥陀如来像である。体部に比べて頭部が大きく、頭部が前傾し、背中が丸まったような姿勢をとる。顔面は角張った平面的な造形で、肉髻(にっけい、頭頂部の盛り上がり)は低い。これらの特徴には、鎌倉時代に流行した宋風の仏像表現との関連が指摘されている。[13]

像は衣を両肩にかける通肩の着装法をとる。両手は膝上で組み、定印(じょういん)を結ぶ。阿弥陀如来像には来迎印を結ぶものも多いが、鎌倉大仏は定印をとる点で異なる。浅見は、この印相などから、真言宗ないし天台宗系の信仰との関係を指摘している。[14]

顔面には目や眉、口、耳などの細部が表現されている。瞳は上瞼の影に隠れて見えにくいが、実際には表現されている。右頬には、造立当初に施されたと考えられる金箔の痕跡が残る。

寸法と重量

像高は約11.39メートルで、台座を含む高さは約13.35メートルである。面長は約2.35メートル、眼長は約1メートル、眉長は約1.24メートル、口幅は約0.82メートル、耳長は約1.9メートルとされる。重量は約121トンである。[15][16]

121トンという重量は、1959年から1961年にかけて実施された修理・耐震補強工事の際、実測された数値である。工事ではジャッキ23台を使用して像を約55センチメートル持ち上げ、その下に秤を設置して2度計量し、平均値を求めた。[17]

材質と鋳造技術

青銅の組成

本像は一般に「銅造」と呼ばれるが、材質は純銅ではなく、銅、錫、鉛などを主成分とする青銅である。

1959年から1961年にかけて実施された修理・耐震補強工事では、頭部内面から試料を採取し、電子線マイクロアナライザーによる材質分析が行われた。その結果、採取部位によって差はあるものの、平均含有比率は銅68.7パーセント、鉛19.6パーセント、錫9.3パーセントと報告された。[18]

中国銭との関係

鎌倉大仏の青銅は、銅の含有量が比較的少なく、鉛の割合が高いことが特徴である。この組成をめぐっては、鋳造材料に中国から輸入された銅銭が利用された可能性が指摘されている。

2008年、平尾良光は『Isotope News』に「鎌倉大仏の素材は中国銭」と題する論考を発表した。金属組成や鉛同位体比などの分析を通じて、像の材料と中国銭との関係を検討したものである。ただし、材料の産地や具体的な調達経路については、分析結果と歴史的背景を踏まえて評価する必要がある。[19][20]

金箔の痕跡

鎌倉大仏は造立当初、表面に金箔が施されていたと考えられている。現在も右頬付近には金箔の痕跡が確認できる。青銅に含まれる鉛の割合が高いことと表面の鍍金方法との関係についても論じられているが、当初の仕上げの具体的な工程には、なお検討すべき点がある。[21]

像内の構造

鎌倉大仏の内部は空洞であり、内部からは鋳造時の構造や、後世の修理による補強の痕跡を確認できる。首のくびれに当たる部分の変色は、補強工事で使用された繊維強化プラスチックによるものとされる。

内部は拝観者に公開されることがあるが、公開の可否や入場方法は施設の運営状況によって異なる。見学に当たっては、高徳院の案内に従う必要がある。[22]

保存修理と調査

1959年から1961年の大修理

1959年から1961年にかけて、大仏の修理・耐震補強工事が行われた。この際、重量の実測や材質分析などが実施され、像の構造や金属組成に関する基礎的な資料が得られた。修理の記録は『高徳院国宝銅造阿弥陀如来坐像修理工事報告書』にまとめられている。[23]

2015年度から2016年の保存修理

2015年7月28日、1959年からの大修理以来およそ半世紀ぶりとなる修理の実施が発表された。当初の報道では、総事業費は約6,500万円と見込まれていた。修理は2016年1月から約2か月間にわたって行われ、像の洗浄や異物の除去、状態の記録などが実施された。修理期間中は拝観が中止されたが、同年3月11日に拝観が再開された。[24][25]

修理と並行してエックス線による調査なども行われた。また、像の内部にチューインガムが貼り付けられたり、落書きがされたりしていたことが確認され、これらの除去・修復が行われたと報じられた。[26]

東京文化財研究所による調査記録の公開

2015年度の保存修理では、東京文化財研究所が高徳院から委託を受け、保存修理と調査研究を実施した。調査では、像の状態記録とクリーニング、金属分析、気象環境調査、常時微動測定、免震装置の調査、高精細写真撮影などが行われた。[27]

2024年8月、同研究所は保存修理時に撮影された高精細写真などの調査記録をウェブサイトで公開した。これにより、像の表面や内部の状態を詳細に確認できる資料が研究者や一般の利用者に提供されている。[28]

文化財指定と評価

鎌倉大仏は、1897年(明治30年)12月28日に旧国宝制度のもとで指定され、1958年(昭和33年)2月8日に現行制度における国宝に指定された。文化庁の国指定文化財等データベースでは、名称を「銅造阿弥陀如来坐像」、種別を彫刻、時代を鎌倉時代としている。[29]

2016年4月25日、鎌倉大仏は日本遺産「いざ、鎌倉」の構成文化財に認定された。日本遺産ポータルサイトでは、鎌倉時代の姿をほぼ保つ鋳造仏として紹介され、武家政権と民衆の安寧を願った造立の背景が説明されている。[30]

ギャラリー

脚注

  1. ↑ “国指定文化財等データベース 銅造阿弥陀如来坐像”. 文化庁. 2026年10月14日閲覧。
  2. ↑ “鎌倉大仏と高徳院”. 鎌倉大仏殿高徳院. 2026年10月14日閲覧。
  3. ↑ “鎌倉大仏(銅造阿弥陀如来坐像)”. 日本遺産ポータルサイト. 2026年10月14日閲覧。
  4. ↑ 国宝 鎌倉大仏由来記. 鎌倉大仏殿 高徳院
  5. ↑ 高徳院国宝銅造阿弥陀如来坐像修理工事報告書. 高徳院国宝銅造阿弥陀如来坐像修理工事委員会. (1961)
  6. ↑ “国指定文化財等データベース 銅造阿弥陀如来坐像”. 文化庁. 2026年10月14日閲覧。
  7. ↑ “鎌倉大仏殿跡”. 文化庁. 2026年10月14日閲覧。
  8. ↑ “鎌倉大仏(銅造阿弥陀如来坐像)”. 日本遺産ポータルサイト. 2026年10月14日閲覧。
  9. ↑ “鎌倉大仏と高徳院”. 鎌倉大仏殿高徳院. 2026年10月14日閲覧。
  10. ↑ “鎌倉大仏殿跡”. 文化庁. 2026年10月14日閲覧。
  11. ↑ “鎌倉大仏と高徳院”. 鎌倉大仏殿高徳院. 2026年10月14日閲覧。
  12. ↑ “鎌倉大仏殿跡”. 文化庁. 2026年10月14日閲覧。
  13. ↑ 浅見(2000)、25頁。
  14. ↑ 浅見(2000)、25頁。
  15. ↑ 国宝 鎌倉大仏由来記. 鎌倉大仏殿 高徳院
  16. ↑ 高徳院国宝銅造阿弥陀如来坐像修理工事報告書. 高徳院国宝銅造阿弥陀如来坐像修理工事委員会. (1961)
  17. ↑ 高徳院国宝銅造阿弥陀如来坐像修理工事報告書. 高徳院国宝銅造阿弥陀如来坐像修理工事委員会. (1961)
  18. ↑ 塩澤(2010)、68頁。
  19. ↑ 平尾良光 (2008). “鎌倉大仏の素材は中国銭”. Isotope News (656): 22-27.
  20. ↑ “鎌倉の大仏様「素材は中国銭」別府大グループが解明”. 朝日新聞. 2008年6月21日.
  21. ↑ 塩澤(2010)、68頁。
  22. ↑ “鎌倉大仏殿高徳院”. 高徳院. 2026年10月14日閲覧。
  23. ↑ 高徳院国宝銅造阿弥陀如来坐像修理工事報告書. 高徳院国宝銅造阿弥陀如来坐像修理工事委員会. (1961)
  24. ↑ 「半世紀ぶり大修理 鎌倉大仏」『神奈川新聞』広域17頁、2015年7月29日。
  25. ↑ “調査関連資料”. 鎌倉大仏殿高徳院. 2026年10月14日閲覧。
  26. ↑ 鎌倉大仏の胎内にガム100カ所超 半世紀ぶり大調査『産経新聞』朝刊、2018年4月23日。
  27. ↑ “報道発表 高徳院国宝銅造阿弥陀如来坐像(鎌倉大仏)調査記録公開”. 東京文化財研究所 (2024年7月22日). 2026年10月14日閲覧。
  28. ↑ “高徳院 国宝 銅造阿弥陀如来坐像 調査記録”. 東京文化財研究所. 2026年10月14日閲覧。
  29. ↑ “国指定文化財等データベース 銅造阿弥陀如来坐像”. 文化庁. 2026年10月14日閲覧。
  30. ↑ “鎌倉大仏(銅造阿弥陀如来坐像)”. 日本遺産ポータルサイト. 2026年10月14日閲覧。

参考文献

  • 浅見(2000)、25頁。
  • 塩澤(2010)、68頁。
  • 高徳院国宝銅造阿弥陀如来坐像修理工事委員会『高徳院国宝銅造阿弥陀如来坐像修理工事報告書』1961年。
  • 平尾良光「鎌倉大仏の素材は中国銭」『Isotope News』656号、2008年、22–27頁。

外部リンク