長奥麻呂

ウィキペディアから、無料の百科事典

長 奥麻呂(なが の おきまろ、生没年不詳)は、飛鳥時代の官人[1]、歌人[1][2]である。名は意吉麻呂[3][4]、興麻呂とも表記される[3]。

経歴・人物

経歴については不明な部分が多いが渡来系として生まれ[4]、初めは官人として活躍したといわれている[1]。『万葉集』によれば、699年の文武天皇の難波行幸[4]や701年(大宝元年)の文武および持統上皇の紀伊行幸に携わったとされている[4]。

702年(大宝2年)頃には文武、持統の三河行幸にも携わったとされている[1]。この時に詠んだ和歌や宴席にて題として与えられた即興の狂歌等14首からなる短歌が[1][2]、『万葉集』に収録されている[1][2]。なお、行幸の際に詠んだ和歌は6首残されている[4]。

歌

  • 一二の目 のみにはあらず 五六三四 さへありけり 双六の頭 - 奥麻呂が得意とする種類の和歌が強調されている[1]。第八首、『万葉集』16巻に収録[1]。

脚注

  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞出版)『長奥麻呂』- コトバンク
  2. 1 2 3 デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『長奥麻呂』- コトバンク
  3. 1 2 デジタル大辞泉(小学館)『長奥麻呂』- コトバンク
  4. 1 2 3 4 5 世界大百科事典 第2版(平凡社)『長意吉麻呂』- コトバンク

外部リンク