阿娑縛抄

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『阿娑縛抄』(あさばしょう)とは、鎌倉時代に天台宗西山派の尊澄、承澄らによって編纂された台密の事相に関する集大成書である[1]。撰述には通算40年の歳月を要し、数度の段階的な作業を経て成立しており、巻数は228巻とも233巻ともいわれ、成立年代も諸説ある[1]。

概要

『阿娑縛抄』とは、天台宗の密教修法次第、教相、天台宗の地名・僧伝・寺院縁起など様々な内容を含む200余巻から成る書籍である。密教三部(仏部・蓮華部・金剛部)の諸尊についての諸作法、口伝の抄録、諸尊・道場の図、灌頂、加持、諸寺略記、明匠等略伝、香薬といった内容を含み[2]、諸巻にはそれぞれ「金灌記」、「妙見」、「諸寺略記」といった名がある[3]。それらをまとめたものが『阿娑縛抄』である[3]。

『阿娑縛抄』巻一 表紙(国立国会図書館デジタルコレクション、著作権保護期間満了)[4]

『阿娑縛抄』成立以前の天台宗においては、真言宗における『覚禅抄』のような修法次第を集めて要点をまとめた「修法要覧」という分類の書物が存在していなかった[5]。密教の法は師資相承の秘伝で、肝心なところは口伝で伝えられたが、時代が下ると同じ宗派でも流派ごとに秘伝が異なるようになり、その解決のために「事相」という派独自の解釈や作法を記した手記などが大量に書かれたことが、さらに混乱を招いた[5]。

このため、密教を学ぶ修学者向けに要点をまとめた便覧が編まれるようになり、天台宗においては西山派の僧侶である尊澄と承澄によって、この大著が生まれることになった[6]。中世では西山流の僧侶がこれを転写・相伝したが、近世以降になると他宗でも書写されるようになったことが明らかになっている[7]。また、作者である尊澄・承澄の構想にはなかった巻も現在の『阿娑縛抄』には収録されている[8]。

現在、活字本として見ることができる『阿娑縛抄』は、『大日本仏教全書』と『大正新修大蔵経』の図像部に収録されたものである[9]。ただし、前者はどの写本を底本にしたかが明確ではない[9]。後者は毘沙門堂本、浅草寺本、天海蔵本などの底本を各巻ごとに明記している[9]。また、いずれも完本をあげてはおらず[9]、「耕雨経」と「六字法本」がいずれにも収録されていない[10]。翻刻の誤りや異同もある[7]。

総合的な研究には乏しく[1]、『阿娑縛抄』のテキストとしての特性や修法・口伝の具体的な内容などはまだ解明されていない[7]。その一方で、例えば『阿娑縛抄』の中に収集された「感応寺縁起」が、蘇民将来譚と結びつく前の鎌倉前・中期の牛頭天王信仰の研究における貴重な史料ともなっている[11]。

書名

『阿娑縛抄』という書名は「けだし三部の通号、入修の門を広くすといえども、仏蓮根の部を出でざるが故」に名付けられた、ということが序文に書かれている[5]。

三部の通号とは、胎蔵界曼荼羅を構成している3つの世界、すなわち仏の大いなる慈悲を「阿」の文字で象徴する「仏部」、禅定を「娑」の字で象徴する「蓮部」、智を「縛」の字で象徴する「金剛部」のことである[12]。つまり『阿娑縛抄』とは、仏部・蓮部・金剛部(阿・娑・縛)の3つの世界の「抄」録、という意味である[12]。

成立年代

作者を尊澄(承澄の弟子)とするか、承澄(1205-1282、藤原師家の四男[13]、京都東山三条の小川に住んだことから小川僧正とも呼ばれる)とするかで、成立年代については主に2つの説がある。『阿娑縛抄』の撰述には通算40年の歳月を要し、数度の段階的な作業を経て成立しており[12]、奥書の内容から、編集作業は主に京都三条の小川で行われ、承澄が東下しているときには鎌倉の大蔵谷、二階堂谷、永福寺谷などで草書したことがわかっている[14]。

永福寺跡(鎌倉市)。尊澄は鎌倉下向の際、ここの禅房に寄寓した[15]。

承澄を筆者とするのは切畑健の説で、『阿娑縛抄』の奥書から仁治3年(1242年)から弘安7年(1284年)を成立年代とする[16]。尊澄を作者とする宮島新一の説では仁治2年(1241年)から正元元年(1259年)を成立年代とし、原形の『阿娑縛抄』は165巻程と想定している[16]。いずれにしても、鎌倉時代中期に成立したことは確かである。なお、この2人については『尊卑分脈』の系図から、17歳差の兄弟関係であったという説がある[17]。

作者

『阿娑縛抄』の各巻の奥書の研究から、承澄の弟子・尊澄が資料を編集し、原稿を作って筆書するなど根本的な役割を果たし[18]、その師であり監修的な立場であった承澄が再治、増補したという説が現在では有力となっている[7][19]。また承澄は台密の諸流に通じたほか、絵画にも優れていたといい[12]、切畑は『阿娑縛抄』に収録されている壇図などについては、承澄が描いたものと想定している[20]。

『阿娑縛抄』巻六十、「第三形像事」の図(国立国会図書館デジタルコレクション、著作権保護期間満了)[21]

文永11年(1274年)以降は尊澄の名が奥書から消えており[22]、その後の文永12年(1275年)からは承澄の名前が奥書にみられるようになり、弘安5年(1282年)10月22日に没する直前まで阿娑縛抄の書き加え・書き改めをしたとみられる[13]。承澄の死後も、三河国実相寺にて承澄と同時期からその死後の弘安年間も『阿娑縛抄』の書写を続けた、爾然という僧侶もいる[23]。

構成

『阿娑縛抄』の構成は、「十を列ねて二十要を綜錯」とあるように、諸法の歴史と実修の次第を以下の十項目に分け、さらにポイントとなる細目を二十要挙げるものとなっている[24][8]。

  • 一、可修此法事(この法を修すべきこと)
  • 二、支度事(支度の事)
  • 三、形像事(形像の事)
  • 四、道場荘厳事(道場荘厳の事)
  • 五、行法事(行法の事)
  • 六、護摩事(護摩の事)
  • 七、行法用事事(行法用事の事)
  • 八、経軌事(経軌の事)
  • 九、私事事(私記の事)
  • 十、巻数事(巻数の事)

また『阿娑縛抄』には、台密法曼竜の戎光房静香然の著述である『行林抄』と東密の著名な図像集である『十巻抄』が主要な図像集として収録されており[17]、これらについての図像学的価値が論じられることがある[16]。

収録されている本尊別の修法

写本

尊澄らが書いた原本は現存せず、成立年代に近い中世に書かれた写本も現存するものが少ないため、研究の少なさや遅れに繋がっている[25][26]。近世の写本はまとまって伝来しているものが多い[26]。

中世の写本

大半は室町時代に書写されたものである[25]。徳川将軍家の側近を務めた天台僧・天海にまつわる叡山文庫でも全体の三分の一しか収集できていないことから、江戸時代には既に『阿娑縛抄』の善本が乏しい状況にあったとみられている[25]。

  • 叡山文庫本(滋賀県大津市[3]):巻子本79軸と真如蔵の巻子本13軸から成る[7]。
  • 宝戒寺本(神奈川県鎌倉市[3]):7巻が現存しており『鎌倉市史』史料編に収録されている[27]。
  • 曼殊院本(京都市[3]):現存最古とみられるが[7]、昭和7年(1932年)の調査時点でほぼ全巻にわたって糊離れによる錯乱や、虫損があるという保存状態の悪さであった[10]。
  • 華厳寺本(岐阜県揖斐郡揖斐川町[3])
  • 延暦寺旧行泉院本[28]
  • 成菩提院本(滋賀県米原市[3]):70巻程度が伝わっており、中世の写本は西山流の僧侶が書写したものと、成菩提院の第2世慶瞬が関わったものの2つに大別される[29]。豪鎮書写・校合本、厳豪書写本、円俊書写本、応永二十九年書写本、嘉吉元年本、享徳元年書写本、康正三年書写本、天文十六年書写本、天文十七年書写本、天文二十四年書写本、永禄六年写本、天正十三年書写本が中世の写本である[29]。このほかに近世の写本や書写年次が不明な写本も含む[29]。

近世の写本

全体的な特徴として、奥書に承応年間に善祐という僧侶が書写したと書かれているものについては、滋賀県西教寺の正教院が所蔵する写本をもとにしたものと考えられている[30]。また、数多く認められるのが宝永年間に比叡山横川兜率谷鶏頭院の厳覚による写本で、さらに厳覚と同じ鶏頭院の天忠の奥書がある享保14年の写本も流布した[26]。

脚注

出典

  1. 1 2 3 大久保 2001, p. 3.
  2. ↑ 松本 2008, p. 385.
  3. 1 2 3 4 5 6 7 松本 2008, p. 386.
  4. ↑ “『阿娑縛抄』巻一 表紙”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 2026年10月18日閲覧。
  5. 1 2 3 藤巻 & 岡田 2012, p. 44.
  6. ↑ 藤巻 & 岡田 2012, pp. 44–45.
  7. 1 2 3 4 5 6 宇代 2015, p. 112.
  8. 1 2 松本 2008, p. 387.
  9. 1 2 3 4 松本 2020, p. 2.
  10. 1 2 宮島 1977, p. 24.
  11. ↑ 鈴木 2019, p. 182.
  12. 1 2 3 4 藤巻 & 岡田 2012, p. 45.
  13. 1 2 切畑 1969, p. 186.
  14. ↑ 切畑 1969, pp. 186–187.
  15. ↑ 宮島 1977, p. 25.
  16. 1 2 3 大久保 2001, p. 4.
  17. 1 2 宮島 1977, p. 34.
  18. ↑ 宮島 1977, p. 32.
  19. ↑ 土屋 2006, p. 14.
  20. ↑ 切畑 1969, p. 188.
  21. ↑ “『阿娑縛抄』巻六十、「第三形像事」の図”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 2026年10月18日閲覧。
  22. ↑ 切畑 1969, p. 185.
  23. ↑ 土屋 2006, p. 14-15.
  24. 1 2 3 4 5 6 藤巻 & 岡田 2012, p. 46.
  25. 1 2 3 宮島 1977, p. 23.
  26. 1 2 3 松本 2020, p. 1.
  27. ↑ 松本 2008, p. 389.
  28. ↑ 宇代 2015, p. 113.
  29. 1 2 3 成菩提院史料研究会 2018, p. 26.
  30. ↑ 松本 2020, p. 13.
  31. ↑ 松本 2020, p. 11.
  32. ↑ 松本 2020, pp. 9–10.

参考文献

  • 宇代貴文「叡山天海蔵『阿娑縛抄』の分類と転写経緯に関する基礎的考察」『天台学報』第58巻、天台学会、2015年、112-126頁。 
  • 切畑健「阿娑縛抄:その成立と撰者承澄」『佛教藝術』第70巻、毎日新聞出版、1969年3月、182-209頁。 
  • 成菩提院史料研究会 編『天台談義所:成菩提院の歴史』法蔵館、2018年2月。ISBN 978-4-8318-6239-6。 
  • 鈴木耕太郎 編『牛頭天皇信仰の中世』法蔵館、2019年7月。ISBN 978-4-8318-6254-9。 
  • 土屋有里子「無住と天台密教:『阿娑縛抄』と三河実相寺」『日本文学』第55巻第12号、日本文学協会、2006年12月、12-20頁。 
  • 日本仏教研究会 編『日本仏教の文献ガイド:『日本の仏教』第Ⅱ期・第3巻』法蔵館、2001年12月。ISBN 9784831802897。 
  • 藤巻一保・岡田明憲 編『東洋秘教書大全』学研パブリッシング、2012年9月。ISBN 978-4-05-405433-2。 
  • 松本公一「『阿娑縛抄』の近世写本の生成と伝播」『東洋研究』第218巻、大東文化大学東洋研究所、2020年、1-44頁。 
  • 宮島新一「『阿娑縛抄』をめぐる二、三の問題:曼殊院本を中心にして」『佛教藝術』第112巻、毎日新聞出版、1977年4月、23-56頁。 
  • 吉原浩人・王有 編『海を渡る天台文化』勉誠出版、2008年12月。ISBN 978-4-585-03222-9。 
    • 松井公一「『阿娑縛抄』を中心にみる中世天台教学(穴太西山流)の伝播について」。