隅谷三喜男

ウィキペディアから、無料の百科事典
隅谷三喜男
生誕 (1916-08-26) 1916年8月26日
東京府東京市麻布区麻布谷町(現・東京都港区六本木)
死没 (2003-02-22) 2003年2月22日(86歳没)
東京都新宿区
国籍 日本の旗 日本
研究分野 労働経済学
母校 東京帝国大学経済学部
テンプレートを表示

隅谷 三喜男(すみや みきお、1916年(大正5年)8月26日 - 2003年(平成15年)2月22日[1])は、日本の経済学者。専門は労働経済学。東京大学名誉教授、北京大学名誉教授、遼寧大学名誉教授、東北師範大学名誉教授、中国社会科学院名誉高級研究員。1961年、東京大学経済学博士。博士論文は「日本賃労働史論」。1982年日本学士院会員。2001年キリスト教功労者[2]。

生涯

東京府東京市麻布区麻布谷町(現在の東京都港区六本木)生まれ。東京府立第一中学校(現在の東京都立日比谷高等学校)卒業。同中学4年時に洗礼。1934年第一高等学校文科甲類入学。同高在学中には寮総代会議長等を務めた。1937年東京帝国大学経済学部入学。1940年治安維持法違反容疑で3ヶ月間の拘留を受ける。1941年東京帝大卒業。

大学卒業後は、社会の底辺で働きたいという希望から満州の昭和製鋼所[3]に勤務。ここで五味川純平と出会い、満州労働問題の研究に従事することになる。敗戦後の1946年に帰国し、東大大河内一男門下で労働問題の理論的、実証的研究に努め、戦後の労働経済学に道をひらいた[1][4]。

1947年東京大学経済学部講師、1948年同助教授、1955年同教授。この間ウィスコンシン大学客員教授等を歴任。東大紛争直後の1969年から1972年まで東京大総長特別補佐。1977年東京大を定年退官。その後は信州大学教授、東京女子大学学長、日本労働協会会長、雇用審議会委員、国鉄再建監理委員会委員[5]、社会保障制度審議会会長、通商産業政策史編纂委員会委員長[6]、ラスキン文庫会長[7]等を歴任[1][4]。

世界平和アピール七人委員会メンバー[4]。

成田空港問題の解決のために成田空港問題シンポジウムを主催した隅谷調査団の団長としても知られる[1][3]。

2003年2月22日、東京都新宿区の病院で死去。86歳没。

人物

敬虔なクリスチャンとしても知られ、1978年から日本キリスト教海外医療協力会会長を務めた[1]。

1992年8月に成田空港の騒音区域から移転した農家が時限式発火装置で放火された事件について、「ゲリラ事件だと思うが、犯行声明も出さないのは運動家の風上にも置けない卑劣な行動だ」と批判し、自宅に金属弾を打ち込まれている[8]。

和田春樹とともに「新しい歴史教科書をつくる会」による中学歴史教科書を批判している[9]。

著作

単著

共著

編著

  • 『近代日本総合年表』岩波書店 初版~4版

論文

脚注

  1. 1 2 3 4 5 「隅谷 三喜男」『20世紀日本人名事典』。コトバンクより2022年7月23日閲覧。
  2. ↑ 日本キリスト教文化協会 顕彰者一覧※2022年10月23日閲覧
  3. 1 2 「隅谷三喜男」『デジタル大辞泉』。コトバンクより2022年7月23日閲覧。
  4. 1 2 3 「隅谷三喜男」『日本人名大辞典+Plus』。コトバンクより2022年7月23日閲覧。
  5. ↑ “国鉄再建監理委員会資料”. 経済学図書館・経済学部資料室. 東京大学. 2022年7月23日閲覧。 “国鉄再建監理委員会委員と務めた名誉教授・隅谷三喜男氏(1916-2003)の寄贈。”
  6. ↑ “通商産業政策史”. www.rieti.go.jp. 独立行政法人経済産業研究所. 2022年7月23日閲覧。 “尚「通商産業政策史(第一期)」は、1945-79年を対象に隅谷三喜男委員長の許に編纂され、”
  7. ↑ “一般財団法人ラスキン文庫について”. jruskin.la.coocan.jp. 一般財団法人ラスキン文庫. 2022年7月23日閲覧。 “ラスキン文庫前理事長 故隅谷三喜男氏による「現代文化に問いかける図書館」より”
  8. ↑ 朝日新聞成田支局『ドラム缶が鳴りやんで―元反対同盟事務局長石毛博道・成田を語る』四谷ラウンド、1998年、172p
  9. ↑ “「歴史教科書には51カ所の誤り」 日本人研究者が指摘”. 人民網日本語版 (2001年4月26日). 2022年7月23日閲覧。

関連項目


先代
大河内一男
社会保障制度審議会会長
1984年 - 1995年
次代
宮澤健一