随徳寺

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随徳寺(ずいとくじ)

  • 寺の名称の一つ。
  • 「ずいっと出ていく」を寺の名称のように洒落た地口の一種。「とんずらする」の意。「一目散」を山号化した「一目山随徳寺」ともいう。山号寺号を参照。
  • 東京都台東区に実在する寺の名称。本項にて解説。

随徳寺
所在地 東京都台東区下谷2-18-7
位置 北緯35度43分21.8秒 東経139度47分3.2秒 / 北緯35.722722度 東経139.784222度 / 35.722722; 139.784222 (随徳寺)座標: 北緯35度43分21.8秒 東経139度47分3.2秒 / 北緯35.722722度 東経139.784222度 / 35.722722; 139.784222 (随徳寺)
山号 光雲山
院号 慈現院
宗派 真宗大谷派
本尊 阿弥陀如来
創建年 寛永14年(1637年)
法人番号 7010505000322 ウィキデータを編集
随徳寺の位置(東京都区部内)
随徳寺
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随徳寺(ずいとくじ)は、東京都台東区にある真宗大谷派の寺院。

歴史

1637年(寛永14年)に開山された。元々は湯島に位置していたが、1657年(明暦3年)の明暦の大火で焼け出された。幕府より、代替地として麻布広尾(現・港区南麻布周辺)の地を提示されたが、遠隔地であったことから、幕府に再度頼み込んだ結果、現在地を提示され、移転した[1]。

墓地には、江戸時代のテクニカル分析「酒田五法」を編み出した相場師の本間宗久の墓がある[2]。

交通アクセス

脚注

  1. ↑ 東京市下谷区 編『下谷区史』東京市下谷区、1935年、1054p
  2. ↑ 河合敦 著『豪商列伝 なぜ彼らは一代で成り上がれたのか』PHP研究所、2014年、216p

参考文献

  • 東京市下谷区 編『下谷区史』東京市下谷区、1935年
  • 河合敦 著『豪商列伝 なぜ彼らは一代で成り上がれたのか』PHP研究所、2014年