雌阿寒温泉

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雌阿寒温泉
左手前「野中温泉別館」、その右に僅かに見えるのが「野中温泉」、右奥「景福」
温泉情報
所在地 北海道足寄郡足寄町
座標 北緯43度23分43.22秒 東経143度59分0.96秒 / 北緯43.3953389度 東経143.9836000度 / 43.3953389; 143.9836000座標: 北緯43度23分43.22秒 東経143度59分0.96秒 / 北緯43.3953389度 東経143.9836000度 / 43.3953389; 143.9836000
交通 阿寒湖温泉よりバスで約10分
泉質 単純硫黄泉など
泉温(摂氏) 50 - 80 °C
液性の分類 弱酸性
宿泊施設数 0
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雌阿寒温泉(めあかんおんせん)は、北海道足寄郡足寄町にある温泉(硫黄泉)[1]。大正時代に野中増次郎が「野中温泉」を開業し[2]、さらに周囲に旅館が増えて「雌阿寒岳温泉」と称されるようになった温泉地である[3]。歴史的には野中温泉が最初に開業し、その後再び唯一の温泉旅館となったこともあり[3]、地元では「野中温泉」と称されている[2]。

泉質

  • 単純硫黄泉など

温泉街

雌阿寒岳の火口から北西方の山の中腹にある[4]。2026年10月現在、営業中の施設はない(後述)。

「景福」は雌阿寒温泉ではなくオンネトー温泉と名乗っていたが、隣接地であり泉質もほぼ同じ事から同一温泉地として扱われた。2014年に度重なる事故から休業ののち廃業し、建物は解体されている。

温泉から約200メートル道路を下ったところに雌阿寒岳の主要な登山口の一つである雌阿寒温泉登山口がある[1][5]。

歴史

雌阿寒岳の西の麓ではミネラルが豊富な湯が古くから湧き、アイヌの人々が利用していたと言われる[5]。

足寄町(オンネトー魅力創造委員会)の2018年(平成30年)の報告書によると、1913年(大正2年)に野中増次郎により開湯したという[1]。野中一家がこの地に初めての温泉旅館を開いたのは1914年(大正3年)のことである[5]。その後、その周囲に旅館が増えて「雌阿寒温泉」として認知され始めた[5]。

1956年(昭和31年)にユースホステル、1958年(昭和33年)に景福、1960年(昭和35年)に国民宿舎、1963年(昭和38年)に阿寒富士荘、1969年(昭和44年)に国民宿舎を移設し、野中温泉別館(後山の宿野中温泉)が開業した[1]。

1973年(昭和48年)3月30日、環境庁告示第20号により国民保養温泉地に指定された。

2011年(平成23年)3月31日、野中温泉ユースホステルが宿泊業を閉業し、日帰り入浴施設となった後、廃業し解体済。

2014年(平成26年)10月、「オンネトー温泉 景福」で入浴中の宿泊客が硫化水素中毒で重体となる事故が発生。このため自主休業[6]、後に廃業し解体済。

2025年(令和7年)1月23日、山の宿野中温泉の建物から出火。木造2階建て建物がほぼ全焼[7]、休業となった。

アクセス

  • バス:阿寒湖温泉よりバスで約20分。阿寒湖温泉まではリンク先参照。

脚注

  1. 1 2 3 4 平成29年度 オンネトー魅力創造委員会 取組報告書 足寄町、2025年1月27日閲覧。
  2. 1 2 “足寄物語~Ashoro Stories その10 「山の宿 野中温泉」”. あしょろ観光協会. 2026年10月13日閲覧。
  3. 1 2 “雌阿寒温泉”. あしょろ観光協会. 2026年10月13日閲覧。
  4. ↑ 田中 康裕「火山噴火に伴った温泉の温度変化」 温泉科学49巻4号、2025年1月27日閲覧。
  5. 1 2 3 4 雌阿寒温泉 国土交通省、2025年1月27日閲覧。
  6. ↑ “温泉旅館で硫化水素ガス中毒か 入浴中の男性、倒れ重体”. 朝日新聞. 2016年10月21日. 2016年10月21日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2016年10月22日閲覧.
  7. ↑ “秘境の湖「オンネトー」近くの温泉、ほぼ全焼 看板猫が行方不明”. 朝日新聞digital (2025年1月24日). 2025年1月24日閲覧。

関連項目