韓棱の孫にあたる。順帝のとき、丹陽太守となり、政事に有能で知られた。後に太常に転じた。155年(永寿元年)6月[2]、司空となった。157年(永寿3年)11月[2]、司徒に転じた。159年(延熹2年)8月、大将軍の梁冀が自殺すると、韓演は梁冀の党与として罪に問われ、死罪のところを減刑されて、潁川郡に帰された。後に再び召し出されて司隷校尉に任じられた。
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