高天神六砦

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高天神城址の遠景
高天神城と六砦の位置関係
1.小笠山砦、2.能ヶ坂砦、3.火ヶ峰砦、4.獅子ヶ鼻砦、5.中村砦、6.三井山砦、7.高天神城
戦場となった高天神山の航空写真(1988年)。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

高天神六砦(たかてんじんろくとりで)は、現在、静岡県掛川市および菊川市域となっている遠江国城東郡にあった6カ所の戦国時代の城郭群(砦群)である。高天神城の戦いに際して徳川方が築城・利用した。

概要

武田勝頼方の高天神城を包囲するため[1][2][3]、徳川家康により築かれた6つの砦を指す[1][2][3]。なお、高天神六砦のうち、能ヶ坂砦、火ヶ峰砦、獅子ヶ鼻砦、中村砦、三井山砦の5つは、高天神城を攻略するために家康により新たに築城された砦である[1]。それに対して、小笠山砦は、もともと今川氏真方の掛川城を攻略するために家康により築城された砦であり[3]、のちに勝頼方の高天神城の攻略に際して家康が再活用したものである[3]。なお、家康の家臣である松平家忠は高天神六砦の普請に携わっていたことから[2]、『家忠日記』にはこれらの砦の普請に関する記録が残されている[2]。

高天神六砦の包囲網の完成により、高天神城への兵糧や弾薬の補給は遮断された[1]。その結果、高天神城の将兵は飢えに苦しみ、城に立てこもる岡部元信らは苦境に陥った。元信らは主君である武田勝頼に救援を求めたが、勝頼は援軍を送ることができなかった。第二次高天神城の戦いにより高天神城が落城し、元信らが討死すると、役割を終えた6つの砦も廃止されることになった。

構成

脚注

注釈

  1. ↑ 1889年に静岡県城東郡西之谷村、中村の大部分、川久保村の一部と合併し、静岡県城東郡中村(のちの静岡県掛川市)となった。その後、旧大石村はさまざまな変遷を経て、静岡県小笠郡城東村(のちの静岡県掛川市)となるが、1957年に旧大石村の一部が静岡県小笠郡小笠町(のちの静岡県菊川市)に編入され、1958年にも旧大石村の一部が静岡県小笠郡小笠町に編入された。その結果、獅子ヶ鼻砦の所在地は、静岡県菊川市となっている。

出典

関連項目

外部リンク