魚喃キリコ
なななん キリコ 魚喃 キリコ | |
|---|---|
| 生誕 |
1972年12月14日 日本・新潟県西蒲原郡吉田町(現・燕市) |
| 死没 | 2024年12月25日(52歳没) |
| 職業 | 漫画家 |
| 活動期間 | 1993年 - 2024年 |
| ジャンル | 青年漫画 |
| 代表作 |
『blue』 『南瓜とマヨネーズ』 『strawberry shortcakes』[1] |
魚喃 キリコ(なななん キリコ、1972年〈昭和47年〉12月14日[2] - 2024年〈令和6年〉12月25日)は、日本の女性漫画家。
新潟県西蒲原郡吉田町(現・燕市)出身。新潟清心女子高等学校、日本デザイン専門学校出身。
来歴
幼稚園の頃より漫画が好きで絵を描き始める。5歳の頃から漫画家になりたかったという。中学生、高校生になり出版社に投稿を始めるも全て落選。その頃、岡崎京子の漫画を読み影響を受ける。
1993年、日本デザイン専門学校在学中に描いた『hole』(「ガロ」掲載)でデビュー。白黒のコントラストを強調した、イラスト的でクールな絵柄を特徴とする。自らの体験などをベースに、主に若い男女の恋愛模様を描いている。
2002年に『blue』が市川実日子、小西真奈美主演で映画化された。大友良英率いる「blueバンド」に参加し、サウンドトラックの演奏を行っている。2004年にはblueバンドのライブも行われた。
2006年に『strawberry shortcakes』が『ストロベリーショートケイクス』として映画化された。岩瀬 塔子(いわせ とうこ)の芸名で出演もしている。
2025年12月25日、1年前の同日に52歳で亡くなったことを東京ニュース通信社が発表した[3]。死去から1年後の発表となったのは、本人ならびに遺族の意向による[3][4]。52歳没。
人物
作品リスト
著書
- Water.(1996年4月、青林堂) - 初期短編集。1998年にマガジンハウスから再刊行。
- blue(1997年4月、マガジンハウス) - 初の長編作品。2003年、安藤尋監督により映画化。2026年、タツノコプロによりショートムービー化[6]。
- 痛々しいラヴ(1997年8月、マガジンハウス)
- ハルチン(1998年3月、マガジンハウス) - 雑誌『Hanako』で連載されたもの。カラー。
- 南瓜とマヨネーズ(1999年10月、宝島社)
- strawberry shortcakes(2002年12月、祥伝社) - 雑誌『FEEL YOUNG』で連載されたもの。矢崎仁司監督により映画化。
- 短編集(2003年2月、飛鳥新社)
- 15(共著、2004年1月、青幻舎)
- キャンディーの色は赤。(2007年7月、祥伝社)
- 東京の男の子(安彦麻理絵、大久保ニュー共著、2008年3月、太田出版) - 鼎談。
- ハルチン1・2(2008年7月、祥伝社) - 雑誌『Hanako』で連載されたもの。カラー。(1は1998年のマガジンハウス版と同様)
- ちいさなスージー(2009年4月、祥伝社) - ナナナンキリコ名義のぬりえ絵本。
- 僕はひとりで夜がひろがる 立原道造詩集(2010年4月、パルコエンタテインメント事業部) - 立原道造詩集の挿絵。
その他
脚注
- ↑ “魚喃キリコのプロフィール・作品情報”. コミックナタリー. ナターシャ. 2026年4月25日閲覧。
- ↑ “魚喃キリコのプロフィール・画像・写真”. WEBザテレビジョン. KADOKAWA CORPORATION. 2025年12月14日閲覧。
- 1 2 『【訃報】漫画家・魚喃キリコ氏 逝去に関するお知らせ』(プレスリリース)東京ニュース通信社、2025年12月25日。2025年12月25日閲覧。
- ↑ 「漫画家・魚喃キリコさん死去 52歳 代表作は実写化された『南瓜とマヨネーズ』」『オリコンニュース(ORICON NEWS)』oricon ME、2025年12月25日。2025年12月25日閲覧。
- ↑ 『鳩よ! 2000年9月号 NO.197』p9 マガジンハウス
- ↑ “魚喃キリコを追悼し、初期代表作「blue」のショートムービーを公開”. コミックナタリー. ナターシャ (2026年1月24日). 2026年2月4日閲覧。
- ↑ “ど人生”. 毎日放送. 2008年4月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月25日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 魚喃キリコofficial (@NanananOfficial) - X(旧Twitter)