鳥類保護
| Bird conservation | |
|---|---|
| 野生鳥類とその生息環境を人為的脅威から守る保全生物学・環境政策上の取り組み | |
| 基本情報 | |
| 分野 | 保全生物学、環境政策、環境社会学 |
| 主な対象 | 絶滅危惧鳥類、渡り鳥、湿地・森林等の生息環境 |
| 主な国際条約 | ラムサール条約、ワシントン条約、移動性野生動物種の保全に関する条約 |
| 代表的な担い手 | BirdLife International、日本野鳥の会、日本鳥類保護連盟、各国政府機関 |
鳥類保護(ちょうるいほご、英: bird conservation)とは、野生の鳥類とその生息環境を、乱獲・密猟・生息地の破壊・環境汚染・外来種・気候変動などの人為的な脅威から守り、個体群の維持・回復を図るための調査研究・法制度・国際協力・市民運動などの総体を指す概念である。
19世紀後半の欧米における「羽根狩り」への反対運動を起点として世界的な保護運動へと発展し、20世紀には国際的な渡り鳥条約や自然保護条約の枠組みが整備された。日本においても明治期の狩猟規則にはじまり、日本野鳥の会や日本鳥類保護連盟などの民間団体、および鳥獣保護法制・種の保存法制を通じて独自の展開を遂げてきた。
概要
鳥類は生態系の上位捕食者から種子散布者、花粉媒介者まで多様な生態的役割を担う一方、生息環境の変化に敏感に反応することから、環境の変化を示す指標生物としても位置づけられてきた。
19世紀の産業革命以降、森林伐採や湿地の干拓による生息地の消失、装飾用の羽毛採取を目的とした乱獲、農薬使用や気候変動といった要因が複合的に鳥類個体群を脅かすようになった。こうした状況を受け、鳥類保護は当初は特定の種や地域を対象とした民間の啓発運動として始まり、やがて国内法の整備、国際条約の締結、国際的な非政府組織(NGO)のネットワーク形成へと発展していった。
世界における鳥類保護の歴史
19世紀 - 保護運動の萌芽
19世紀後半の欧米では、女性用帽子の装飾に鳥の羽根や剥製を用いる「羽根の流行」が広がり、サギ類や極楽鳥など多くの鳥類が乱獲の対象となった[1]。これに対し、1889年にはイギリスでエミリー・ウィリアムソンらによって、のちの英国王立鳥類保護協会(RSPB)の母体となる団体が設立され、装飾用の羽毛取引に反対する運動を展開した[2]。
同時期のアメリカ合衆国でも、ハリエット・ヘメンウェイとミナ・ホールの2人がマサチューセッツ州で水鳥の乱獲に反対する会合を組織し、各地にオーデュボン協会(Audubon Society)が設立される契機となった[3]。1900年には連邦レベルで初の野生生物保護立法となるレイシー法(Lacey Act)が成立し、羽毛目的の鳥類取引が規制されるようになった[1]。同年、鳥類学者フランク・チャップマンの提唱により、狩猟に代わる冬季の鳥類個体数調査行事「クリスマス・バードカウント」が始まり、今日まで続く市民参加型調査の先駆けとなった[4]。
20世紀前半 - 国際的組織化と渡り鳥条約
1916年、アメリカ合衆国とカナダ(当時は英国の自治領)は 渡り鳥の保護を目的とした米国とカナダの渡り鳥保護条約に調印し、翌1917年にカナダで渡り鳥条約法が、1918年にアメリカ合衆国で米国渡り鳥条約法(Migratory Bird Treaty Act)がそれぞれ制定された。これは国境を越えて移動する鳥類を対象とした最初期の国際的な保護の枠組みの一つとされる[5][3]。
1922年6月20日、ロンドンにおいて、全米オーデュボン協会会長のT・ギルバート・ピアソンや英国王立鳥類保護協会、フランス鳥類保護連盟(LPO)、オランダの関係者らが参集し、国際鳥類保護会議(International Council for Bird Preservation, ICBP)が設立された。これは今日のBirdLife Internationalの前身であり、世界初の国際的な自然保護組織とされる[6][7]。設立からほどなくフランス・アメリカ合衆国・オランダ・イタリア・スイス・ハンガリー・オーストラリア・イギリス・ドイツ・カナダ・日本・スウェーデン・ノルウェーなど各国に国内組織が設けられた[2]。同会は1928年に国際鳥類保護委員会、1960年に国際鳥類保護協議会と改称し、1993年に現在のBirdLife Internationalへと改組された[7]。
20世紀後半 - 国際条約体制の確立
1948年には国際自然保護連合(IUPN、のちのIUCN)が設立され、ICBPはその設立にも関与した[2]。1964年には最初の鳥類版「赤色データブック」(Red Data Book)が刊行され、絶滅のおそれのある鳥類種を評価する枠組みが確立された[6]。
湿地とそこに生息する水鳥の保全を目的とした「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」(通称ラムサール条約)は、1971年にイランのラムサールで開催された国際会議で採択され、1975年に発効した[8]。また、野生動植物の国際取引を規制することで種の絶滅を防ぐことを目的とした「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」(通称ワシントン条約、CITES)は、1972年の国連人間環境会議(ストックホルム会議)での勧告を受けて1973年3月3日にアメリカ合衆国ワシントンD.C.で採択され、1975年7月1日に発効した[9][10]。
さらに、国境を越えて移動する野生動物種全般の保全を目的として、移動性野生動物種の保全に関する条約(通称ボン条約)が1979年に採択された。BirdLife Internationalの前身であるICBPは、同条約の成立過程にも関与したとされる[11]。これらの条約体制の下で、渡り鳥の飛来経路(フライウェイ)ごとに国際協力の枠組みを設ける動きも進み、東アジア・オーストラリア地域フライウェイ・パートナーシップや、国際湿地保全連合(Wetlands International)が関与するアフリカ・ユーラシアフライウェイ・イニシアティブ、アメリカズ・フライウェイ・イニシアティブ、大西洋フライウェイ・シギ・チドリ類・イニシアティブなどが構築されてきた。加えて、渡り性水鳥を対象とする地域協定として、アフリカ・ユーラシア渡り性水鳥保全協定(AEWA)も1995年に採択されている。
21世紀 - 生物多様性と気候変動の時代
2022年、BirdLife Internationalは前身のICBP設立から100周年を迎え、記念出版物『State of the World's Birds 2022』において、世界の鳥類が直面する現状と脅威、解決策を総括した[12]。同団体は現在、国際的に重要な鳥類等の生息地を選定する「重要野鳥生息地(Important Bird and Biodiversity Area, IBA)」制度を運用するとともに、国際自然保護連合(IUCN)レッドリストにおける鳥類部門の公式評価機関を務めている[13]。近年は、農地の集約化や農薬使用による農地性鳥類の減少、洋上・陸上の風力発電施設や太陽光発電施設の建設に伴う衝突事故、島嶼における外来捕食者の侵入、気候変動に伴う渡りの時期や分布域の変化などが新たな課題として指摘されている[12]。
日本における鳥類保護の歴史
明治期 - 近代的狩猟法制の始まり
江戸時代までは将軍や大名など特権階級のみに認められていた狩猟は、明治維新によって一般にも解禁され、銃猟による無秩序な乱獲が各地で進んだ。これを受け、1873年(明治6年)には銃猟の免許制や猟期を定める鳥獣猟規則が制定され[14]、1892年(明治25年)の狩猟規則では網猟・わな猟も規制対象に加えられ、ツル類、ツバメ類、ヒバリ、シジュウカラ、ホトトギス、キツツキ類、ムクドリなど15種が捕獲禁止の保護鳥獣に指定された[14]。
トキ(Nipponia nippon)はこの時点では保護の対象に含まれておらず、乱獲によって急速に数を減らしたが、1908年(明治41年)の狩猟法施行規則改正でコウノトリ・ツル類・ハクチョウ類とともにようやく保護鳥に指定された[15][16]。
北海道東部を象徴するタンチョウ(Grus japonensis)も明治期の乱獲と開拓による生息地縮小によって一時は絶滅したと考えられていた[17]。
大正・昭和戦前期 - 保護の制度化と民間団体の誕生
1918年(大正7年)には狩猟規則を発展させた「鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律」が制定され、1919年(大正8年)には自然の記念物を保護する史蹟名勝天然記念物保存法が公布された。1924年、釧路湿原でタンチョウの生存が確認されたことを契機に、地元住民の間に保護意識が芽生え、1935年(昭和10年)には湿原の一部が同種の繁殖地として天然記念物に指定された[17]。トキについても1934年(昭和9年)に国の天然記念物に指定された[18]。
民間団体としては、1934年(昭和9年)3月、中西悟堂を中心に鳥類学者や文学者、民俗学者らの後援を得て「日本野鳥之会」(現・公益財団法人日本野鳥の会)が創立され、同年6月に富士山麓の須走で国内初となる探鳥会が開催された[19]。創立当初は文化人や貴族層を中心とする会員に限られていたが、各地に支部が設けられ、1944年(昭和19年)には会員数がおよそ1800名に達した[19]。同会は「野の鳥は野に」という理念のもと、鳥を飼育・観賞の対象としてではなく、自然の中でありのままに楽しむという新しい自然観を日本社会に広めた[19]。なお日本の国内組織は、同時期に設立された国際鳥類保護会議(ICBP)にも参加国の一つとして名を連ねている[2]。
戦後 - 法制度の整備と国際協力
第二次世界大戦後、1947年(昭和22年)3月には野生鳥獣、とりわけ鳥類の保護を目的とする日本鳥類保護連盟が結成され、同年4月には「バードデーのつどい」(のちの野鳥保護のつどい)が開催された。同連盟は1957年(昭和32年)に財団法人へ改組されている。1950年(昭和25年)には史蹟名勝天然記念物保存法などを統合する形で文化財保護法が公布されるとともに、狩猟法の改正によって鳥獣保護区制度が導入された。
戦後もタンチョウ・トキの生息数は減少を続け、1952年(昭和27年)にはトキが特別天然記念物に指定され[20]、地元では佐渡朱鷺愛護会(のちの佐渡とき保護会)など住民主体の保護団体も相次いで発足した[15]。1960年には第12回国際鳥類保護会議が東京で開催され、1964年には第1次鳥獣保護事業計画が策定された。1971年(昭和46年)には環境庁が設置され、それまで林野庁が所管していた鳥獣行政が移管された[14]。同年には日米渡り鳥保護条約が調印(1974年発効)され、その後1973年に日ソ渡り鳥保護条約、1974年に日豪渡り鳥保護条約、1981年に日中渡り鳥保護条約がそれぞれ調印・発効するなど、渡り鳥の保護に関する二国間条約の整備が進んだ。
湿地保全の分野では、1980年6月17日、日本はラムサール条約に加入するとともに、北海道の釧路湿原を国内第1号の登録湿地に指定した。釧路湿原は特別天然記念物タンチョウの生息地として知られ、当初5,012ヘクタールであった登録範囲は、その後の拡大を経て7,863ヘクタールとなっている[8][21]。同年11月には、野生動植物の国際取引を規制するワシントン条約についても日本の締結が発効した[10]。一方、トキについては1981年(昭和56年)に野生下に残る個体がすべて捕獲され、日本産トキは野生絶滅に至った[20]。
平成以降 - 種の保存法制と生息地保全
1992年(平成4年)には、絶滅のおそれのある野生動植物の保護を目的とする「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律」(種の保存法)が制定され、翌1993年から施行された[14]。同年、日本産最後の雄トキが死亡した後、1999年に中国から贈呈されたつがいの間で人工繁殖による日本初のひなが誕生し、その後も中国から提供された個体を基に個体数の回復が図られた[22]。2008年からは佐渡島での試験放鳥が開始され、以後、野生下での自然繁殖も確認されるようになった[22]。
2002年(平成14年)には鳥獣保護法が大幅に改正され、法律の目的に「生物多様性の確保」が明記されるとともに、法令の文語表記が口語表記に改められた[14]。2014年(平成26年)の改正では、鳥獣の「管理」の観点が強化され、指定管理鳥獣捕獲等事業制度が創設されるなど、個体数が著しく増加した種への対応も制度化された。近年は、農地の集約化に伴う農地性鳥類の減少や、風力発電施設の建設に伴う希少猛禽類の衝突リスク、密漁・違法飼養、気候変動に伴う渡り性鳥類の個体数変動などが新たな課題として指摘されており、民間団体による調査・提言活動が継続されている[12]。
主な内容・特徴
鳥類保護の実践は、おおむね以下のような取り組みによって構成される。
- 生息地の保全・復元
- 湿地・干潟・草原・森林などの生息環境を保護区や国立公園として指定し、開発や乱獲から守るとともに、劣化した環境の再生を図る取り組み。日本では釧路湿原の自然再生事業のように、直線化された河川を蛇行状態に戻すなどの事例がある[21]。
- 渡り鳥条約・国際協定
- 国境を越えて移動する鳥類の保護のため、二国間・多国間の条約や地域協定が結ばれてきた。日米・日ソ(露)・日豪・日中の渡り鳥保護条約や、ラムサール条約、移動性野生動物種の保全に関する条約、アフリカ・ユーラシア渡り性水鳥保全協定などがこれにあたる。
- 重要野鳥生息地(IBA)の選定
- BirdLife Internationalが主導する制度で、国際的に重要な鳥類の生息地を科学的基準に基づき選定・公表する取り組み。日本野鳥の会も国内167地点をIBAとして選定・公表している。
- レッドリストによる評価
- 種の絶滅リスクを一定の基準で評価し、保全の優先順位付けに用いる仕組み。BirdLife InternationalはIUCNレッドリストの鳥類部門の公式評価機関を務めている[13]。
影響・評価
鳥類保護の取り組みは、羽毛採取目的の乱獲によって絶滅の淵にあった水鳥・サギ類の個体群回復や、トキ・タンチョウのように一時は野生絶滅ないしそれに近い状態にまで減少した種の再導入・野生復帰といった成果を挙げてきた[20][17]。一方で、BirdLife Internationalが2022年に公表した報告書は、世界の鳥類のうち多数の種が生息地の減少・断片化、農業の集約化、密猟や違法取引、気候変動などの複合的な要因により依然として減少傾向にあることを指摘しており、保護の枠組みが整備された後も脅威そのものが解消されたわけではないと評価されている[12]。また、風力発電など再生可能エネルギー施設の拡大が新たな脅威として浮上するなど、気候変動対策と鳥類保護の両立が今日的な課題として認識されている[12]。
関連項目
外部リンク
脚注
- 1 2 “The Bird Hat Craze That Sparked a Preservation Movement”. Pacific Standard. 2026年8月23日閲覧。
- 1 2 3 4 “100 Years and Counting”. BirdLife International (2022年4月14日). 2026年8月23日閲覧。
- 1 2 “The History of Audubon and Bird Conservation”. National Audubon Society. 2026年8月23日閲覧。
- 1 2 “Migratory Birds - About Us”. U.S. Fish & Wildlife Service. 2026年8月23日閲覧。
- ↑ “One hundred years of bird conservation history in Canada: introduction”. カナダ環境・気候変動省. 2026年8月23日閲覧。
- 1 2 “100 Years of BirdLife”. BirdLife International. 2026年8月23日閲覧。
- 1 2 “BirdLife International”. Encyclopaedia Britannica. 2026年8月23日閲覧。
- 1 2 “ラムサール条約の概要”. 環境省. 2026年8月23日閲覧。
- 1 2 “ワシントン条約とは|ワシントン条約と種の保存法”. 環境省. 2026年8月23日閲覧。
- 1 2 “ワシントン条約について(条約全文、附属書、締約国など)”. 経済産業省. 2026年8月23日閲覧。
- ↑ “Where Is The Headquarters Of BirdLife International Located?”. WorldAtlas. 2026年8月23日閲覧。
- 1 2 3 4 5 “鳥を絶滅から救え。野鳥保護最前線:鳥が教えてくれること8”. Canon Bird Branch Project. 2026年8月23日閲覧。
- 1 2 “BirdLife International Takes A Global Approach to Conservation”. National Audubon Society. 2026年8月23日閲覧。
- 1 2 3 4 5 “日本の鳥獣法制の歴史”. 日本野鳥の会. 2026年8月23日閲覧。
- 1 2 “国指定 記念物:トキ”. 新潟県佐渡市. 2026年8月23日閲覧。
- ↑ “トキの歴史”. 環境省関東地方環境事務所. 2026年8月23日閲覧。
- 1 2 3 “ラムサール条約湿地「釧路湿原」保全の歴史と連携”. 日本湿地ネットワーク. 2026年8月23日閲覧。
- ↑ “トキ/日本の特別天然記念物【動物と植物】”. 公益社団法人 大日本農会. 2026年8月23日閲覧。
- 1 2 3 4 “当会の歴史”. 日本野鳥の会. 2026年8月23日閲覧。
- 1 2 3 “トキ”. 環境省. 2026年8月23日閲覧。
- 1 2 “ラムサール条約”. 釧路湿原国立公園連絡協議会. 2026年8月23日閲覧。
- 1 2 “絶滅した特別天然記念物トキはなぜ佐渡島で復活したのか”. nippon.com (2022年4月9日). 2026年8月23日閲覧。