鶴岡淑子

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鶴岡 淑子(つるおか よしこ、1945年〈昭和20年〉[1] - )は日本の元女優。本名は山本典子[2]。作家・三島由紀夫が製作、監督、演出した自身の原作を基にした映画『憂国』で、主人公・武山信二中尉の貞淑な新妻・麗子を演じたことで知られる[1]。

経歴

1945年(昭和20年)に東京都墨田区で誕生[1]。しかし父親の顔を知らずに育ち、区役所に出生届が出されたのも1951年(昭和26年)であった[1]。

麹町学園の1年生だった16歳の時に女優になるため大映のニューフェイスに応募して合格[1]。高校は中退し、「茅典子」の芸名で大映の専属女優となり、『黒の試走車』、『浴槽の死美人』などの端役で映画出演した[1]。

19歳の時に後にニュー・セントアンドリュースゴルフクラブ・ジャパン(栃木県大田原市)の創設者となる東大演劇部出身の劇作家濵田善弥と結婚して大映を辞めた[1]。濵田は東京大学印度哲学科を中退した人物。また濵田は小説や戯曲なども発表し、戯曲集『原子爆弾/ある母親の死』が岸田國士戯曲賞の候補作にもなったこともあったが、典子は2年足らずで濵田と離婚した[1]。

『憂国』の映画撮影のため、麗子役の女優を探していた三島由紀夫と、藤井浩明の紹介により1965年(昭和40年)2月18日、ホテルニュージャパンで面会。相手役に抜擢された[2][1]。三島は、「彼女のナイーヴな外見や態度に、求めてゐたものが得られたと感じた」とその印象を語っている[2]。三島が命名した芸名「鶴岡淑子」は鶴岡八幡宮より採られた[2][1]。三島曰く、鶴岡八幡宮の古風で典雅なイメージを含め、淑子という名で彼女の性格を象徴して、日本女性の美しさを強調したかったからだという[2][1]。

三島と面会当時、彼女は三島のことは全く知らなかった。三島の職業がわからず、「あなた、もと大映にいたの?」と訊ねたという。帰宅した際、母親には、「今日はヤクザみたいな人と会ったわ。でもなんだか偉い人らしかったわ」と言ったという[2]。

鶴岡淑子は撮影中に三島演じる凄惨な切腹シーンを見て、情緒不安定なところが見受けられたという[1]。この映画出演で淑子は60万円のギャラと祝儀6万円の報酬を得た[1]。その後はファッション雑誌『ハイファッション』のモデルをしていたが、異性関係のトラブルで周囲の人間関係ともうまくいかなくなり、メンタル面に不調をきたして転居や入退院を繰り返した[1]。

三島が自決した1970年(昭和45年)から8年後の1978年(昭和53年)には、新宿歌舞伎町のピンクキャバレー「ロンドン」のホステスをし、源氏名「アグネス・ラム」としてストリップで踊っていたとされる[1]。

脚注

  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 「十七 『憂国』の妻・鶴岡淑子のその後」(岡山 2014, pp. 93–97)
  2. 1 2 3 4 5 6 「製作意図及び経過」(『憂国 映画版』新潮社、1966年4月)。34巻 2003, pp. 35–64に所収

参考文献

  • 三島由紀夫『決定版 三島由紀夫全集34巻 評論9』新潮社、2003年9月。ISBN 978-4-10-642574-5。 
  • 佐藤秀明; 井上隆史; 山中剛史 編『決定版 三島由紀夫全集42巻 年譜・書誌』新潮社、2005年8月。ISBN 978-4-10-642582-0。 
  • 岡山典弘『三島由紀夫外伝』彩流社、2014年11月。ISBN 978-4-7791-7022-5。