黄世得

ウィキペディアから、無料の百科事典
黃世得
各種表記
ハングル: 황세득
漢字: 黄世得
発音: ファン・セドゥク
日本語読み: こう せいとく
テンプレートを表示

黄 世得(こう せいとく、ファン・セドゥク、朝鮮語: 황세득、1537年 - 1598年)は、李氏朝鮮の武将、朝鮮氏族の星州黄氏の始祖である。字は士求。稷山(現・忠清南道天安市)出身[1]。

中国後漢の重臣だった黄洛は、光武帝代の28年に使臣としてベトナムに赴く途中に海上で遭難し新羅に漂着・帰化した。黄洛の子孫で高麗代に上柱国の官職を務めた黄石柱の17代子孫が黄世得である。黄世得は、李氏朝鮮宣祖代に武科に及第、長興府使を務め、壬辰倭乱の際には、李舜臣の傘下として戦闘に参加、武功を挙げた。

妻の方氏は李舜臣夫人方氏のいとこである[1]。

脚注

  1. 1 2 “황세득(黃世得)” (朝鮮語). 韓国民族文化大百科事典. 2023年7月19日閲覧。

参考文献