黒澤元治
2007年9月、JGTC All-Star GT Live USAにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1940-08-06) 1940年8月6日(84歳)、
出身地 茨城県日立市
親族 黒澤琢弥
黒澤治樹
黒澤翼
活動時期 1962年
黒澤元治
YouTube
チャンネル
活動期間 2021
登録者数 1.76万人
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黒澤 元治(くろさわ もとはる、1940年8月6日 - )は、日本の自動車評論家であり、元・レーシングドライバー。

茨城県日立市にて日立に勤める技術者の息子として生まれる。1960年代から1970年代に掛けて自動車競技で活躍した後、評論家に転向した。「ガンさん」のニックネームでも知られる。2012年からSUPER GTに関わり、LEON RACINGの監督も歴任した。

年齢が2022年8月で82歳となった現在においても、ビデオマガジンやYouTubeなどで高度な運転技術を披露する。

経歴

自動車競技者として

ホンダ系チームで2輪ライダーとして活動。1962年に鈴鹿サーキットで初開催された、第1回全日本選手権ロードレースの50ccクラスで優勝するなどの実績がある。

1965年、日産自動車と契約することによって4輪競技に転身、大森ワークスに所属した。その際、2年間ほどは、大森ワークスのリーダーだった鈴木誠一のチーム城北ライダースへ所属し、2輪モトクロスなどの二輪競技にも並行して出場した。

1968年、日産の上位チームである追浜ワークスの所属へと昇格した。

1969年の日本グランプリに日産・R382で出場し優勝、高橋国光と北野元とともに「追浜ワークス三羽ガラス」などと称され、日本を代表するレーシングドライバーとなった。

その後は、日産ワークスドライバーとしてスカイラインGT-Rなどで活躍した。

1973年、日産追浜ワークスから離脱、プライベートチームであるヒーローズレーシングに所属した。全日本F2000選手権でチャンピオンになった他、富士グランチャンピオンレースで連続ポールポジション・日本グランプリで優勝するなどの活躍をした。

1974年の事故

1974年、自らのチームである「クロサワ・エンタープライズ」を設立、チームオーナー兼ドライバーとしてレースに出場した。

同年6月2日、富士グランチャンピオンレースの2ヒート目(1ヒート、2ヒートと、2回のレースを行った)で大事故(多重クラッシュによって4台のマシンが炎上、鈴木誠一・風戸裕のドライバー2人が死亡)が発生。黒澤は事故の発端である接触事故を引き起こしたとして、批判を受けた[1]。これを受けた黒澤は競技ライセンスを返上し、一時は現役を去った。刑事事件としても捜査対象になり、業務上過失致死傷の疑いで書類送検されたが後に不起訴となった。なおこの事故で書類送検されたのは黒澤ひとりだけである。

日本自動車連盟(JAF)は同年10月に開かれたスポーツ委員会において5年間の資格停止処分を発表したが、中央審議委員会において再度審議がなされて出場停止期間が1年2ヶ月に短縮された。

事故発生後のJAFや警察や検察の対応

黒澤に対するJAFの処分内容の変更理由

黒澤に対するJAFの処分内容の変更に影響を及ぼしたと思われる聞き取り調査への回答

背景

当時、日本における自動車競技が短期間に未成熟なまま巨大なビジネスに急成長し、レースの内容や勝敗は関係各位が享受する有形無形の利潤の増減に直結した。 結果、一部ではチーム間・ドライバー間のライバル意識が敵対意識にまで過熱している状況が浮き彫りになっていた[2]。 加えて、運営者や管理者をも含む関係各位の安全意識の欠如や当事者意識の低さが競技中の事故が多発する状況をもたらしていたと見られる[2]。

なお、黒澤に対する1年2ヶ月の競技ライセンス停止処分については、審議に要した約1年間も停止期間に含まれるため、処分確定から約2ヶ月で競技ライセンス停止処分は解除された。


現役引退後

出場停止期間明けの1975年にレースに復帰したが、かつてほどの強さを示すことはできず、レースの第一線からは退き、以後はレース活動と平行して従事したブリヂストンの市販スポーツタイヤの開発テスターとホンダの開発ドライバーへと活動の中心を移し、ポテンザRE71やホンダNSXなど数多くの功績を残した。

現役引退後に、友人である作家五木寛之の薦めで自動車評論家活動も始める。概ね評価は辛口であるが[注釈 1]、ホンダに対しては舌鋒が甘いことが指摘されてきた。しかし平成末期におけるベストモータリングの企画[5]では、ホンダの2代目NSXを「車が重い」「サスペンションの作り方が間違ってる」「荷重変動もロールも大きすぎる」「シャーシデザイナーが良いのがいない」と歯に衣着せぬ痛烈な批判を行った。

評価

主なレース戦績

全日本F2000選手権/全日本F2選手権

年 所属チーム シャーシ エンジン タイヤ 1 2 3 4 5 6 7 順位 ポイント
1973年 ヒーローズレーシング マーチ・722 BMW M12/6 B FSW
1
SUZ
2
SUZ SUZ
1
1位 42
1974年 マーチ・742 BMW M12/6 B SUZ
1
SUZ SUZ SUZ 3位 12
1977年 ターニーレーシング マーチ・752 BMW M12/7 B SUZ
2
SUZ
3
NIS SUZ
5
FSW
14
FSW SUZ
Ret
8位 35
1981年 ジャスコスピードスター マーチ・802 D SUZ SUZ
6
SUZ
9
SUZ
8
SUZ
5
10位 19
1982年 スピードスター マーチ・812 D SUZ
7
FSW
3
SUZ
4
SUZ
6
SUZ
17
SUZ 6位 32

全日本ツーリングカー選手権 (JTC)

年 所属チーム コ.ドライバー 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 順位 ポイント
1986年 レイトンハウス 日本の旗萩原光
日本の旗影山正彦
メルセデス・ベンツ・190E DIV.2 NIS
Ret
SUG TSU SEN
Ret
FSW
Ret
SUZ
Ret
NC 0
1988年 TEAM NOJI with トリイ 日本の旗野地廣行 BMW・M3 DIV.2 SUZ NIS SEN TSU SUG
19
FSW
Ret
NC 0

愛車

1990年の発表以来から自身が開発ドライバーを務めたホンダ・NSXを乗り継ぎ、現在はNSX-R(NA2)を所有している。またポルシェ・カレラGT、メルセデス・ベンツ・CLSクラス、メルセデス・ベンツ・Cクラスクーペ、歴代のホンダ・レジェンド、トヨタ・ハイエース、クレマー仕様のポルシェ・930ターボ、五木寛之が所有していた[9]メルセデス・ベンツ・500SE、メルセデス・ベンツ・W140、メルセデス・ベンツ・W210、ホンダ・ヴェゼルハイブリッドも購入している。現在は2003年式ホンダ・NSXーR(ニュルタイムアタック仕様)とホンダ・CR-Vハイブリッド、メルセデスベンツ・S400d 4MATIC AMGライン(W223)を所有している。


比較的操縦が難しいといわれるホンダ・NSXのオーナー向けドライビング講習会、NSXオーナーズ・ミーティングの特別講師を1991年の開設以来担当し続けている。

家族

実子である黒澤琢弥、黒澤治樹、黒澤翼は何れもレーシングドライバーである。しかしながら黒澤自身、息子たちに自動車競技を勧めたことは特になかったとのこと。

著作

映像作品

出典

  1. ↑ 黒澤が自車を意図的に複数回にわたり北野車に接触させたという証言や意見がある。なお黒澤は意図的な接触を否定している。「レーサーの死」(黒井尚志)、「炎上」(中部博)など。
  2. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 GP企画センター「74年冨士GC第2戦の惨事とその教訓」『サーキットの夢と栄光 日本の自動車レース史』グランプリ出版、1989年、169 - 175頁。
  3. ↑ 「レーサーの死」(黒井尚志)
  4. 1 2 3 「2012年2月26日 標的にされた「速すぎる男」  ~それからのドス黒いドラマ②~」『正岡貞雄 ベストモータリングを創った男のブログ つれづれなるままにクルマ一代』2021年6月24日閲覧のwebアーカイブ。
  5. ↑ SUZUKA ATTACK NSX + Motoharu Kurosawa - YouTube
  6. ↑ ベストモータリング レーシングヒストリー Vol.1
  7. 1 2 ベストモータリングビデオスペシャル Vol.17 黒沢元治のドラテク特訓道場PART2
  8. ↑ 「恐怖を背中にはりつけて走った」(高橋国光)
  9. ↑ 『only Mercedes2024年10月号』交通タイムス社。

注釈

[脚注の使い方]
  1. ↑ スバル・インプレッサ 22B-STiバージョンに試乗した際に、「ユーザーを馬鹿にした単なるオタク車。キチンと車を作って欲しい」と述べ、マツダ・RX-7(FD3S)のタイプRZ(初期)に試乗した際は、「タイヤがプアになって、ボディやサスペンションの粗が目立たなくなっただけ。そんなにタイヤを軽量化したいならタイヤを細くすれば良い。タイヤの重要性を理解していない」と述べている。また「ターボや4輪駆動、ロータリーエンジンは好まない」と、同ビデオで何度も発言している。

外部リンク

ガンさんチャンネルl Official Gan-san channel l 黒澤元治 - YouTubeチャンネル

タイトル
先代
―――
全日本F2000チャンピオン
1973年
次代
高原敬武
⌬ Phoenix Mesh CID: 未登録 IPFS未登録 📡 0ピア N=1 CRITICAL PQS A90