| HEATH | |
|---|---|
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| 基本情報 | |
| 出生名 | 森江 博(もりえ ひろし) |
| 生誕 | 1968年1月22日 |
| 出身地 |
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| 死没 | 2023年10月29日(55歳没) |
| ジャンル |
ロック ヴィジュアル系 ハードロック ヘヴィメタル |
| 職業 |
ベーシスト シンガーソングライター |
| 担当楽器 |
ベース ギター ボーカル |
| 活動期間 | 1985-2023 |
| 事務所 | HEATH Project |
| 共同作業者 | X JAPAN |
| 公式サイト | https://www.heathproject.com |
HEATH(ヒース、本名:森江 博 - もりえ ひろし、1968年〈昭和43年〉1月22日 - 2023年〈令和5年〉10月29日[1][2])は、日本のミュージシャン。兵庫県尼崎市出身。血液型はB型。X JAPANのベーシスト[3]。ソロ活動時の名前は「heath」、X JAPANでは「HEATH」である。愛称は「ひーちゃん」。

2023年に入り体調を崩し、6月に病院へ行ったところ大腸癌が判明。この時点でかなり進行しており、10月に容態が急変、同月29日に入院先の病院で死去[注釈 2][17]。55歳没。生涯独身だった。
あまりの急死であったことからX JAPANのメンバーすらもHEATHが闘病していたことを知らず、SUGIZOも追悼コメントの中で「ずっと闘病していたなんて」と語っている。
同年11月28日、東京・Shibuya O-EASTにて『HEATH お別れ会-献花式 HEATH Farewell & Flower Offering Ceremony』が開催された[18][19]。
22歳の時、1990年5月に行われた『ROSE&BLOOD TOUR FINAL』日本武道館2daysにHIDEの友達でもあった友人に一緒に行こうと連れて行かれ、その打ち上げの時に初めてXのメンバーに紹介された。それまで日本のバンドのコンサートはあまり見た事が無かったが、そのXのステージには劇的なものを感じたという。その後もちょくちょくHIDEとは電話で話していたが、HIDEに「とりあえず東京出て来い」と言われ、考えた末ベース2本とボストンバッグ一つで新幹線の自由席に乗り、混んでいたため3時間立ったままで東京に着く。家には軽く「東京行ってくる」とだけ言って出てきた。東京に着いてHIDEに電話すると、本当に来るとは思っていなかったらしく大変驚いていたと言う[4]。

当時Xは新しいベーシストの一般公募と平行して、X側からも一緒に音を出してみないかとジャンル問わず様々な人に声をかけていた。ベーシストの条件は「男性で、一緒に音を出して楽しいかどうか・感覚的に馬が合うかどうか・俺たちとピッチが合うかどうか」だった。公募の中には男性という条件にもかかわらず、女性も多数テープを送ってきていた(後日談だが、中にはベースは一切演奏できないにもかかわらず、デモテープに意気込みだけを延々と吹き込んできた熱心なものもあったという)。沢山のテープの中から実際にオーディションに来てもらった人もいたが、なかなか加入に至るまでの馬が合う人はいなかったという。そんな中で名前が挙がったのがHIDEの知り合いのHEATHだった[4]。
1992年1月のX東京ドーム3days(TAIJI脱退ライブ)の数ヵ月後、HIDEはHEATHに電話をする。HEATHは飲みの誘いと思っていたが、ベーシストオーディション勧誘(正確には「音を一緒に出してみないか」というセッション勧誘)の電話だった。HEATHはXが新しいベーシストを探していることは友人に聞いて知っていたが、当時は自身のバンドであるmedia youthもあり応募しようとは全く思っていなかった。そのため、勧誘の話をされてもHEATHは他のバンドのベーシストを紹介したりしていた[4]。
HEATHはその後、自身のバンドへの迷いがあったこともあり、入る入らないは別としてセッションならやりたいと承諾。結局、実際にはオーディションではなく、Xメンバーのほうからの希望でセッションと言う形でHEATHに来てもらう事になった[4]。
最初のセッションの時の演奏曲は「Standing Sex」「BLUE BLOOD」「ENDLESS RAIN」「Joker」「Sadistic Desire」の5曲。その前日から当日朝までHIDEとHEATHが一緒に飲んでいたこともあり、HEATHは二日酔いの状態でセッションに参加。仮眠も1、2時間ほどしかとらずHEATHは「間違えても仕方がない」と緊張していなかったがほぼ完璧に弾きこなす。逆にメンバーのほうが緊張して「下手なのがバレてナメられないようにしないといけないと思ってコチコチに緊張していた」と語る。物怖じしない性格や、終わって片づけをして、「じゃあ、結果は後日〜」とすぐに帰ってしまったHEATHに対しHIDEとPATAは「大物だ」と感じたと同時に、「こいつはXにいてもおかしくない」と思ったという[4]。またHIDEにはHEATHの本名と同音異字の名の実弟がいる。
その日のうちにHEATHのもとに「メンバーはHEATHを気に入ったがHEATHはどうだったか」という連絡が入る。さらにしばらくして、やはりベースはHEATHが良いとメンバー内で一致。すぐにHEATHに電話をするが、HEATHはそのとき自身で再結成させたバンドのこともあって、少し考えさせて欲しいと言った。結局2週間色々考えた末、セッションが楽しかったこともあり、決心して加入承諾の連絡をする。後のインタビューでHEATHは「あの中にいて違和感がなかった」「ピンとくるものが、Xに対してはすごく強くあった」と語っている。加入が決まったのは1992年5月中旬、HEATH24歳の時であった[4]。
かくして1992年8月24日午後6時、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタンのロックフェラーセンター・レインボールームにてX新ベーシストとして正式に紹介されることとなる。
雑誌でのhideのインタビューによれば、「HEATHは(X JAPAN加入後の)初ライブが東京ドーム、初テレビ出演が紅白歌合戦だった」という。また、X JAPANでの初レコーディングは、X JAPANの楽曲の中でも最長の「ART OF LIFE」であった。脱退前のTAIJIによるベーストラックがレコーディング済みであったが、HEATH加入後、彼の演奏に全て差し替えられた。
バンドのリズム隊(ベース&ドラムス)の一員としてYOSHIKIと相性が良く確固とした演奏技術のHEATHは[31]、世界進出を成功させたX JAPANの救世主といえる[32]。


| リリース | タイトル | 規格・ 販売生産番号 |
収録曲 | 備考 | |
|---|---|---|---|---|---|
| 1st | 1996年10月7日 | 迷宮のラヴァーズ | 8cmCD |
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読売テレビ系アニメ『名探偵コナン』エンディングテーマ |
| PODH-1323 | |||||
| 2nd | 1997年2月19日 | Traitor | 8cmCD |
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フジテレビ系『猛烈アジア太郎』オープニングテーマ |
| PODH-1342 | |||||
| 3rd | 1998年4月22日 | Crack yourself | 12cmCD |
|
読売テレビ系『パパイアQ』オープニングテーマ |
| POCH-1686 | |||||
4th |
2005年 | NEW SKIN | 12cmCD |
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*通信販売のみ |
| WF-0002 | |||||
5th |
2005年 | come to daddy | 12cmCD |
|
*通信販売のみ |
| WF-0003 | |||||
6th |
2005年 | THE LIVE | 12cmCD |
|
*通信販売のみ |
| WF-0004 | |||||
| 7th | 2006年8月25日 | solid | 12cmCD |
|
*通信販売のみ |
| WF-0006 | |||||
| リリース | タイトル | 規格・ 販売生産番号 |
収録曲 | 備考 | |
|---|---|---|---|---|---|
| 1st | 1998年6月10日 | GANG AGE CUBIST | 12cmCD POCH-1709/10 |
Band Disc (DISC1)
Remix Disc (DISC2)
|
DISC1#4はツェッペリンカバー |
| 2nd | 2006年10月27日 | Desert Rain | 12cmCD WF-0007 |
|
*通信販売のみ |
| リリース | タイトル | 規格・ 販売生産番号 |
収録曲 | 備考 | |
|---|---|---|---|---|---|
| 1st | 1995年2月22日 | heath | VHS + 12cmCD POVH-1045 |
VHS
CD
|
CD+VHS 50000セット限定BOX |
| 2nd | 1997年12月27日 | heath all of films | VHS POVH-1060 |
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