KKコンビは、PL学園高等学校に1983年4月から1986年3月まで在籍し春・夏の甲子園で主力として活躍した桑田真澄(くわた ますみ)・清原和博(きよはら かずひろ)の2人を指す通称。由来は2人の名前の頭文字をとったもの。
2人とも卒業後はプロ野球選手となった。
PL学園高等学校で甲子園に1年生の夏(1983年)から3年生の夏(1985年)まで5季連続で出場し、それぞれ1年生の時から桑田はエース、清原は4番打者として活躍し、甲子園に伝説と記録を残した。なお、学校では同じクラスで席も隣だった年もある。
やまびこ打線の池田高校(1982年夏・1983年春)、松坂大輔を擁した横浜高校(1998年春・夏)、北海道勢初の甲子園制覇、さらには田中将大を擁しての夏の甲子園連覇(2004年夏・2005年夏)をした駒大苫小牧を含め、春夏連覇や夏春連覇を達成したチームは多数あるが、5季連続でここまでの成績を残したチームは学制改革後KKコンビ時のPL学園だけである。
高校最後の公式戦となった1985年10月の鳥取国体(倉吉)でPL学園はベスト4に終わり、2人のコンビは一旦消滅した。
KK3年生時の1年生は、片岡篤史・立浪和義・橋本清・野村弘樹・桑田泉(真澄の弟)など錚々たるメンバーを揃え、彼らが3年生となった1987年にはKKコンビが成しえなかった春夏連覇を果たした(この時、2年には宮本慎也もいた)。彼らもプロ野球を代表する選手となり、泉もプロゴルファーとして活躍している。
1年生夏の準決勝、池田との試合に勝利した事などで、桑田・清原は全国の高校野球ファンから一気に注目されることとなった[8]。
主催の朝日新聞社によれば、前年夏からの3季連続優勝を目指す池田を筆頭に、箕島、横浜商、 中京、高知商、興南、広島商らが大会7強として優勝候補とされた。一方、PLは清原が「同校史上初めての1年生の四番打者」として注目をされる程度で、7強を追う二番手グループの中にも挙げられていなかった[9]。
池田は7強の一角である広島商を三回戦で、事実上の決勝戦と言われた[10]中京を準々決勝で退けるなどして順当に勝ち上がってきた。一方、同じく準々決勝で7強のひとつに名前を挙げられていた高知商に1点差で勝つなど、勝ち上がってきたPLも、池田絶対有利の評価は変わらなかったが[11]、池田ナインの慢心や水野が広島商で受けた死球の影響などもあり[12]。大方の予想を覆し試合は7対0でPLの圧勝となった。桑田は強打の池田を完封したのみならず、それまで一度も甲子園で本塁打を打たれたことのない水野雄仁から本塁打を放った。
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