| 『WAR(闘)』 | ||||
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| U2 の スタジオ・アルバム | ||||
| リリース | ||||
| 録音 | ウィンドミルレーン・スタジオ,ダブリン,1982年 | |||
| ジャンル | ロック | |||
| 時間 | ||||
| レーベル | アイランド・レコード | |||
| プロデュース | スティーヴ・リリーホワイト | |||
| 専門評論家によるレビュー | ||||
| チャート最高順位 | ||||
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| ゴールドディスク | ||||
| UK2×プラチナ、US4×プラチナ、カナダ3×プラチナ、ドイツ・ゴールド、 フランス2×プラチナ、 オランダ・ゴールド、 ベルギー・プラチナ、 スイス・ゴールド、 ブラジル・ゴールド | ||||
| U2 アルバム 年表 | ||||
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全英チャート初登場1位獲得など、U2として初のビッグヒットを記録。シングルでもヒットした「Sunday Bloody Sunday」や「New Year's Day」など、初期のU2を代表する楽曲が収録されている。
「同じアーチストでアルバムは1枚しか作らない」という当時のポリシーを曲げてOctoberのプロデューサーを務めてくれたリリーホワイトだが、今度こそは断ったので、メンバーは新しいプロデューサー探しに奔走。まず1981年の11月22日から24日までアメリカのハードロックバンド・Blue Öyster CultやThe Clashの『Give 'Em Enough Rope』(1978)を手掛けたサンディ・パールマンをプロデューサーに迎えて、アメリカのニューヨーク州ロングアイランドにあるKingdom Soundというスタジオでセッションを行った。この時作った曲はみな3分間くらいのロカビリー調の曲だったらしい。
その後、バンドはリリーホワイトに再登板を願って1982年2月にロンドンのBasing Street Studiosで「A Celebration」と 「Trash, Trampoline and the Party Girl」をレコーディングしたが、それでもなおリリーホワイトは次のアルバムのプロデュースは拒否した(この2曲はサンディ・パールマンとのセッションで作った曲らしい)。
1982年3月、今度はBlondieを手掛けたことで知られるジミー・デストリとセッションを行った。そのセッションではピアノが多用され、「Be There」「Endless Deep」と「The Unforgettable Fire」の原型が出来上がったと言われているが、この点については不明な点が多い(ジミー・デストリは「Being There」という曲を作ったと述べている)。
バンドは曲の出来に満足せず、その後、ブライアン・イーノと一緒に仕事をしたことがあるチェット・デイヴィースやブライアン・イーノ本人にも声をかけたが、結局、後にリバーダンスの仕掛け人として有名になるビル・ウィーランをプロデューサーに迎えて1982年8月にセッションを行って2曲レコーディングした。そのうち1曲は最終的に『War』に収録された「The Refugee」で、これがニューアルバムからのリードシングルになるとアナウンスされたが、これもしっくり来ず、ボノとアリのハネムーンを挟んで、リリーホワイトを三顧の礼をもって迎え、改めてアルバムのレコーディングに入った。
ボノ曰く「戦争は1982年のテーマに思えた。見渡せばフォークランドから中東、南アフリカまで戦争ばかりだ」ということで、北アイルランド紛争で起きた1972年の血の日曜日事件の悲劇をテーマにした「Sunday Bloody Sunday」、核戦争を扱った「Seconds」、ポーランドの「連帯」をイメージした「New Year's Day」などのメッセージソングが収録され、「社会・政治問題に積極的に関わるロックバンド」という今日まで続くU2のイメージを決定付けた。
タイトルの『WAR(闘)』についてボノは「『WAR』とは色々なレベルにある『戦い』を扱ったものなんだ。国と国の戦いもあれば、市民権の戦いもある。人と人同士の戦いもあるんだ。勿論、男女間の戦いもね。確かに『戦い』がテーマだけど、決して否定的なアルバムなんかじゃないんだよ」と繰り返し述べている。War Tourのライブで「Sunday Bloody Sunday」を歌う際には「これは抵抗の歌ではない」と語り、ステージ上で白い旗を振るパフォーマンスを見せた。そして緊迫感みなぎるアルバム前半から一転して、ラスト曲の「40」では穏やかな平和への祈りを聴くことができる(曲名は旧約聖書の詩篇40篇より)。この曲では通常とは逆に、ジ・エッジがベース、アダム・クレイトンがギターを弾いている。ジ・エッジは「Seconds」の一部でリードボーカルも担当している。
また前作に引き続き音楽的実験も全開。「Sunday Bloody Sunday」「Drowning Man」では後にIn Tua NuaとThe Waterboysに参加するスティーブ・ウイッカムのヴァイオリンを、「Red Light」ではケニー・フラドリーのトランペットを、 「Like A Song…」「Red Light」「Surrender」ではThe Coconutsのバックコーラスをフィーチャーしている。またボノが「エッジのようにギターを弾くな。ミック・ジョーンズのように弾け」と盛んにけしかけたこともあって、エッジのギターのディレイもエコーも控えめである。が、細工を凝らしたせいでライブでの再現が難しくなったせいか、初期の代表作といわれるわりには、ライブで1回も演奏したことがない曲が3曲(「Drowning Man」「The Refugee」「Red Light」)、1回しか演奏したことがない曲が1曲(「Like a Song...」)含まれることになった。
当時、このような硬派なロックアルバムを発表することは、「恐ろしくダサいこと」(ボノ談)と思われていたが、果たしてアルバムはヒット。UKアルバムチャートでは初の1位に輝き、USでは初のゴールドディスクを獲得、New Year's Dayという念願のシングルヒットも生まれた。
これでU2はほんの少しステージを上がることができた。
『ローリング・ストーン誌が選ぶオールタイム・グレイテストアルバム500』に於いて、223位にランクイン[1]。
このアルバムのカヴァー写真の少年は、ボノの友人であるグッギ(ヴァージン・プルーンズの元メンバー)の弟で俳優のピーター・ローウェンである。彼の写真は他にも『ボーイ』や『ザ・ベスト・オブU2 1980-1990』といったアルバムのジャケットにも使われている。純粋であどけない表情だった『ボーイ』から一転、鋭い視線を投げかけており、U2の姿勢を端的に表現している。
| Warツアー | ||||
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| U2 の ツアー | ||||
| 場所 | 欧州・北米9ヶ国 | |||
| 関連アルバム | War | |||
| 行程 | 4 | |||
| 公演数 | 100 | |||
| U2 ツアー 年表 | ||||
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各地で熱いパフォーマンスを繰り広げ、評判を高めていった。またこのツアーからいよいよボノのパフォーマンスが興に乗ってきて、白旗パフォーマンスや舞台装置をよじ登るパフォーマンスが登場した。そしてこのツアーからウィリー・ウィリアムスが舞台装置を手掛けるようになり、以後、現在に至るまでその関係は続いている。そしてツアー最終日にボノは「これでU2は一旦解散し、同じメンバーでまた続けます」と宣言して、U2の第一幕に幕を下ろした[6]。
また初の来日公演も果たした。
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