かわいさ(Cuteness)とは、ある事物に対して「かわいい」と感じる鍵刺激・因子・性質・概念・美学。類語として「かわいげ」「かわいらしさ」「いとおしさ」「愛くるしさ」などがある。


動物行動学者のコンラート・ローレンツは、1943年に『可能な経験の生得的形態(経験できることには生まれつき決まった形がある)』という論文を発表した[2]。この論文では、赤ちゃん固有の形態的特徴が、大人にとって「かわいい」という感情を刺激し、子育て行動へと駆り立てるとされた[1]。赤ちゃん固有の形態的特徴とは「体に比して頭が大きい」「顔面より脳頭蓋が大きい」「目が大きくて丸い」「頭全体に対して目鼻口が低い所に位置している」「短い四肢」などが挙げられる[1]。これら幼い動物の身体的特徴は「ベビースキーマ」(幼児図式[1][3]、Kindchenschema)と呼ばれている。またこれは科学的方法に基づく「かわいい」研究の出発点となった[4]。
ベビースキーマ自体はコミュケーションのために進化したものではない。たしかにベビースキーマは、赤ちゃんを養育させる感情を保護者に喚起させるが、あくまで一次的な身体機能発達の産物に過ぎず、それを受け取る大人側に「かわいらしい」と感じられる感受性が、進化の過程で備わってきたと解説される[1]。
比較行動学者の正高信男は、ベビースキーマの理論を拡張するだけでは、赤ちゃんの発声や動きに対する大人の養育的反応を説明できないとしている。たとえば「指さし」など、赤ちゃんが大人と類似した行動をとった時であっても、それを愛でようとする傾向がヒトの心理にはあるという[1]。小児科医のT・ベリー・ブラゼルトンによれば、親が話しかけるほど赤ちゃんもよく発声し、笑顔で見つめると笑顔で微笑み返す。このような相互作用は本能的に備わっており、生まれて数時間しか経っていない赤ちゃんであっても、親の表情や発声を忠実に模倣する習性があるという[5]。このような反射的習性は「原初模倣」と呼ばれている[6]。この際、保護者は泣き叫ぶ赤ちゃんをあやすなど「快感情」を与え、赤ちゃんもまた保護者に様々な養育信号を発信する[5]。
母性の発達を研究している石野陽子は、母子間で愛情を高めあう乳幼児の行動に「人見知り」を挙げている。たとえば、赤ちゃんは生後半年ほどで人見知りをするようになり、普段あまり接しない人が接近するだけで泣き叫ぶなど不快感を示す。しかし、保護者が視界に入ると赤ちゃんはピタリと泣き止み、抱きつくなど甘える仕草を見せる。保護者もまた「私がこの子を育てなければ」というポジティブな養育行動を促進させ、赤ちゃんを甘やかすようになる。こうした母子間の親密かつ情緒的なかかわりは「アタッチメント(愛着)」と呼ばれ、母子間で信頼関係が育まれるプロセスを発達心理学では「母子相互作用」と呼んでいる[5]。
大阪大学大学院人間科学研究科教授の入戸野宏は、土居健郎著『「甘え」の構造』(弘文堂, 1971年)を引き合いに「甘え」と「かわいい」という日本人に顕著な2つの感情の類似性を指摘している。たとえばベビースキーマが仮定する考え方では、あくまで被保護側の発信する「かわいさ」は、保護者が受容する「鍵刺激=単なる手がかり」に過ぎないという一方向的な関係に終始しているが、ここに他者の愛情を得ようとする「甘え」の視点を被保護者側に取り入れることで「かわいさ」の発信側と受容側の関係性は、双方向的なものとして解釈できるとしている[7]。
ロンドン大学のデズモンド・コリンズ[8]は「人間の青年期が長くなるのはネオテニーの一部」と述べた[9]。身体人類学者のバリー・ボーギンも「子どもの成長パターンが、かわいさの持続期間を意図的に長くしている」という可能性を述べている。ボーギンによると人間の脳は、次のタイミングで大人の大きさになるという[10]。
このようなアロメトリー(相対成長、身体の全体に対する各部位の相対的な成長度のこと)によって、子どもは他の哺乳類よりも長く「大きな頭蓋骨」「小さな顔」「小さな体」「性的未発達」といった、表面的には「幼児的な外見」を保つことができるという。またボーギンは、このかわいらしい外見が「年長の個体」に対して「養育」「世話焼き」という反応を引き起こすと述べている[10]。
乳児のかわいさの感じ方は、乳児の性別や行動に影響される。小山ら(2006)の研究によると、女性乳児は男性乳児よりも身体的魅力があるとされている[11]。(Karraker(1990))の研究でも、男性乳児の保護をかき立てるのは、子どもの幸せや身体的な魅力に対する認識のみとする可能性が実証された[12]。
また、かわいらしさへの認識を大きく左右するものに「観察者の性別」がある。(Sprengelmeyerら(2009))が行った研究では、同じ年齢の男性よりも女性は「かわいらしさのわずかな違い」に敏感であるとしており、これは女性ホルモンの働きが「かわいらしさ」を決定するために重要であることを示唆した[13]。

ベビースキーマは本来の生物学的な領域以外にデザインや産業の分野でも絶大な効果があり、特に有名な例が日本の漫画やアニメなどのポップカルチャー(おたく文化)である。たとえばキャラクターの「無垢さ」「従順さ」「幼さ」を演出・強調するために、しばしば
などベビースキーマの特徴[15][16]が多用される(こうした天然に存在しないが見る者に大きな反応を引き起こすものを「超正常刺激」と呼ぶ)。このような超正常刺激を呼び起こすキャラクターデザインはサブカルチャーに留まらず、ゆるキャラや萌えキャラ[17]など日本社会のあらゆる分野に広がっている美的感覚であり、総じて「かわいい」「萌え」「尊い」などの日本語で形容・表現されている。
男性文化において「かわいさ」を主軸とする萌えの元祖的作品は、1980年代前半のロリコンブーム期にあらわれた。それまで一般的な男性向けエロ漫画は、リアルタッチの三流劇画がほとんどであったが、この流れを決定的に変えたのが、1979年のコミックマーケット11で頒布された日本初のロリコン漫画同人誌『シベール』(無気力プロ)である。この同人誌は「手塚治虫や石ノ森章太郎のような丸っこい記号的な絵柄でもセックスが描ける」という「かわいいエロ」の発見と革命をもたらしたことで伝説化している[18]。
その後、ベビースキーマの特徴を兼ね備えたロリコン漫画は青少年に広く受けいれられた。さらには「おたく」の登場とも相まって、二次元コンプレックスなる文化現象を生み出すとともに、今で言うところの「萌えキャラ」で性的欲求を開放する美少女コミックが氾濫する。とくに初期のロリコン漫画は、手塚漫画やアニメ絵の「幼児形態」を保ちながら、性的刺激(=超正常刺激[19])をもたらした点が画期的であり、エロ漫画評論家の永山薫は「エロ漫画におけるネオテニー(幼形成熟)」とも形容している[20]。そして、現在にも連綿と受け継がれている「萌えエロ」「かわいいエロ」こそ、マッチョ的なものに対するフラジャリティの復権として起こった、一種の表現運動/カウンターカルチャー(80年安保[21])であったといえる。

「かわいさ」を感じさせ、大人の庇護を喚起するものは、男らしさ(マチズモ)とは対極的な存在であるといえる。美術評論家の松井みどりは「かわいい」という感情の発露について「無作法で非生産的な行動、すなわち合理性と能率を旨とする『大人社会』の規範から逸脱した行動に対して、相手が『弱く』『未熟な』ために許し、保護してあげるという慈しみの視点から発せられる」と推察している[23]。
研究者のの宮﨑拓弥らは、かわいさを喚起する因子を次の4つに分類している[24]。
宮崎によると、かわいさを喚起する因子は男女ともに同じ傾向があり、同分類は男女を区別せずに統一して適用できるものと考えられている[24]。
かわいさを喚起させる特徴としては、親しみやすく身近なもの[27]以外に、ネガティブなものも含まれる。たとえば、下記に示すものは「かわいそう/フラジャイル≓かわいい」を構成する主要素である[28]。
これらに加えて、世の中から逸脱(超俗)して、社会との調和を喪失した対象(例:電波系・不思議ちゃん・天然・中二病・メンヘラ・陰キャ・コミュ障・猫耳・人外・巫女)も「かわいい」とされることがある[29]。
宮元健次は「かわいい」という不完全で未熟なものに惹かれる日本特有の美意識が、世界中で注目されるようになった理由を「ひと言でいえば、それは20世紀社会の経済的発展に対するアンチテーゼといえるだろう。『かわいい』は、成長や成熟を否定する美意識である」と、モラトリアムの文脈でまとめている[30][31]。
ちなみに「かわいい」という日本語は、目上の者[32]が目下の者へ「不憫だ」「あわれだ」「気の毒だ」など憐憫・慈悲・慰撫の感情を抱くさまに由来している[33]。この意味を受け継いだ派生語に「かわいそう」がある。
大塚英志は「かわいい」と「かわいそう」が表裏一体であるとして次のように論じている。
それにしてもなぜ〈かわいい〉と〈かわいそう〉が同義なのだろう。本書の中でぼくは〈かわいい〉ものに囲まれた勉強部屋や少女雑貨の店が、外界から遮断された自閉的空間であることをくり返し指摘してきた。つまり、〈かわいい〉というのは、少女たちを現実あるいは外の世界から保護するバリヤーの役目なのである。〈かわいい〉私は〈かわいい〉空間でしか生きることができない。つまり〈私〉とは、「痛々しくて見るに耐えない」存在である。〈かわいい〉が少女の自己像を表現するキーワードである以上、そこに〈かわいそう〉が一体化することはむしろ当然のことだったのである。〈かわいい〉小宇宙の住人である〈私〉はとても〈かわいそう〉である。それが「ぼのぼの」世界であり、メディアが切りとって見せた昭和天皇のほんとうの意味だったのだといえる。 — 大塚英志『少女民族学―世紀末の神話をつむぐ「巫女の末裔」』光文社 pp.246-247より抜粋 1989年
ここで大塚は、昭和天皇が病に臥した時、お見舞いの記帳に「制服姿の少女たちが列を作った」という一見して非常に奇異な現象を例に取り上げた。いわく「少女たちが老人(=かわいいおじいちゃん)の中に〈無垢にしてか弱い〉という“自分たちと重なり合う同質のイメージ”(少女の自己像)を見いだしていたのではないか」という推測である。また大塚は「昭和天皇」に近い類例として「かわいそうなシマリスくん」(いがらしみきおの漫画『ぼのぼの』に登場する「いぢめる?」が口癖のいじめられっ子キャラ)の人気を同列に挙げている>[34]。
相手を未熟なものとして愛玩物的に可愛がり、保護する行動についてイーフー・トゥアンは著書『愛と支配の博物誌―ペットの王宮・奇型の庭園』(工作舎, 1988年)で、相手の自分への依存を強調することによって、他者を意のままにしたいという「支配の欲望」に直結するものであると指摘している[35]>。
これに関して明星大学教育学部教授の西村美香は「支配欲(もしくは庇護欲)」「ご都合主義的政治的用語」「商業的うまみ」の3つが要素が現在的な「かわいい」という言葉に含まれていると指摘し、「かわいい」という言葉が持つ「支配―被支配の関係」に関して次のように述べている。
例えば、不憫なゆえにかわいいとか、気持ち悪くてみなに相手にされなくてかわいいとか、いわば上から目線の支配的な心情がそこに見え隠れする。(中略)それは対象物をまるで所有物のように自分の配下に置き、上から見下すかのような感情ですらある。そして「かわいい」はそれを言われたものは、そこに上から目線や、見下した(ときには馬鹿にしているような)感情を読み取りながらも、「かわいい」が本質的には褒め言葉であるため、言われて居心地の悪さを感じることはあっても侮辱していると怒るほどのものではないと言われるままにひきさがる。苦々しく思いながらもひきさがらずをえないのである。この状況は、白黒をはっきりつけたがらない、ときには奥ゆかしくそしてまわりくどい、人間関係を円滑に進めようとする日本人の心情にぴったりなまさに日本的思考である。「かわいい」と言っていればとりあえずその場は何とかなる。「かわいい」をもちだすことでその場をなごませ、「かわいい」と言われることで小さき弱者に自分を位置づけ危機を回避することができるのである。 — 西村美香「かわいい論試論」明星大学人文学部『明星大学研究紀要人文学部』51号, pp.134-135, 2015年
また西村は「かわいい」を濫用し、自己にも「かわいい」を適合させる「すでに幼くも小さくもない大人の女性」について「誰かの庇護の元に入り、その誰かに依存して、したたかに生きてゆく戦略」と指摘しており、逆に「成熟しきって老いて醜くなった女性」が周囲から邪険にされず、老後の面倒を見てもらうには「かわいいおばあちゃん」[36]となって少しでも好かれるぐらいしか生存戦略はないのかもしれないと推察している[37]。
この節の加筆が望まれています。 |
国内外で流通している「かわいい学」は、日本独自の「かわいい」という包括的概念や文化的諸相を、人文・社会科学的アプローチで考察した定性的研究が中心となっている。そのため実験心理学、神経科学、神経美学、感性工学的なアプローチから純粋に「かわいさ」に関連する論文や文献資料を渉猟される際は「日本の特殊性を強調したポップカルチャー論」と混合されないよう注意されたい。コンラート・ローレンツのベビースキーマに着目した日本の研究者としては前田實子、入戸野宏、大倉典子らがいる(我が国における「かわいい文化」の概念形成史などは大塚英志、増淵宗一、四方田犬彦、古賀令子らの書籍を参照のこと)。
未登録
IPFS未登録
📡 0ピア
N=1
CRITICAL
PQS B75