わが青春のとき (映画)
| わが青春のとき | |
|---|---|
| 監督 | 森川時久 |
| 脚本 | 立原りゅう、山内久 |
| 原作 | 小林勝『狙撃者の光栄』 |
| 出演者 |
栗原小巻 山本圭 三國連太郎 小林桂樹 村地弘美 夏圭子 |
| 音楽 | 佐藤勝 |
| 撮影 | 黒田清巳 |
| 編集 | 中静達治 |
| 製作会社 |
大映映画 俳優座映画放送[1] |
| 配給 | 大映映画[1] |
| 公開 |
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| 上映時間 | 106分 |
| 製作国 |
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| 言語 | 日本語 |
『わが青春のとき』(わがせいしゅんのとき)は、1975年公開の日本映画[1][2][3]。栗原小巻・山本圭主演[3]、森川時久監督[3]。原作は小林勝の小説『狙撃者の光栄』[4]。1974年に徳間体制となった新生大映の第1回作品[5][6]。配給は大映映画となっているが[1]、大映は配給部門を持たないため[3][7]、興行は東急レクリエーションに頼んだ[3]。
あらすじ
日本が植民地時代を続けていた1944年の朝鮮北部。愛のない結婚生活を強いられていた圭子は、日本人医師・江原に人間の温かさを感じる。二人の仲を嫉妬した圭子の夫・浩太郎は、江原の叔父が天皇狙撃者として死刑になった事実を暴露するが、圭子は江原への愛を告白し彼の子を宿す。それは人形妻だった女の反抗と自立であり、折しも時代は大きく変わろうとしていた[4][8][9]。
スタッフ
キャスト
製作
1974年暮れの時点では新生大映の第1作は『金環蝕』と発表していたが[10]、大作で製作に難航し、本作が第1作になった[5][11]。
撮影
撮影は1975年3月上旬、北海道ロケからスタートし[3]、同年4月19日、多摩川大映東京撮影所でクランクアップ[3]。同撮影所は調布市に売却され、高校を建設予定の約1万1000平方メートル(約5000坪)は、ほとんど整地され[3]、隣接して並ぶスタジオ群の一つでささやかにアップを祝う乾杯が行われた[3]。森川監督は「第一作の荷の重さが、完成が迫るに連れてますますのしかかって来た」などと、山本圭は「一番バッターだから、四球でも何でも出塁しなくちゃ。でもう三振しちゃってるんじゃないかな」と笑わせた[3]。栗原小巻は「難しかった。迷ってばかりでした。でも本当にいい方たちとお仕事が出来て…また大映で仕事がしたい」など述べた[3]。
宣伝
1975年5月20日、読売ホールで試写会があり、前の大映そのままのマークが冒頭に出た[11]。大映の新作が劇場で掛かったのは3年8カ月ぶりであった[11]。挨拶に立った徳間康快大映社長も歯切れが悪く、映画関係者は「労組の人たちよく我慢したね」と感想を持った[11]。
興行
上映ルートの開拓が大きな問題で、当初から洋画系ロードショーを狙い、徳間康映社長が、1975年4月に東急レクリエーションと直接交渉[3]。ラッシュを見せ、渋谷東急、銀座東急、東急レックスの3館で公開された[2]。東急レクリエーションは都内にしか劇場を持たないため、地方で公開されたかは不明。
作品の評価
批評
滋野辰彦は「終始暗い内容で、天皇制、人種と民族、政治の諸問題が余りにも背後に押し隠されたため、生気のない映画になった」などと評している[8]。
その後の新生大映作品
1975年4月時点では、本作を第1作とし、二作目として『金環蝕』を、第3作は007に『逃亡者』を加えたような超アクション『君よ憤怒の河を渉れ』を、第4作は江戸後期の農村運動家・大原幽学を描く『天保酔虎伝』(山内久脚本・山本薩夫監督予定の喜劇)と発表していた[3]。他の文献では五木ひろし主演の歌謡映画や、農協との提携映画、当時話題を呼んでいたオイルダラーを使ってやるアラブとの合作映画の構想していたと書かれたものもある[10]。
ソフト状況
脚注
- 1 2 3 4 “わが青春のとき”. 日本映画製作者連盟. 2026年11月4日閲覧。
- 1 2 3 『ぴあシネマクラブ 日本映画編 2004-2005』ぴあ、1998年、714頁。ISBN 978-4835606170。わが青春のとき
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 「芸能 大映再建第一作アップ 『わが青春のとき』 東急系公開にメド モスクワ映画祭参加も予定 六月上映 労組、五万人動員へ」『東京タイムズ』東京タイムズ社、1975年4月20日、5面。
- 1 2 わが青春のとき – 映画.com
- 1 2 日本シナリオ作家協会編「作品解説〈1975年概観〉 文・鬼頭麟兵」『年鑑代表シナリオ集'75』ダヴィッド社、1987年、351-352頁。
- ↑ 『日本映画俳優全集・女優編』キネマ旬報社、1980年、277頁。
- ↑ 「映画界東西南北談議 スタート体制着々進行の"新大映" 入場料金もお盆興行から愈々値上げ」『映画時報』1974年6月号、映画時報社、32–34頁。
- 1 2 『日本映画・テレビ監督全集』キネマ旬報社、1988年、418–419頁。
- ↑ 佐藤忠男、山根貞男「1975年公開映画」『日本映画1976 1975年公開日本映画全集』芳賀書店〈シネアルバム(46)〉、1978年、62頁。ISBN 4-8261-0067-1。
- 1 2 「映画東西南北談議 不況下の明けた75年の映画界 楽観は許されないがまずまずのスタート」『映画時報』1975年1月号、映画時報社、39頁。
- 1 2 3 4 「映画界十大ニュース 大映再開」『週刊映画ニュース』全国映画館新聞社、1975年12月6日、31面。