ガブリエル・ミリート

ウィキペディアから、無料の百科事典
ガブリエル・ミリート
アルゼンチン代表でのミリート
ポルトガル戦 (2011年)
名前
本名 ガブリエル・アレハンドロ・ミリート
Gabriel Alejandro Milito
愛称 El Mariscal (元帥)
ラテン文字 Gabriel Milito
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1980-09-07) 1980年9月7日(44歳)
出身地 ベルナル(英語版)
身長 179cm
体重 78kg
選手情報
ポジション DF (CB)
利き足 左足
ユース
アルゼンチンの旗 インデペンディエンテ
クラブ1
年 クラブ 出場 (得点)
1997-2003 アルゼンチンの旗 インデペンディエンテ 123 (3)
2003-2007 スペインの旗 サラゴサ 137 (5)
2007-2011 スペインの旗 バルセロナ 48 (1)
2011-2012 アルゼンチンの旗 インデペンディエンテ 31 (0)
通算 339 (9)
代表歴
1997  アルゼンチン U-17 4 (0)
1999  アルゼンチン U-20 2 (0)
2000-2011 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 42 (1)
監督歴
2013-2014 アルゼンチンの旗 インデペンディエンテ (リザーブ)
2015 アルゼンチンの旗 エストゥディアンテス
2016 アルゼンチンの旗 インデペンディエンテ
2017-2018 チリの旗 オヒギンス
2019-2020 アルゼンチンの旗 エストゥディアンテス
2021-2023 アルゼンチンの旗 アルヘンティノス・ジュニアーズ
2024- ブラジルの旗 アトレチコ・ミネイロ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

ガブリエル・アレハンドロ・ミリート(Gabriel Alejandro Milito, 1980年9月7日 - )は、アルゼンチン・ブエノスアイレス州ベルナル(英語版)出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。元アルゼンチン代表。現役時代のポジションはディフェンダー。

同じく元サッカー選手のディエゴ・ミリートは実兄。なお、祖父母がカラブリア州コゼンツァ近郊のテッラノーヴァ・ダ・シーバリ出身であるため、イタリアのパスポートも有したイタリア系アルゼンチン人である。

経歴

クラブ

CAインデペンディエンテ

ブエノスアイレス州のベルナルに生まれ、1997年にCAインデペンディエンテからデビューした。この頃、兄のFWディエゴ・ミリートはインデペンディエンテのライバルのラシン・クラブに所属しており、アベジャネーダ・ダービーで何回も兄弟対決が実現した。

レアル・サラゴサ

2003年7月にはレアル・マドリードへの移籍が決まりかけていたが[1]、メディカルチェックで膝の怪我が完治していないと判断され[2]、移籍は取りやめになった。同月にはレアル・サラゴサと契約を結んだ[3]。4シーズンの間レギュラーとしてプレーし、2005-06シーズンから2シーズンは兄のディエゴと一緒にプレーしている。

FCバルセロナ

2007年7月10日、FCバルセロナと4年契約を結んだ。移籍金は1850万ユーロ(1390万ポンド)、年俸は400万ユーロ(270万ポンド)と報道されている[4]。背番号はティアゴ・モッタが着けていた3番を与えられ、9月2日のアスレティック・ビルバオ戦 (3-1) でデビューし[5]、11月24日のレクレアティーボ・ウェルバで初得点を挙げた。2008年5月5日、右膝前十字靭帯を負傷し[6]、2008-09シーズンは1シーズン丸々欠場したため、3冠達成には立ち会っていない。2年近くも試合に出場できなかったが、2009年12月に行われたカーズマSCとの親善試合で602日ぶりにチームに復帰し[7]、2010年1月5日のコパ・デル・レイ、セビージャFC戦1stレグ(1-2)で公式戦に復帰した。セビージャ戦の5日後のCDテネリフェ戦 (5-0) ではカルレス・プジョルとの交代で試合終了間際の7分間だけ出場し、リーグ戦に復帰した。2010年11月11日のコパ・デル・レイ、ADセウタ(スペイン語版)戦 (5-1) では1得点を挙げたが、この試合で再び負傷した[8]。2011年4月30日のレアル・ソシエダ戦 (2-1) では先発出場してゴールネットを揺らしたが、オフサイドの反則があったとして得点は認められず[9]、更にこの攻撃の際にふくらはぎの筋肉を痛め、残りのシーズンを欠場した[10]。

CAインデペンディエンテ復帰

シーズン終了後から古巣CAインデペンディエンテに復帰した。

2012年6月、怪我の影響で今シーズン限りでの引退を表明した。

代表

1999年、U-21アルゼンチン代表としてFIFAワールドユース選手権に出場した。

2000年のメキシコ戦でアルゼンチンA代表デビューし、その後はA代表から遠ざかったが、2003年のアメリカ戦に兄のディエゴとともにピッチに立って代表復帰を果たし、その後は兄弟そろって招集されるようになった。2005年にはFIFAコンフェデレーションズカップ2005に出場し、2006年には2006 FIFAワールドカップに招集されてオランダ戦 (0-0) に出場した。2006 FIFAワールドカップにディエゴは招集されなかったが、2010 FIFAワールドカップはディエゴが招集され、ガブリエルは招集されなかった。2010年8月、セルヒオ・バティスタ監督はスペイン戦にガブリエルを招集し、3年以上ぶりに代表復帰を果たした。

指導者歴

2015年4月、エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタの監督に就任した[11]。

2016年5月12日、古巣であるCAインデペンディエンテの監督に就任し1年半の契約を交わした[12]。

2017-18シーズンより、カンペオナート・ナシオナルのCDオヒギンスと1年半の契約を結んだことが発表された[13]。

2019年3月11日、再びエストゥディアンテスの監督に就任した[14]。

2021年1月、AAアルヘンティノス・ジュニアーズの監督に就任し3年契約を交わした[15]。

2024年3月24日、アトレチコ・ミネイロの監督に就任した[16]。

エピソード

アルゼンチンのビッグ・クラブのインデペンディエンテの歴史の中でも有数のアイドルの1人とされている。クラブとサポーターが彼のために敬意を表して引退試合が催されることが決まった。そして、2012年12月26日に引退試合が行われて引退した[17]。

ディエゴとガブリエルのミリート兄弟は、レアル・サラゴサでの2シーズンを除き、子供の頃から常に別々のクラブでプレーしていた。ガブリエルがインデペンディエンテに所属していた当時、兄はライバルのラシン・クラブに在籍しており、2003年3月9日のクラシコ・デ・アベジャネーダ(スペイン語版)において兄弟による対戦が実現した[18][19]。試合中ペナルティエリア付近で弟が兄を倒し、ユニフォームを掴まれたと兄が弟の退場を要求。弟に出されたイエローカードを巡って兄弟が激しく言い争うシーンが見られたが、結果は1対1の引き分けに終わっている[20]。試合中2人がずっと罵り合いを続けスタジアムの大観衆と何万人ものTV視聴者の前で「兄弟喧嘩」をしたことで、観戦に来ていた母親は怒りスタジアムを退出した。この時彼女は兄弟のガールフレンドたちと一緒であり、穴があったら入りたいほど恥ずかしかったという。

個人成績

2011年5月1日時点
クラブ シーズン 国内リーグ 国内カップ 欧州カップ[21] 通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
インデペンディエンテ 1997-98 20–20
1998-99 250–250
1999-00 342–342
2000-01 251–251
2001-02 30–30
2002-03 340–340
通算 1233–1233
サラゴサ 2003-04 3500000350
2004-05 33300100433
2005-06 3410000341
2006-07 3514000391
通算 1375401001515
バルセロナ 2007-08 2716090421
2008-09 00000000
2009-10 1101050170
2010-11 1004120161
通算 481111160752
通算 308915126034910

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 41試合 1得点(2000年-2011年)[22]
アルゼンチン代表国際Aマッチ
年出場得点
200010
200100
200200
200330
200430
200560
200640
2007141
200800
200900
201020
201180
通算411

得点

 # 日時場所対戦相手スコア最終結果大会
1 2007年10月16日ベネズエラの旗 マラカイボベネズエラの旗 ベネズエラ1-02-02010 FIFAワールドカップ・南米予選

タイトル

クラブ

インデペンディエンテ
サラゴサ
バルセロナ

脚注

  1. ↑ Milito makes for Madrid UEFA.com、2003年7月8日
  2. ↑ Madrid cancel Milito signing UEFA.com、2003年7月22日
  3. ↑ Milito taken on by Zaragoza UEFA.com、2003年7月24日
  4. ↑ Milito honoured to sign for Barça UEFA.com、2007年7月19日
  5. ↑ Barcelona 3-1 Athletic Bilbao ESPNsoccernet、2007年9月2日
  6. ↑ Barcelona's Milito faces lengthy lay-off UEFA.com、2008年5月5日
  7. ↑ “Barcelona's Gabriel Milito returns to action...602 days tater ”. Goal.com  (2009年12月22日 ). 2009年12月22日閲覧。
  8. ↑ Barcelona 5-1 Ceuta ESPNsoccernet、2010年11月11日
  9. ↑ Sociedad surprise Barca with defeat ESPNsoccernet、2011年4月30日
  10. ↑ Milito, Montoya out for six weeks FIFA.com、2011年5月1日
  11. ↑ G・ミリートが監督デビュー、ベロン率いるエストゥディアンテスの指揮官に Goal、2015年4月18日
  12. ↑ “Gaby Milito entrenará a Independiente”. Marca.com (2016年5月12日). 2016年9月19日閲覧。
  13. ↑ “Gabriel Milito arregló su desembarco en Chile como técnico de O'Higgins”. La Nación (2017年8月10日). 2017年9月24日閲覧。
  14. ↑ “Milito, el nuevo entrenador” [Milito, the new manager] (スペイン語). Estudiantes La Plata (11 March 2019). 2024年5月24日閲覧。
  15. ↑ “Gabriel Milito es el nuevo entrenador de Argentinos Juniors [Gabriel Milito is the new manager of Argentinos Juniors]” (スペイン語). La Voz del Interior. (19 January 2021) 2024年5月24日閲覧。
  16. ↑ “Gabriel Milito é o novo técnico do Galo” [Gabriel Milito is Galo's new head coach] (ポルトガル語). Clube Atlético Mineiro (24 March 2024). 2024年5月24日閲覧。
  17. ↑ http://www.telam.com.ar/notas/201312/46159-gabriel-milito-he-vivido-un-dia-increible.html
  18. ↑ 「ルーツを訪ねて ゴールで切り開いた道」、ワールドサッカーダイジェスト、日本スポーツ企画出版社、2009年9月3日号
  19. ↑ 主審は2006 FIFAワールドカップドイツ大会の決勝戦でジネディーヌ・ジダンを退場させたオラシオ・エリソンド。
  20. ↑ このダービーマッチは、ボカ・ジュニアーズ対CAリーベル・プレートのスーペルクラシコに次ぐ熾烈さで有名であり、しばしばサポーターの暴動が起きる。両クラブのスタジアムはほんの数百メートルしか離れていない。
  21. ↑ UEFAスーパーカップも含む
  22. ↑ ガブリエル・ミリート - National-Football-Teams.com

関連項目

外部リンク