クラスノヤルスク

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クラスノヤルスク
Красноярск
[[ファイル:
Спуск к реке Урал и пешеходный мост через реку
Оренбургский областной драматический театр имени М. Горького
Кафедральный Никольский собор
Мечеть Караван-сарай
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クラスノヤルスクの市旗 クラスノヤルスクの市章
市旗 市章
位置
クラスノヤルスクの位置の位置図
クラスノヤルスクの位置
座標 : 北緯56度1分 東経93度4分 / 北緯56.017度 東経93.067度 / 56.017; 93.067
歴史
建設 1628年8月19日
行政
国 ロシアの旗 ロシア
 連邦管区 シベリア連邦管区
 行政区画 クラスノヤルスク地方の旗 クラスノヤルスク地方
 市 クラスノヤルスク
市長 Edkham Akbulatov[1]
地理
面積  
  市域 385 km2
人口
人口 (2026年現在)
  市域 1,218,072人
その他
等時帯 クラスノヤルスク時間 (UTC+7)
郵便番号 660ххх
市外局番 +7 391
ナンバープレート 24, 84, 88, 124, 224
公式ウェブサイト : http://www.admkrsk.ru/

クラスノヤルスク(ロシア語: Красноярск[2]〔クラスナヤールスク〕)は、ロシア連邦シベリア中部のエニセイ川河畔に広がる都市。人口は約121万人[3]で、シベリアではノヴォシビルスクに次ぎ2番目に大きな都市。シベリア連邦管区の本部が置かれている。シベリア鉄道が通っており、モスクワからは約4,100キロメートル離れている。

1628年に前線の要塞として建設され、クラースヌイ・ヤール(Красный Яр[4])「赤い岸壁」と名づけられ、金の発見とシベリア鉄道の敷設によって急速に発展した。1934年よりクラスノヤルスク地方の行政の中心である。クラスノヤルスク国立大学、クラスノヤルスク国立農業大学などの高等教育機関も集中する。

歴史

1628年7月、ロシアの辺境の要塞として建設された時が市の歴史の始まりである。コサックのアンドレイ・ドゥベンスコイに率いられた士族たちは、カチャ川が大河エニセイに合流する地点に至り、エニセイ流域の先住民たちからロシア辺境を守るための砦を築き始めた。彼らは要塞の周りに家々や港を築き、周囲に木の柵を巡らせた。要塞は、この地に住んでいたテュルク系民族による地名であるフズル・チャル(Хызыл Чар[5]、「赤い岸」)をロシア語訳し、クラースヌィ・ヤール(Кра́сный Яр[4])と名づけられた。現在の地名であるクラスノヤルスクは、この村が市に昇格した際に改名されたものである。

1928年の市街地風景。背景の生神女誕生大聖堂はソ連時代に取り壊された

1735年から1741年にはモスクワからの郵便道路が近くの町アチンスクやカンスクを通ってクラスヌイ・ヤールに達し、クラスヌイ・ヤールは道路と舟運で大きく発展し始めた。1749年には230キロメートル南で質量700キログラムほどの大型の隕石が発見された。シベリアを探検していた学者ペーター・ジーモン・パラスが1772年にこの隕石をクラスヌイ・ヤールへ運び、後に首都サンクトペテルブルクへ持ち帰った。この「クラスノヤルスク隕石」は、初めてパラサイト(石鉄隕石)が研究されたこと、初めてエッチングによる記録が行われたことで重要な意味を持つ。

19世紀にはクラスヌイ・ヤールはシベリアのコサックたちの中心地になった。1822年には市の地位を得て、新たな県(グベールニヤ)であるエニセイ県の県都となった。街の規模は金鉱の発見で大きくなり、1895年にはシベリア鉄道が開通したため発展が加速した。クラスノヤルスクにはいくつかの工場と鉄道修理工場、車庫などができた。

クラスノヤルスク河港

ロシア帝国時代のクラスノヤルスクは政治犯らの流刑地でもあった。例えばデカブリストの乱の失敗後、デカブリスト8人がサンクトペテルブルクからクラスノヤルスクへ送られている。

ロシア革命とロシア内戦の後、ソビエト連邦時代に入ると、計画経済と重工業への傾斜生産によりクラスノヤルスクにもいくつかの大工場が建設された。造船所、製紙工場のほか、エニセイ川には港湾も作られている。1934年、クラスノヤルスク地方が設立されると、クラスノヤルスクはその政治的中心地になった。一方で、スターリン体制下のクラスノヤルスクは強制収容所(グラグ)運営の中心地でもあった。クラスラグ[6](クラスノヤルスキーITL)は1938年から1960年頃まで存在した収容所で、カンスクとレショートイに分かれて置かれていた。クラスノヤルスク市内にはエニセイラグ[7](エニセイスキーITL)が第二次世界大戦中に置かれていた。これらの収容所の囚人は、クラスノヤルスク付近の開発作業に従事させられた。

クラスノヤルスク水力発電所

第二次世界大戦では、ドイツ軍の攻撃にさらされたヨーロッパ・ロシアやウクライナから多数の工場がクラスノヤルスクとその周辺へも疎開してきた。これにより重工業は非常に活発になった。 戦後は、市内に第35収容地区(ラーゲリ)が設置され、シベリア抑留の対象となった日本人捕虜が送られてきた。過酷な環境の中で少なからず犠牲者が発生し、冷戦終了後には日本政府により市内に戦没者慰霊碑が建立されている[8]。

その後、疎開してきた工場に加え、さらにアルミニウム工場、冶金工場、母材工場などの大工場が新設され、クラスノヤルスクはソ連有数の工業都市となった。1971年にはクラスノヤルスクから約30km離れたジヴノゴルスク郊外に巨大なクラスノヤルスク水力発電所(ロシア第2位、世界でも第5位)が建設された。 1970年代末、ソ連はクラスノヤルスク近郊のアヴァラコヴァにフェーズドアレイレーダーを建設した。これをABM条約違反ととらえたアメリカ合衆国は1983年から撤去を求め、1989年になりソ連当局はようやく条約違反を認めた。クラスノヤルスクのレーダーは撤去工事が進みロシア当局は撤去を宣言したが、極東のコムソモリスク=ナ=アムーレ付近に移転させたとの疑いもある[9]。

ソビエト連邦の崩壊後、クラスノヤルスクアルミニウム工場など、多くの大工場の民営化が進んだが、民営化に失敗して破産するものもあった中、いくつかは新興財閥(オリガルヒ)などの傘下になった。しかし、こうした民営化で富を得た勢力もあったほか、失業した労働者も多く、貧富の差は拡大した。1990年代後半、クラスノヤルスクアルミニウム工場の所有者でソ連崩壊後のクラスノヤルスク有数の実力者となった新興財閥主アナトリー・ビコフ[10]は、ビジネスパートナーのヴィロル・ストルガノフを殺した疑いで逮捕され工場の所有権を取り上げられた。ビコフは無罪を主張して争っている。21世紀に入ってもなお、多くの大工場が一握りの金融グループやオリガルヒの支配下にある。1996年には市長となったピョートル・ピマシコフにより、市内の歴史的建造物の修復や歩道の石畳化、広場や噴水建設などが進み、市内はソ連時代の暗い印象をぬぐいつつある。

1997年11月には、クラスノヤルスクにおいて橋本龍太郎首相とボリス・エリツィン大統領の首脳会談が行われ、「20世紀中に領土問題を解決し、平和条約を締結することを目指す」という内容の「クラスノヤルスク合意」が交わされた。2019年冬季ユニバーシアードの開催地。

地理

クラスノヤルスク市街 俯瞰
クラスノヤルスク市街 俯瞰

市域の面積は、郊外や水面も含めると、172平方キロメートルに達する。エニセイ川が市域を西から東へと貫通しており、多くの中洲が川の中にあり、タティシェフ島など大きな島は観光やレクリエーション用に整備されている。また、エニセイ川は市街の32キロメートル上流のジヴノゴルスク郊外に建設されたクラスノヤルスク水力発電ダムの影響により冬でも凍らなくなり、夏でも水温が14度を超えないようになった。

中心市街地付近の標高は136メートルである。

市域の南と西は、標高の平均が海抜410メートルという針葉樹林の丘が覆っている。さらに南方にはストールブイ自然保護区の大きな岩山が丘陵地の真ん中に聳え立っている。市域の北部は平坦で、北西は森林になっており、北と東は農地が広がっている。

気候

ケッペンの気候区分によると、クラスノヤルスクは湿潤大陸性気候・亜寒帯湿潤気候(Dfb)に属する。

年平均気温は2.0℃である。平年値では最暖月である7月の日最高気温が25.2℃、日最低気温は13.7℃、最寒月である1月の日最高気温が-11.6℃、日最低気温は-19.2℃となっている。また、11月から3月にかけて日平均気温が氷点下となっている。

年平均降水量は507mmである。

年平均日照時間は1969時間である。

極値[11] 観測値 観測年月日
日最高気温 37.2℃ 2024年6月
日最低気温 -52.8℃ 1931年1月
クラスノヤルスク(標高277m、平年値:1991年 - 2020年、極値:1891年 - 現在)の気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
最高気温記録 °C (°F) 6.0
(42.8)
8.5
(47.3)
18.5
(65.3)
31.4
(88.5)
34.0
(93.2)
37.2
(99)
36.4
(97.5)
35.1
(95.2)
31.3
(88.3)
24.5
(76.1)
13.6
(56.5)
8.6
(47.5)
37.2
(99)
平均最高気温 °C (°F) −11.6
(11.1)
−7.5
(18.5)
0.7
(33.3)
9.3
(48.7)
17.1
(62.8)
23.5
(74.3)
25.2
(77.4)
22.2
(72)
14.6
(58.3)
6.7
(44.1)
−3.6
(25.5)
−9.3
(15.3)
7.3
(45.1)
日平均気温 °C (°F) −15.6
(3.9)
−12.3
(9.9)
−4.9
(23.2)
3.4
(38.1)
10.4
(50.7)
16.9
(62.4)
19.1
(66.4)
16.1
(61)
9.1
(48.4)
2.3
(36.1)
−7.3
(18.9)
−13.2
(8.2)
2.0
(35.6)
平均最低気温 °C (°F) −19.2
(−2.6)
−16.3
(2.7)
−9.4
(15.1)
−1.4
(29.5)
4.7
(40.5)
11.1
(52)
13.7
(56.7)
11.2
(52.2)
5.0
(41)
−1.3
(29.7)
−10.7
(12.7)
−16.9
(1.6)
−2.5
(27.5)
最低気温記録 °C (°F) −52.8
(−63)
−41.6
(−42.9)
−38.7
(−37.7)
−25.7
(−14.3)
−11.2
(11.8)
−3.6
(25.5)
3.3
(37.9)
−1.0
(30.2)
−9.6
(14.7)
−25.1
(−13.2)
−42.3
(−44.1)
−47.0
(−52.6)
−52.8
(−63)
降水量 mm (inch) 17
(0.67)
15
(0.59)
19
(0.75)
29
(1.14)
48
(1.89)
65
(2.56)
70
(2.76)
76
(2.99)
55
(2.17)
42
(1.65)
39
(1.54)
31
(1.22)
507
(19.96)
平均降水日数 0.3 0.4 2 9 17 19 18 18 19 13 4 0.3 120
% 湿度 73 70 64 58 54 64 72 76 75 71 74 73 69
出典:Pogoda.ru.net[12]

人口

クラスノヤルスク市街の夜景

1923年に60,400人ほどだった人口は、1939年に190,000人に、1959年には412,000人に、1970年には648,000人へと増加した。1989年には912,600人に達したが、以後はソ連崩壊後の不況で人口は伸び悩み減少傾向になった。

市内の古い建物

しかし、ロシア経済が持ち直した2000年代半ば以降、ソ連崩壊後の産業停滞に苦しんだ他のシベリア都市とは対照的に、世界最大級のアルミニウム精錬所や豊富な水力発電を背景とした重工業への投資がクラスノヤルスクの経済成長を促進した。また、2006年のシベリア連邦大学設立をはじめとする教育・研究機関の集積により若年層の定着が進み、2012年に人口は100万人に到達し、ロシア14番目の百万都市となった[13][14]。

市内の街並み
10ルーブル紙幣

クラスノヤルスクの人口増加はこれだけに留まらず、2012年以降も人々はより良い生活を求め、他の地方都市や集落からのクラスノヤルスクへの人口流入が続いた。特に、 2019年に同都市で行われた2019年冬季ユニバーシアードでは、開催に合わせ、 国際水準の新しい空港ターミナルや道路網、34ものスポーツ・医療・交通施設が建設・改修され、市民が利用できる公園や歴史的建造物の復元などの大規模なインフラ整備が行われた[15]。これにより、クラスノヤルスクは「住みやすい街」としてのブランドを確立し、2020年〜2026年の6年間で約12万人の人口増加を記録。人口は121万人に急増し、人口約110万人だったオムスクを抜いてシベリア第2の都市となった。

クラスノヤルスクの人口のうち多くを占めるのはロシア人だが、その他の人口の多い民族にウクライナ人、タタール人、ドイツ人、ベラルーシ人も含まれる。さらに、中央アジア諸国からの職を求めての移民により、タジク人、ウズベク人などが増え、不法移民も一部に見られる。

また中国人商人の往来も多く、他の移民と異なり比較的裕福な地区で地元企業と協力関係を結んで商売や事業を行うなどしている。中国人商人の集まるバザールや交易地区なども市内には現れている。

人口
1856[16]1897[16]1923[16]1926[17]1931[16]1939[16]1956[18]
6400↗26 700↗60 400↗72 000↗82 800↗186 100↗328 000
1959[19]1962[16]1967[16]1970[20]1973[16]1975[21]1976[20]
↗412 375↗465 000↗576 000↗648 000↗707 000↗758 000→758 000
1979[22]1982[23]1985[24]1986[20]1987[25]1989[26]1990[27]
↗795 178↗833 000↗877 000→877 000↗899 000↗912 445↘877 000
1991[20]1992[20]1993[20]1994[20]1995[24]1996[24]1997[28]
↗924 000↗925 000↘919 000↘914 000↘869 000↗871 000↗874 000
1998[24]1999[29]2000[30]2001[24]2002[31]2003[16]2004[32]
↗875 000↗877 800↘875 500↗875 700↗909 341↘909 300↗912 800
2005[33]2006[34]2007[35]2008[36]2009[37]2010[38]2011[39]
↗917 200↗920 900↗927 200↗936 400↗947 801↗973 826↗973 900
2012[40]2013[41]2014[42]2015[43]2016[44]
↗997 316↗1 016 385↗1 035 528↗1 052 218↗1 066 934

建築

生神女福音大聖堂

クラスノヤルスクには歴史的建築も多い。最古の建築は生神女庇護聖堂(ポクロフスキー聖堂)で、1785年から1795年に建てられ、1978年に修復されている。その他、生神女福音大聖堂(ブラゴヴェシェンスキー聖堂、1802年 - 1812年)、至聖三者大聖堂(スヴャト=トロイツキー聖堂、1802年 - 1812年)、前駆授洗イオアン聖堂(Церковь Иоанна Предтечи, 1899年)がある。最新の聖堂は1998年から2003年に建設されたミハイル聖堂(Церковь Архистратига Михаила)。

カラウルナヤの丘の上にはかつては先住民の聖地があったが、クラスノヤルスク要塞の見張り塔がその位置を取って代わった。1804年に完成し、1855年に再建された聖パラスケバ聖堂(Часовня Параскевы Пятницы)は今も建つ。この聖堂は、エニセイ川のクラスノヤルスク橋およびクラスノヤルスク水力発電所とともに10ルーブル紙幣にも描かれている。ソ連時代には放置されていた聖堂は、ペレストロイカ以後修復され、エニセイ教区に返還されている。

未完成のビル

この聖堂に並ぶ有名な建物としては、ストレルカ地区にある24階建ての未完成の高層ビルがある。ペレストロイカ前に着工したが、その後の経済難で建設が中断してしまった。しかし、2000年代半ばになると、放置されていた工事が再開し、2008年には青いガラス外装が全域にほどこされ、廃墟感は払拭された。また、2019年になるとLEDによる大規模なライトアップが追加され、KATE-24ビルは市のランドマーク的立ち位置となった。

全面に青いガラスパネルが施されたKATE-24ビル

しかし、このビルは1980年代末に工事が着工したため建物の老朽化が激しく、ビル内部のインフラがほとんど未整備の状態であった。また、ストレルカ地区という一等地に位置していながらも、ビル周辺に十分な駐車場が存在しないという現代の大規模オフィスビルや商業施設としては致命的すぎる欠陥を持っていた。長年放置されていたことからも、投資家や企業は呪われたビルとして開発を避ける傾向にあり、今に至るまで中は無人の状態となっていた。

クラスノヤルスクでエニセイ川を渡るシベリア鉄道の鉄橋・クラスノヤルスク橋は1893年から1896年にかけて建設された。当時は世界最長級の橋で、ラヴル・プロスクリャコフにより設計されている。彼はこの橋の建設に先立ち、モデルをパリの博覧会に出展し金メダルを受賞している。このトラス橋は世界遺産の暫定リストに掲載されており、革新的な技術を実地に適用し多くの追随例を生んだことを評価されている[45]。

クラスノヤルスク郊外の木造建築

その他、商人ニコライ・ガダロフの邸宅(20世紀初頭)、カトリックの教会(1911年)、古代エジプトの神殿を模したクラスノヤルスク地方博物館などがある。また市内には2階建ての木造の家屋が多い。これらは20世紀の半ば、クラスノヤルスクの拡大の時期に一時的な住まいとして作られた。都市の中の村というべきこれらの家々には、伝統的なロシア農村の建築の特徴が現われている。これらの多くはすでに無人となっているが、まだ人が住んでいる家も多い。

墓地

クラスノヤルスクの保存された古い墓地の中で最大のものはトリニティである(現在、埋葬は関連する墓でのみ行われている)。 トリニティ・ネクロポリスは2019年12月に文化遺産に登録された。[46]

教育

シベリア連邦大学
上空から撮影した ドミトリー・ホロストフスキー記念シベリア国立芸術アカデミー

クラスノヤルスクは、ノヴォシビルスクに次ぐシベリアの教育と科学の中心都市であり、30以上の高等教育機関(その多くはロシア科学アカデミーの支部となっている)が集中する。2006年にはクラスノヤルスク国立大学、クラスノヤルスク国立建築土木大学、クラスノヤルスク国立技術大学、国立非鉄金属大学の4校が合併し、シベリア連邦大学(SibFU)が誕生した。その他、クラスノヤルスク師範大学、シベリア国立技術大学(1930年設立のクラスノヤルスク最古の大学)、シベリア航空宇宙大学、クラスノヤルスク国立医科大学、スカチェフ森林大学,クラスノヤルスク州立農業大学、シベリア芸術大学、1953年に設立されたスカチェフ林業大学がある。

クラスノヤルスクにも、ノヴォシビルスク近郊の学術都市アカデムゴロドクのような教育機関や研究機関の集中する地区があり、アカデムゴロドクと呼ばれている。

クラスノヤルスクには博物館、美術館、動物園などもある。

交通

クラスノヤルスク旅客駅

クラスノヤルスクではクラスノヤルスク市電が運行されており、さらに、三路線からなるクラスノヤルスク地下鉄が計画されていた。数十年にわたって建設が行われており、2014年頃の開業を目指していたが、2015年初頭にシベリア連邦管区大統領全権代表のヴィクトル・トロコンスキー氏により、2020年まで開業を延期することが表明された。しかし、汚職の発覚や予算不足により、地下鉄建設は不可能との判断がなされ、代わりに費用を大幅に抑えられるメトロトラム(ロシア語版)への規格変更がなされた。クラスノヤルスク・メトロトラムはクラスノヤルスク建都400周年の記念すべき年である2028年の開業を見据え、建設が続いている。

また、クラスノヤルスクにはシベリア鉄道のクラスノヤルスク旅客駅がある。そのほか河港もあり、古くから鉄道輸送と水運との間の中継地となってきた。

クラスノヤルスクの空港(イェメリャノヴォ空港、Yemelyanovo Airport)は市内から北西へ37キロメートルの位置にあり、ロシアや旧ソ連諸国、アジアやヨーロッパ各国などへの路線が就航している。日本との間の旅客定期便は就航していないが、成田国際空港、関西国際空港との間にルフトハンザドイツ航空の貨物便が定期就航している。

ほかに、国内線が運航する軍民共用空港のチェレムシャンカ空港(英語版)がある。

著名な出身者

クラスノヤルスク地方歴史・民族学博物館

姉妹都市

脚注

  1. ↑ Krasnoyarsk City administration Mayor and his deputies
  2. ↑ ロシア語ラテン翻字: Krasnoyarsk
  3. ↑ “Krasnoyarsk Population 2026” (英語). World Population Review (2026年5月7日). 2026年5月11日閲覧。
  4. 1 2 ロシア語ラテン翻字: Krasny Yar
  5. ↑ ロシア語ラテン翻字: Khyzyl Char
  6. ↑ ロシア語ラテン翻字: Kraslag
  7. ↑ ロシア語ラテン翻字: Yeniseylag
  8. ↑ 長勢了治『シベリア抑留全史』原書房、2013年8月8日、185,296頁。ISBN 9784562049318。
  9. ↑ Yeniseysk (Krasnoyarsk)
  10. ↑ ロシア語ラテン翻字: Anatoliy Bykov
  11. ↑ Погода и Климат
  12. ↑ “Pogoda.ru.net (Weather and Climate-The Climate of Krasnoyarsk)” (Russian). Weather and Climate. 2026年3月16日閲覧。
  13. ↑ シベリアのクラスノヤルスク、百万人都市へ 2012年4月18日 ロシアの声
  14. ↑ “[https://elib.sfu-kras.ru/bitstream/handle/2311/137981/11_Kolmakov.pdf;jsessionid=20A08F3B3AFF6D027B455DA8EA35275E?sequence=1 The Impact of the Winter Universiade-2019 on a Russian University Sport Development]”. 2026年5月12日閲覧。
  15. ↑ “29th Winter Universiade 2019 in Krasnoyarsk” (英語). Енисейская Сибирь. 2026年5月11日閲覧。
  16. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 “Народная энциклопедия «Мой город». Красноярск”. 2013年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月6日閲覧。
  17. ↑ “Российский статистический ежегодник. 2011 год”. 2016年5月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年5月26日閲覧。
  18. ↑ “Народное хозяйство СССР в 1956 г. (Статистический сборник). Государственное статистическое издательство. Москва. 1956”. 2013年10月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月26日閲覧。
  19. ↑ “Всесоюзная перепись населения 1959 года. Численность городского населения РСФСР, её территориальных единиц, городских поселений и городских районов по полу”. Демоскоп Weekly. 2013年4月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月25日閲覧。
  20. 1 2 3 4 5 6 7 “Российский статистический ежегодник. 1994”. 2016年5月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年5月18日閲覧。
  21. ↑ Российский статистический ежегодник, 1998 год
  22. ↑ “Численность и размещение населения Красноярского края (по данным Всероссийской переписи населения 2002 года). Лист «5. Численность населения районов, городских поселений, районных центров и сельских населенных пунктов с населением 3 тысячи и более человек»”. 2016年4月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年4月28日閲覧。
  23. ↑ Народное хозяйство СССР 1922-1982 (Юбилейный статистический ежегодник)
  24. 1 2 3 4 5 “Российский статистический ежегодник. Госкомстат, Москва, 2001”. 2015年5月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年5月12日閲覧。
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外部リンク