ジェームズ・アール・ファウラー
ジェームズ・アール・ファウラー(James Earl Fowler、生年不詳 - 1968年5月1日)は、アメリカ合衆国出身のキリスト教(米国聖公会)の聖職者、教育者。立教大学教授、立教大学体育主事、華中大学教授[1]。戦前の日本におけるアメリカンフットボールの普及・発展の指導者の一人[2][3][4]。
生涯・経歴
カンザス州ホワイトクラウド生まれ。米国聖公会教務院(および内外伝道協会)の任命と財政支援を受け、宣教師(ミッション)としてアジア各地へ派遣された[1]。
1921年から1926年、および1929年から1932年にかけて、中国・武昌の華中大学(Central China University)に勤務した[1]。
日本においては、1927年から1929年、および1933年から1940年にかけて立教大学(St. Paul's University)で教授および立教大学体育主事(体育教育・スポーツ振興の責任者)を務め、キリスト教主義教育やスポーツを通じた国際交流を推進した[1][5]。立教大学ではレスリング部やバスケットボール部のコーチも歴任した[3]。
1934年には、同じく立教大学のポール・ラッシュ、ジョージ・マーシャルらとともに同大学の学生を指導し、早稲田大学および明治大学を加えて東京学生米式蹴球連盟(現・関東学生アメリカンフットボール連盟)を結成した。同年11月29日に明治神宮外苑競技場で開催された日本初のアメフト公式試合(全日本学生選抜 vs 横浜外国人チーム)に際しては、全日本学生軍(オールスターチーム)の編成・選定を担当した。同年12月からは同3大学による日本初のリーグ戦が開催された[2][3][4]。
帰国後の1941年から1953年にかけては、米国聖公会本部海外事業部(Overseas Department)の准幹事(Associate Secretary)を務めたほか[1]、再び来日し、聖路加国際病院礼拝堂などで司牧を務めた[6]。1968年5月1日に死去[1]。
脚注
- 1 2 3 4 5 6 World Church-In Brief Episcopal Press and News、66-15、Diocesan Press Service、June 5,1968
- 1 2 『東京学生米式蹴球連盟』 - コトバンク
- 1 2 3 『1934年(昭和9年)活動1年目』 日本アメリカンフットボール協会
- 1 2 『我が国における戦前のアメリカンフットボール』 服部慎吾、日本アメリカンフットボール協会
- ↑ 『青森聖アンデレ教会宣教百年史 : 日本聖公会東北教区』青森聖アンデレ教会宣教百年史編纂委員会 著、青森聖アンデレ教会、1992.9、p42
- ↑ 『基督教年鑑 1958年版』キリスト新聞社 編、キリスト新聞社、1957、p169