チキ・ベギリスタイン

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チキ・ベギリスタイン
2016年のベギリスタイン
名前
本名 アイトール・ベギリスタイン・ムヒカ
Aitor Begiristain Mujika
愛称 チキ (Txiki)
ラテン文字 Begiristain
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1964-08-12) 1964年8月12日(60歳)
出身地 オラベリア
身長 171cm
体重 71kg
選手情報
ポジション FW (WG)
利き足 左足
クラブ1
年 クラブ 出場 (得点)
1982 スペインの旗 サン・セバスティアン 9 (2)
1982-1988 スペインの旗 レアル・ソシエダ 187 (23)
1988-1995 スペインの旗 バルセロナ 223 (63)
1995-1997 スペインの旗 デポルティーボ・ラ・コルーニャ 43 (4)
1997-1999 日本の旗 浦和レッズ 61 (16)
通算 523 (108)
代表歴
1984-1988  スペイン U-21 19 (4)
1988  スペイン U-23 1 (0)
1988-1994 スペインの旗 スペイン 22 (6)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

アイトール "チキ" ・ベギリスタイン・ムヒカ(Aitor "Txiki" Begiristain Mujika, 1964年8月12日 - )は、スペイン・バスク州ギプスコア県オラベリア(英語版)出身の元サッカー選手。元スペイン代表。現役時代のポジションはフォワード。出身地のバスク語で「小さい」を意味する「チキ(Txiki)」の愛称で親しまれた[1]。

レアル・ソシエダとFCバルセロナでの活躍で多くの人々に知れ渡り、特に後者ではプリメーラ・ディビシオン4回、UEFAチャンピオンズカップ 1991-92を制する等8つの主要タイトルを獲得した。

スペイン代表としては、FIFAワールドカップとUEFA欧州選手権1988に出場した。引退後はサッカー界でディレクター職を務め、2003年から2010年6月までバルサのテクニカルディレクター、2012年10月からイングランド・プレミアリーグのマンチェスター・シティFCのフットボールディレクターに就任した。

クラブ経歴

レアル・ソシエダ

バスク自治州ギプスコア県オラベリア(英語版)に生まれたベキリスタインは、1982年18歳の頃にレアル・ソシエダの下部組織からトップチームに引き上げられプロキャリアを始めた。最初の1982-83シーズンは、デビュー年ながらリーグ戦で16試合に出場し、ルイス・アルコナーダ、ロベルト・ロペス・ルファルテ(英語版)、ホセ・マリア・バケーロ、ルイス・ロペス・レカルテ(英語版)らと共にジョン・トシャック監督の構想に不可欠な選手となった。レアルでのキャリアのハイライトは、1987年に2-2で引き分けPK戦の末勝利したコパ・デル・レイ決勝のアトレティコ・マドリード戦で2得点目を決め、自身初となるタイトル獲得に貢献した時だった[2]。

1987-88シーズンは、リーグ, カップ戦でレアル・マドリードとFCバルセロナに敗れたことで優勝を逃し2位に終わった。それから、1ヶ月も経たないうちにバルセロナと同僚のバケーロ、ロペス・レカルテと共に契約を結んだ[3]。

バルセロナ

ホームにRCDエスパニョールを迎えたバルセロナダービーで得点を決め2-0で勝利した試合でデビューをし[4]、UEFAカップウィナーズカップ決勝でUCサンプドリアを下し優勝したのが、シーズン最後の試合だった。リーグ戦38試合12得点、欧州カップ戦9試合2得点を記録。この年を皮切りに、ヨハン・クライフ率いるエル・ドリーム・チームの一員として数々のタイトルを獲得し、黄金期を築いていった。在籍7シーズンで公式戦出場300試合以上、リーグ戦で63得点を記録(1991年2月24日のレアル・バジャドリード戦とその2年後、1993年2月26日のレアル・サラゴサ戦でハットトリックを達成した[5][6])。

1991-92シーズンのチャンピオンズカップ決勝では出場はしなかったが、ベンチ入り、優勝を果たした[7]。

1992-93シーズンはキャリア最高の15得点を挙げた[8]。スーペルコパ・デ・エスパーニャで対戦したアトレティコ・マドリード戦では1stレグで2得点、2ndレグでも1得点を決めて優勝に貢献した。また同シーズンは最終節まで首位はレアル・マドリード、バルセロナは2位であった。その最終節のレアル・ソシエダ戦でサイドからの折り返しでストイチコフの決勝点をアシスト、レアル・マドリードがテネリフェと引き分けという結果になり、バルセロナは逆転で優勝を決め[9]、このシーズンの優勝に重要な役割を果たした。翌1993-94シーズンはリーグ4連覇を果たし、UEFAチャンピオンズリーグでも決勝まで勝ち上がり、決勝のACミラン戦で先発出場し53分までプレーしたが、0-4と敗れ2度目の優勝を逃した[10]。

1994年8月30日、スーペルコパ・デ・エスパーニャ、レアル・サラゴサ戦の2ndレグでは2得点を決めて優勝に貢献した。

ラ・コルーニャ 

1995年、バルサでのベキリスタインの重要性が徐々に失われていた(それでも、最後の2シーズンで44試合13得点を記録したが)ことにより、かつての同僚ジョン・トシャック監督とロペス・レカルテの2人の誘いに応じデポルティーボ・ラ・コルーニャに加入した。その後、2-1で勝利したスーペルコパ・デ・エスパーニャ第2戦、サンティアゴ・ベルナベウでのレアル・マドリード相手に得点を決め優勝に貢献した。

デポルでの最後のシーズンはわずか出場10試合だったものの、最終節のCFエストレマドゥーラ戦で決勝ゴールを決め、リーグ戦3位入賞に貢献した。

浦和レッズ

1997年、横浜マリノスが獲得に動いていたが、マリノスが獲得から手を引いたこともあって[11]、J1の浦和レッドダイヤモンズへ移籍。在籍中は福田正博の得点をよくアシストした[12]。1997年8月2日、Jリーグデビューから2試合目の横浜マリノス戦でJリーグ初ゴールを決めた[13]。同年の8月30日の鹿島アントラーズ戦に先発出場[14]、キャリア通算600試合出場を達成した。9月3日の名古屋グランパスエイト戦では移籍後初の2ゴールを決めて勝利に貢献した[15]。翌1998年は9月5日のヴェルディ川崎戦でゴールを決め[16]、リーグ戦キャリア通算100ゴールを達成するなど、リーグ戦では30試合9ゴールを記録[13]、リーグ戦3位の成績に貢献した[1]。1999年、9月22日のガンバ大阪戦での決勝ゴールが[17]現役ラストゴールとなった。同年、11月27日、既に引退を決めている中、Jリーグ(J1)残留をかけて行われた、リーグ最終節のサンフレッチェ広島戦に先発出場し、54分までプレーしたのが現役最後の試合となった[12][18](チームは延長戦で勝利したが、90分以内の勝利ではなかったことから、チームは2部に降格が決定した)。

ディレクター職

引退後は、カタルーニャ州に本部を置くカタルーニャテレビに勤め、2003年からバルセロナのディレクターに就任し[19][20]、2010年6月29日にジェネラル・マネージャーのジョアン・オリベルから会長のジョアン・ラポルタの辞任とともに退任することが発表された[21]。

2012年10月28日、イングランド・プレミアリーグのマンチェスター・シティにディレクターとして契約を結んだ[22][23]。

代表経歴

1988年2月24日、マラガで行われ1-2で敗れたチェコスロバキアとの親善試合でスペイン代表デビューして以降、22試合6得点を記録した。

UEFA欧州選手権1988、1994 FIFAワールドカップの2大会に出場し、後者のベスト16スイス戦に途中出場からPKを決め3-0で勝利した試合[24]が、代表最後となった。

所属クラブ

ユース
プロ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
スペイン リーグ戦 国王杯オープン杯 期間通算
1982-83ソシエダ160
1983-84333
1984-85315
1985-86291
1986-87429
1987-88365
1988-89バルセロナ3712
1989-903710
1990-91346
1991-92347
1992-933715
1993-94207
1994-95246
1995-96デポルティーボ332
1996-97102
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1997浦和10J1542020194
19981130942303711
1999J11634100204
通算スペイン
日本J1 6116103507619
総通算

代表歴

試合数

  • 国際Aマッチ 22試合 6得点(1988年-1994年)[25]
スペイン代表国際Aマッチ
年出場得点
198860
198921
199010
199110
199233
199341
199451
通算226

タイトル

選手時代

レアル・ソシエダ
FCバルセロナ
デポルティーボ・ラ・コルーニャ
  • スーペルコパ・デ・エスパーニャ:1回(1995)

脚注

  1. 1 2 “ラウドルップ、ストイコヴィッチ、リュングベリ…ユーロでプレーした歴代外国人Jリーガーを振り返る=”. excite.co.jp 8 April 2020閲覧。
  2. ↑ "Spain - Cup 1987"
  3. ↑ "Del 'Dream Team' a los despachos"
  4. ↑ "El Barça volvió a explotar en la segunda parte"
  5. ↑ "Del susto... a la apisonadora"
  6. ↑ "El Barça ensaya la euro-remontada"
  7. ↑ “1992 European Cup final: Barcelona – Sampdoria 1:0”. spielverlagerung.com/ 8 April 2020閲覧。
  8. ↑ “Txiki_Begiristain”. national-football 8 April 2020閲覧。
  9. ↑ 『得点王の真実 ストイチコフ自伝』ゼスト、P.61-67 1998年。ISBN 978-4883770373
  10. ↑ “Barcelona mesmerised by magic of Milan: Italians champions ignore their status as underdogs to reach Olympian heights in the humiliation of Spaniards ,”. The Independent 8 April 2020閲覧。
  11. ↑ “歴代背番号の変化で見る横浜F・マリノスの歩み”. SPAIA (2017年10月13日). 2024年9月18日閲覧。
  12. 1 2 “浦和の命運がかかる大一番で下された、エース 福田正博への非情采配 - Sportiva”. sportiva.shueisha 8 April 2020閲覧。
  13. 1 2 “ベギリスタイン”. j-league 8 April 2020閲覧。
  14. ↑ “1997Jリーグ 2ndステージ 第8節”. j-league 8 April 2020閲覧。
  15. ↑ “1997Jリーグ 2ndステージ 第9節”. j-league 8 April 2020閲覧。
  16. ↑ “1998Jリーグ 2ndステージ 第3節”. j-league 8 April 2020閲覧。
  17. ↑ “1999Jリーグ ディビジョン1 2ndステージ 第10節” 8 April 2020閲覧。
  18. ↑ “Jリーグ 1999 2ndステージ15節”. Jリーグデータサイト. 2024年3月27日閲覧。
  19. ↑ "リケルメ、バルサに別れ"
  20. ↑ "Rome ready to welcome European superpowers"
  21. ↑ "Begiristain leaves Barcelona"
  22. ↑ "Manchester City appoint Txiki Begiristain as director of football"
  23. ↑ "Ex-Barça: Txiki Begiristain takes up role at Manchester City" Archived 2012年10月30日, at the Wayback Machine.
  24. ↑ "WORLD CUP '94; Spain Flicks Off All Efforts By Swiss"
  25. ↑ チキ・ベギリスタイン - National-Football-Teams.com

関連項目

外部リンク